雑話として

 数日前、私は、所用があって、この物語に登場する人物についてググってみた。
「ゼシカたん」1,350件
「ククールたん」8件
「ヤンガスたん」「トロデたん」各1件
 私は、ぼう然と、画面を見渡した。
 日本歴史は「萌え」でまがり、さらに「ハァハァ」でまがった。
 その場にひとかけらの漢もなく、ただネットは、見渡すかぎり、ヲタクの列である。
「そのおまえさんが、いい歳をして、ヲタクの一員じゃないか」
 と、この場に権兵衛がいれば、言われるところであろう。
「わしは、人を萌えでさそうような、陰湿なまねはしたことがない」
「なるほど、あんたのゲームはいつもお子さまむけだ」
 と私はいわねばなるまい。ドラクエ的世界というのは、いつも主人公が善であり美であると信じているところから出ているようである。
「前半期のわしは冒険者、後半期のわしは勇者として見てもらいたい」
 と権兵衛は要求するであろう。
 なるほど、勇者は、美と善を目標にしている。すべての陰謀も暗殺も乗っ取りも、ラスボス誅殺という勇者自身がもつ美的世界へたどりつく手段にすぎない。
 勇者にとって、目的は手段を浄化する。
「ならぬ」
 ということでも、やる。ドラクエ3の勇者は、同時に盗賊でもあった。遊び人でもあった。
 しかしながら、かれはその理想のためにその行為をみずから浄化し、その箪笥開けを「勇者御用」と称し、その強姦を「英雄色を好む」ととなえた。
 権兵衛も、かわらない。
 ただかれがこれまでのドラクエシリーズの勇者とちがう点は、その行動が八等身三次元アニメで描写されている点である。
 かれの割る壺は破片をまきちらしてとびちり、かれの壊す樽はたががはずれてころがる。かれが犯す女は、でかい乳をふるわせながら悶える。
 三等身アニメなら子供向きになるところを、リアルであるために、許しがたい行為とみられることになった。

 ところで雑談のついでに、この物語の前途を思いきって予測してしまおう。
 要するにこの物語は、かいこがまゆをつくってやがて蛾になっていくように権兵衛が悪徳という絹をまとって天晴れな悪人になってゆく物語だが、せっかく手に入れたものを権兵衛は活用できない。権兵衛が奪って歩いた権力と金と女と栄光は、ふたりの「弟子」にひきつがれる。
 権力と金をひきつぐのはトロデ王である。権兵衛がうばった城と領土を吸収し、一大帝国をこの世につくりあげる。姿はあのままである。その絶大な権力とおぞましい姿をひとはおそれ、「竜王」と呼ぶ。やがて「真の勇者」という男にほろぼされる。
 権兵衛の女と栄光を吸収したのはククールである。かれはドルマゲス退治の栄爵にかざられ、女にかしづかれ、やがて巨大な宗教結社をつくりあげ、善男善女から金と信心をむしりとる。やがて奴隷のひとりに反逆され、ほろびる。
 あわれなのは権兵衛で、大汗かいてかれらふたりに利をあたえる結果となった。産まれ故郷の城もトロデ王に追われ、鼠いっぴきを友として離れ小島でむなしく死ぬ。
「まだまだそれは、さきのことだ」
 と権兵衛はいう。そのとおりである。


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