下請勇者(上)

 北の洞窟でようやくドルマゲスを倒し、サザンピークにもどった権兵衛は、
「また、蔦刈か」
 とウンザリした。
 すぐその足で、帰参の報告にいった。権兵衛が馬車のもとに亀のようにうずくまると、トロデ王が馬車口まで出てくるのである。笑わなかった。
「権兵衛か」
 国王だというのに、この男の顔はしわだらけだった。かつて、呪いをかけられたせいかもしれない。声を惜しむように、気ぜわしく言った。
「なごう洞窟で暮らして、腰が鈍ったこッちゃろ。明朝からトロデーンへ出て、蔦刈りをせい。今夜は、これで酒でも買うて啖え」
 パラパラとゴールドが降ってきて、砂の上に落ちた。権兵衛は這ったまま掻きあつめると、
「へい」
 と言った。声がかすれた。毎度のことだが、この瞬間ほど、腹わたの煮えくりかえることはない。
「それでも、ただの衛兵よりはましや」
 わずかでも現金が入るからだ。と、権兵衛は自分をなぐさめた。

「ごんべえ」
 馬車を離れようとする権兵衛が、宿屋の入り口のまえで、つと足をとめた。馬が、左の前脚で足掻くようにして、権兵衛を招いていた。権兵衛はちょっと眉をよせて、馬に近づいた。
「おしゃがみ」
 馬が、権兵衛の耳もとにかぶさるようにして、唇を寄せてきた。まぐさのにおいが、馬の口のなかで蒸れている。
「父上が、なにか申されたか」
「なにかとは」
「ほら、あのこと。お前とのこと。夫婦になることじゃ」
「聞かなんだ」
「あのぼけ狸め」
「これは手ひどい」
 権兵衛はグスッと笑った。しかし、すぐ真顔になった。
 馬姫は、馬にはめずらしく睫毛が長く、体高五尺二寸。名馬といってよかった。ただ、たけり具合が強い。それに、馬体が大きいわりには直線が伸びず、終盤の競り合いで負けたというレースも、一二にとどまらない。一度G1にエントリーされたこともあったが、惨敗して戻った。年は、五歳になっていた。馬姫もあせっていたのだろう。たまたま、権兵衛がトロデーン城を出てゆくすこし前に、どちらが誘ったともなく裏の蔦影で種付けした。
「ごんべえ、そなたはよい勇者じゃ」
 ことが終わってから、馬は権兵衛の尻をほたほたと噛むようにして言った。「父上にたのんで、わが夫としてやってもよい」
 これには権兵衛も、あッと声をのんだ。夫にしてやる、と言われても、トロデ王家はサザンピーク王子が嗣ぐことになっているし、たとえ女婿となったところで、あのケチな国王が大公領のひとつもくれる道理がなかった。それどころか、身うちになればいま以上に搾られこきつかわれるのは火をみるよりあきらかだった。
「今夜、待っている」
 馬姫は、権兵衛の足もとで草を食みながら囁いた。西の泉へ来いというのである。あの泉で、僅かな時間ながら馬は人間に戻れる。それが嬉しいのにちがいなかった。
 しかし、その夜馬姫が指定した泉に権兵衛はあらわれなかった。権兵衛とともにドルマゲスを倒したゼシカが、王家の杖をうばって脱走してしまったからである。

「逃げたのは、ゼシカだけか」
「あれは気のそぞろな女ゆえ、杖の魔力にたぶらかされたのであろう」
 その夜遅く、勇者のひとりの小屋に権兵衛の朋輩があつまって、善後策を講じた。集まったのは勇者頭のライアンをはじめ、1のもょもと、3のロト、5のトンヌラ、7のアルスといった連中で、いずれも勇者として頽齢に達していた。
「逃げたか。ほんの先刻、青い顔で走っているゼシカを見たが」
 アルスがいった。廃疾者である。むかしマリベルに責められたのであろう、この男には右足がつけ根から無かった。他の老勇と同様、国王の情けで、老後を辛うじて養われている。
「かねがね、あれは申していた。申し条、無理のない所もある。若いころには一度はそう考える。勇者などしていて、生涯なにになるだろうかと。命を賭けて働いたところで、妻を飼えるほどの収入があるわけでなく、苦労して魔王を倒したところで、うるおうのは国王ばかりじゃ。年をとれば、これこのとおり、手近のわしらがよい見本ではないか。乞食せぬ程度にかぼそく生かされているにすぎぬ。世に、ドラクエの勇者ほどあわれな者はあるまい」
 板敷の上に、荒筵をしいている。筵のうえに、地酒の入った欠け茶わんが傾いていた。
「しかし、ゼシカがおらねば、わしらの寝酒にひびく」
 ロトがいった。事実、ゼシカをのぞけば、トロデ王のもとでは、すでに若い勇者のたねが切れていた。ほかに三人の若者がいるが、ひとりは遊び人ふうの女たらし、ひとりはいつ逃げるかしれない元盗賊である。なにより、四人いないとパーティが組めない。若い勇者の働きで集まる金銀のおかげで、老勇たちは老後の費えを得ているのである。
 勇者頭格のライアンが、剣槍ですだれのようになった面をあげてしずかに言った。「ゼシカは料簡をあやまっている。どうせ一本立ちの忍び勇者になって、いずれかの国王に雇うてもらうつもりかもしれぬが、勇者の回状がまわれば、雇うものもあるまいぞ」

「そのようなことより、勇者の掟をどうする」
 最後にもょもとが言った。みんなが顔を見あわせた。いわれなくてもわかっていることだった。脱走勇者は斬られねばならぬ。だが、この場合、ゼシカを斬ることは財政にひびくことであり、そのしわ寄せは、当然、老勇たちの養い扶持にこたえてくるはずだった。
「掟どおりにやるか」
「いや」
 一座のうちの半分がくびをふった。なだめて館につれもどそうというのである。「それでは勇者の掟が保てまい」と言う者があったが、ライアンは押しきった。結局、権兵衛がゆかされることになった。
 ゼシカを連れ戻せ。手に余らば斬れ。
 との命令を受けて。――


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