下請勇者(下)

 北の関所を抜けながら、権兵衛は、
(勇者とはなんという馬鹿や)
 と、自分で自分が情けなくなった。
(国王の命令のままにさんざん働かされ、しまいには勇者同士で殺しあいや)
 杖をもって逃げたゼシカのほうがまだ利口ではないか。
 それだけではない。
(あの国王のこッちゃ、ヤンガスとククールにも同じことを命じてくさる)
 かれらは、ゼシカがどうあろうと権兵衛を殺す。なぜならば、権兵衛を殺したものがパーティの勇者頭になるのだ。勇者の掟である。
(みんな死んだところで、国王は困らない)
 また新しい勇者を集めればいいだけのことである。占い師の娘ユリマ、アスカンタ国王の妾キラ、女盗賊ゲルダの三人をあつめ、ユキゲとかたわけた名前のパーティで脳天気なストーリーを展開するのではないか。

 権兵衛は、リブルアーチの彫刻屋敷にしのびこんだ。
 屋敷のなかで、情報をあつめる。
 というのは口実で、娘を盗むのが目的だった。権兵衛のたったひとつの娯楽である。
(あれか)
 奥まった一室に、寝室がある。他の殺風景な部屋に比して、そこだけがひどくなまめかしい。
 女が、眠っている。
「おい」
 と秘所に手を入れた。
 女は目覚めたが、声が出ない。
「おれだ」
 と、やさしく言ってやった。
 いかに身持堅固な女でも、心のなかに、
 ――おれだ。
 という男の映像がある。女の心中にある――おれだ、をひきだすための幻戯など、権兵衛にとっては容易すぎるほどのことだ。
 ――来たの?
 ばかばかしい。女はそんなことを言う。夢寐のなかの男に問いかけているのだろう。
 すでに権兵衛は、女のからだのなかに、身を入れきってしまっている。
 濡れている。
 と、思った瞬間、
(あっ)
 身が、凍った。
「権兵衛。相変わらず好色じゃな。仲間を犯してどうする」
 たしかに娘だと思った女の顔は、ククールの顔であった。
「そちは、トロデの命でゼシカを殺そうとしておるが、それほど国王に媚びたいのか」
「ゼシカを殺すか殺さぬかわからぬ。わしはすでに坂をころがった。とまるところまではころがってみる」
「されば、いま止まれ」
 凄まじい気合で、バギクロスが襲ってきた。避けるまもなく、権兵衛は、ククールにむかって突進した。
 飛んだ。
 権兵衛が背にウィングエッジをおさめたとき、ククールは真二つになって地面にころがっていた。

 詳細は略すがヤンガスも斬った権兵衛は、呪術師ハワードの邸宅に忍び入った。
 すでに火の手がまわっている。
 階下には雇い人らしい、気の弱そうな男のむくろがころがっていた。
 階段をのぼった。
 奧の間から、肉の焦げるにおいがする。
 権兵衛は、扉を蹴った。
「権兵衛か」
 聞いたことのない声が降ってきた。
 床にはゼシカの残骸がある。燃えつきようとしていた。胸と尻の部分だけが、脂をじくじくと滲ませながら、まだちろちろと燃えている。
「わしはクラビウス国王の兄、エルトリオじゃ」
 呪術師ハワードの小さな影と、エルトリオと称する大きな影が立っている。
「この女、ハワード殿を手にかけようとしたため、義によって助太刀した。からめとるべきところ、手向かったので余儀なく斬りすてた」
 胸だったところから発していた火が、じじっと音をたてて消えた。
「杖は取り戻した。ぬしの任務はおわった。帰れ」
「そうはいかん」
 権兵衛は微笑んだ。その笑みが、心のどの部分から発するのか、権兵衛にもわからない。
「地獄に堕ちた勇者どもの仇じゃ」
 言うや、ハワードにむかって砂塵のヤリを投げ、同時に跳躍して、エルトリオを抜き打ちに斬りさげた。
「あっ、おのれは」
 叫んだのは、二人ではない。
 権兵衛が、声に振りむいたとき、さすがに蒼白になった。顔見知りの他国の勇者たちが、目白押しにならんでいたからである。
「見たぞ。国王の一族のものを殺したな。いずれは国に帰ってから、仕置にゆくぞ」
「ま、待て。これには仔細がある」
「言いわけはいらん。トロデ王のもとに帰っておれ。逃げても諸国に手を配って、かならず探しだすぞ」
「む、むごい。お前たちも、同じゅう勇者ではないか」
 勇者はたがいに他の非違を監視しあう習慣になっている。かれらの探索は執拗で、その仕置は残忍だった。権兵衛ははじめて、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 この恐怖が、権兵衛を国にもどらせた。どうせ逃げおおせるものではない。いっそ国へ帰って、ぞんぶんのふるまいをしたのちに死ぬほうがましだと思ったのである。
 しかし、気負いながらも、心の片隅ではふっきれぬ淋しさがのこった。
(勇者は、しょせん、勇者の運命からのがれられんもんかい)
 トロデ王の馬車が見えてきたとき、権兵衛は、ひとりの男に道をはばまれた。
「権兵衛よ」
 地に伏せていた男は、ゆっくりと上半身をおこした。
「勇者の掟によって、おのれを斬る」
「アルスか」
 もはや過去の勇者に、権兵衛を倒す力はない。返り討ちにあって、かならず死ぬ。老勇を整理するために、トロデ王が思いたったものにちがいない。
 権兵衛はなさけなくなった。勇者はかしこさが高いくせに、自分の人生を大事にする本当の智恵には暗い。白痴のように欠けているのだ。
「退け。勇者が勇者同士で殺しあうことはない」
「早う来さらせ」
 アルスは、刀ももたず、地上にすわっていた。立ったところで足の不自由なこの男は、どれほどの働きもできないと思ったからであろう。ときどき、アンチョビサンドを口に持っていっては、むしゃむしゃと囓っている。
 権兵衛は容易に動かなかった。アルスのふところに、たった一つだがブーメランが入っているのを、権兵衛は知っていた。
 やがて、四半刻もたった。馬車から、トロデ王がしびれを切らして叫んだ。
「権兵衛、どうした。臆したか」
 声につきとばされるように、権兵衛は走った。アルスは、それをみて、安堵したようににやりと笑った。そのまま笑いが凍った。凍った笑いが、ブーメランとともに虚空へけし飛んだ。権兵衛の頬先をするどい音がかすめた。ブーメランは、横へゆるやかなカーヴをえがいて、意外にもトロデ王の居る馬車にぐさりと刺さった。わずか一尺の差である。
 しかし、ブーメランが馬車に乾いた音をたてたときには、アルスはすでに血煙をたてていた。アンチョビサンドが転がって、血の中に、魚の腐ったようなにおいがまじった。アルスが、権兵衛を射ようとしたのか、もともとトロデ王を狙っていたのか、それは死骸にきいてみねばわからない。

「次」
 出てきたのは、もょもとだった。
 丈は三等身に足るまい。太ったうえに首というものがなかった。むかしはラダトームの王にやとわれて、この男の前には洞窟も牢獄もないといわれた。ラダトーム、ドムドーラ、メルキドの城は何回となく忍び入った経験をもつが、スーファミが普及してからは、どの依頼もことわるようになった。
「年もとったことゆえ、わざわざ冒険せんでもよい。リメイク版をつくるだけでよいと先方は言うぞ」
 依頼をうけたトロデ王が口を酸っぱくして説得しようとするが、この男の返答はいつもきまっていた。
「まむずいか かるたとみぐじ ぞなのへみ まよれ」
「ばかめ」
 トロデ王は、にがりきる。もょもとは、新興のいっぺん宗という奇妙な宗旨に凝りはじめていたのである。いっさいの理屈をいうなといい、平素をつねに臨終と思えと説く。そのうえでパスワードをとなえれば、ただのいっぺん唱えただけでも、たちどころに新しく生まれ変わることができるという。
「ぶぶちまこ すぼとるてすた てめこそつ すろた」
「やめろ」
 トロデ王は癇をたてて、ちかごろはもょもとを呼びだすこともなくなった。
 もょもとは、剣しか持ったことがない。槍をだるそうにぶらさげて立っている。
 権兵衛は、ゆっくり刀を上段にあげた。据物を斬る姿勢である。もょもとは構えない。
「やあッ」
 もょもとは槍をぶらさげたまま、朽木のように倒れた。倒れた顔が、ひと声、
「いのきばば つるたちようし ゆうりきふ じなみ」
 と動いた。
「これで、また生まれ変われる」
 そう呟いて、息が絶えた。

「もうよかろう」
 ライアンが、ゆっくりと立ちあがった。
「諦めて、武器をすてい。国王を斬ったところで、どうなることでもない。また新しい国王が出るだけじゃ。わしにまかせぬか。国王の兄者を斬った罪も、仲間の勇者を殺した罪も、みんななんとか言いくるめてやろう。どうじゃ、まかせぬか」
 権兵衛は、張りつめていた筋肉が急激にゆるんでくるのを感じた。
(わしも勇者の宿命のなかから、しょせん、あがき出られぬものかも知れん)
 権兵衛は、武器と防具を草むらのなかへ捨てた。十数人の勇者がかれの前に立っていた。勇者どもが、権兵衛の眼からみれば、国王の命でうごく人形のむれにみえた。
「乗れ」
 人形が言った。権兵衛は馬車に乗った。そのまま馬車は動きだした。やがてとまった。
「降りろ」
 サザンピークの城の前でおろされ、あたえられるまま衣服をきかえた。絹のタキシードを着け、階段をのぼらされた。

 二階にあがると、広間のなかに背の高い男が立っていた。サザンピークの国王、クラビウスであることがわかる。
「兄者を殺してくれたそうだな。わしの王位が安泰になって、礼を言いたいくらいじゃ」
 王の大きな顔が笑った。
「権兵衛。われはきょうから、サザンピーク王家の養子と心得ろ」
「どうとでもして貰おう」
「来い」
 クラビウス王は、権兵衛の前に立った。広い肩幅が、権兵衛の眼の前で山のようにゆれた。隙がない。権兵衛は、この男にはかなわないと思った。
 クラビウス王は、細い長い通路を渡った。奧の扉の前でとまった。権兵衛をまねき寄せると、
「入れ」
 どんと、背をつきとばした。権兵衛は、アッと口をおさえた。儀式の間で綿帽子をかぶって座っている大きな馬は、馬姫に相違なかった。綿帽子のなかから声がした。
「来たか。権兵衛」
「あははは」
 クラビウス王がわらって、
「権兵衛、ずいぶんとしぶとい男じゃ。息子のチャゴスが、馬はいやじゃと言うので、こう膳立てした。おなじことなら、死ぬより馬姫と連れそうほうがましじゃろ。これからの末永さをおもえば、これも一種の刑罰かもしれん」
 そのクラビウス王を、横あいからトロデ王の緑の顔がにらんでいた。万事は、馬姫に泣きつかれてクラビウス王が仕立てたお膳立てなのだろうが、トロデ王は王家への嫁入りをのがして不満なのにちがいない。権兵衛は権兵衛で、しょせん勇者は国王の掌のなかだと思った。


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