揉んではみたが

 その魔物にはじめて会ったのは、一行が船を手に入れてほどもないときであった。
 船はトロデーンを出た。月が出るらしく、東の空がいぶされたように色づきはじめていた。すべるように船は、西へとむかっていた。
 ククールは、ひとり帆柱の闇溜まりに影をひそめていた。
(きたな)
 ククールが身がまえたのは、その月夜の中であった。ククールは、影を数えた。七人はいた。同時に、軽いおどろきがあった。影は女のものであった。
 ここでククールは逃げるべきであった。が、そうはならなかった。女はククールに立ちはだかった。
「わたしが、デスセイレスだ。おまえに特技をみせてやる」
 しまった、と思ったが、やむなく中段にかまえた。その後数えきれぬほどの修羅場にのぞんだが、このときほど難渋したことはなかった。何度か、斬られかかった。
 デスセイレスは、ふしぎな特技をつかった。みずからの乳を揉みしだくような態勢から、無数のハートがぴゅっとククールめがけて飛んでくる。
(こ、これは、ゼシカが使っていたぱふぱふの技ではないか)
 ぱふぱふといえば街娘か味方の女が使うものというのが、ドラゴンクエストの常識であった。魔物がぱふぱふを使うのは予想外であった。そのために油断があった。
 ククールは何度かハートにからめとられ、その都度上気した。むざんなまでに構えが崩れ、その崩れをねらって攻撃がやってくる。ククールは、構えを崩して逃げるのが精一ぱいだった。

 その翌日から、ククールは一行を脱けた。しばらくもどらなかった。かれがこの間、どこへ行っていたか、たれもついに知らない。
 権兵衛は、ヤンガスと話して、
「おそらく、故郷の修道院にもどったんではないか」といった。
 ククールの父親は、近在きっての遊び人で知られていると権兵衛はきいたことがある。その遊び人の血が、息子のククールやマルチェロにもつたわっているといううわさがある。
「ククールは、おそらく兄に乳の受け手を学びにいったのだろう」というのが、権兵衛の推測だった。

 ククールがもどってきたのは、西の大陸についてしばらくしてからであった。
 その間、変転がある。大修道院や大仏の里をめぐり、ドルマゲスを追いつづけた。
 ほどなく北の島に道化師姿の男が逃げこんだという諜報があり、一行は北へと針路をあげて船をすすませた。
 見たことのある魔物にククールが出会ったのは、そのときのことである。

 船上の星空を背負い、山のように胸のみなぎっている相手の影をみながら、ククールは、肚の底冷えるようなおもいで、
 ――この女、覚えがある
 と思った。即座に、剣先を青眼に沈めた。やがてククールは手もとをすこし上げ、切っ先を敵の乳房につけるようにして間合いを詰めた。こんたんがあった。
 応じて、敵の影は崩れた。
 揉んだ、とこの影は表現されるべきだったろう。その瞬間、
 ――びゅっ
 と凄まじいハートのうなりが、ククールの目の前に巻きおこった。マントが切れ飛んだ。
(あ、やはりこの女であったか)
 それがデスセイレスであったと気づいたときは、すでにククールの両足は、甲板のうえでトントンと奇妙な調子をとっていた。
 ぱふぱふの攻撃は、ハートにかぎって胸ではない、とククールは考えた。餅か、さもなくば饅頭とみればよい。
「小僧、だいぶ、心得たな」
 デスセイレスは、はじめて自分が敵にしている男が、ククールであることに気づいたようであった。
「ほめてやる」
「すこしは、苦労してみた」
 ククールは、むりに笑ってみせた。が、呼吸を鎮めることがどうしてもできない。
 そこへ、横あいから大王イカの腕が襲った。よけきれず、したたかに撃たれた。
 ククールは、全身浴びたように汗みどろになりHPが少なくなっている。
「どうだ、小僧、もう一度受けてみるか」
「――ああ」
「足がよろけておるわ」
 デスセイレスは、ゆっくりと胸を揉みしだこうとした。
 瞬間、デスセイレスは、逆胴を割られ、体を宙にはねあげ、手古舞いを舞うようなさまで、地にたたきつけられ、絶息した。
 ククールは、生きていた。しかし、デスセイレスの死骸の下に組み伏せられるようにして臥していた。血がしきりとククールを濡らしたが、起きあがる気力も失せていた。
(やはり、餅だったな)
 遊び人だった父親の得意技に、これがある。デスセイレスが乳を揉むと同時にククールは、とっさに乳に顔をうずめた。餅つきで杵を避けながら餅を揉む要領である。夢中であった。気づいたときには、デスセイレスの死体がかぶさっていた。


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