梟の塔

 塔の屋上に入ってから、権兵衛はふと妙な気がした。塔の中は暗い。この塔を魔物から守るために毎日この塔の中で暮らしていたゼシカの兄サーベルトが、いまなお、この闇の中のどこかでゼシカを護っているような気がしたのである。
(やくたいもないこと)
 権兵衛は自分をあざ笑って、やにわに抜刀すると、リーザスの像を斬るように鉾先を斜めに天にはねあげた。像の目玉から赤い石がふたつ、こぼれ落ちた。そのとき、ふと後ろに気配を感じた。
 ゼシカが、真っ青になって、すっと立っている。怒りのために小刻みにふるえている。
「仇は、お前じゃ!」
「うろたえるでない。サーベルトどのを刺し殺したのは、ドルマゲスじゃぞ」
「うろたえてはおらぬ。ドルマゲスも殺す。お前も殺す」
「待て」
 権兵衛は咄嗟に体をひらいて、ゼシカの利腕を右脇にかかえた。ゼシカの手に赤く光るメラの炎がゆらめいている。
「放せ!」
「血迷うな」
 権兵衛はゼシカを抱いた。
「大人というものは、そうは勇ましゅうない。ことさら男と女の関係になると妙じゃ。わしに話すべきことがあっても、子供のそなたには話せぬ」
「いや! ……堪忍して」
 ゼシカはもがいた。裾を割って白い脛が出た。権兵衛は素早くゼシカの足もとに手をのばして、二つの親指を細引でしばりあわせた。
「この場で大人にしてつかわそう。女になるのじゃ」
「堪忍して……」
 権兵衛の手はゼシカの体の中にある。体だけは、ゼシカの子供っぽさを裏切っていた。その皮肉が権兵衛を苦笑させた。

 そのことが、終わった。
 権兵衛は、ゆうゆうと立ち去った。ゼシカはうずくまったまま、それを追う気力を喪くした。
 石畳にしゃがんだ拍子に、ゼシカの体の中にさきほど権兵衛が残していった男の体液が、無心にももの内側をつたわって生温かく流れてきた。権兵衛とのみじかい関係は、兄を喪わしめ、ついに権兵衛をもうしなった。ただその物質だけが、男女のむすびの虚しさを物語るように無心に土に帰するために流れている。
「帰る」
 ゼシカは、自分に云いきかせた。リーザスへではない。
「――消えてやる」
 ゼシカは、なにが可笑しいのか、くっくっと笑った。無邪気で、おどろくほど屈託のない笑顔だった。ぶざまな身を母の前に曝したくないのだ。下腹部の痛みだけは残っている。しかし、痛むということを除いては、ゼシカの情念は、兄の死への悲しみも悼みもドルマゲスや権兵衛への怒りも憎しみもなく、明るく吹き抜けに晴れていた。……ゼシカは、石畳から立ちあがった。そして塔の外へ出ると、とぼとぼと歩きはじめた。

「女め、ついてくるわ」
 ヤンガスは、吐き捨てるようにいった。
 彼がたかをくくったとおり、ゼシカは一行のあとをひたひたとついてくる。
「まあよいではないか。あの女はアルバート家の御息女じゃ。魔法のたしなみもあると聞く」
「女は、当てになり申さぬ」
「これも万一の用心じゃ。われらは、港へ向かう。船を雇うのにアルバート家の娘はなにかと役にたとう。さらに、海に魔物が出ることもある。そのときあの女を差しだせば、ひとときの時間稼ぎにはなろう」
「おそろしい人じゃな。女を連れてゆくのは、生餌に使うためであったのか」
 権兵衛は、ゼシカをくの一の術の対象にしか考えていない。くの一とは、女という文字を三つに分解してみればわかる。忍者の隠語である。
 世界を救う勇者にとっては、所詮、女とはくの一にすぎなかった。くの一の不幸は男の愛に感じやすいことである。これに愛をさえ与えれば、いかなる危険にも屈辱にも背徳にもたえうる至妙のさがをもっている。
「生餌に使うのは、なにも敵にだけとは限らぬ」
(ゼシカは想わぬが、ふしぎとあの体だけは脳裏を離れぬ)
 そのとき権兵衛は、自分でも気付くほどの下卑た笑いをうかべた。


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