重力の挑戦

「うむ、風のローブを、うむ、取りに行くのなら、ぜひ手助けしてやりたいんだが、どうにも、この部屋が汚くて、うむ、気が遠くなりそうじゃ」
 脳天気にそうのたまう族長の顔をはったと見据え、マリベルは一歩を踏み出した。
「それ、あたしたちに掃除をさせよう、そういう言葉?」
「うむ、まあそういう、別に客人にそこまで、うむ、してもらおうということではないが、うむ、まあ相身互いというか……」
 マリベルはまたもや一歩を進め、族長の視線をとらえた。
「あたしに掃除しろ、と言うのね?」
「いや、まあ、うむ、そういうことは……」
 マリベルはさらに進み、族長の胸ぐらをつかんだ。そうして逃げられぬようにしてから、額と額がぶつかるほどの近距離に顔を近づけ、ぎろりと睨みつけた。
「このマリベル様に、この小汚い部屋を掃除しろ、あんたはそう言うつもりなのね?!」
「ひ、ひひいいぃぃぃ、う、嘘でございますぅぅぅ」
 族長はその場にすとんと腰を落とした。どうやら腰が抜けたらしく、そのままの姿勢で、それでもマリベルから一歩でも遠ざかろうとして、ちょうど脚の五六本もげた手負いの海老が後じさりするような態勢でへたへたと移動した。そこで精根が尽きたらしく、動かなくなった。目は極度の恐怖に見開いたままで、なにも見ていなかった。失禁したらしく、股間から湯気が立っていた。

「なんなのよこのダンジョンは! 上下も左右もありゃしない!」
 族長から祭壇の鍵と、ついでに風の帽子もまきあげ、パーティは進んできた。しかし空の国の移動の厭わしさに、マリベルは音をあげた。
 重力から開放されたこの国では、上下の別はない。移動するごとに賽子の目のごとくくるくると移動する上下関係。めまぐるしく変わる視点。
「慎重に進んでいかないと、進路がわからなくなるわよ」
 やけになってずんずん進むマリベルに、アイラは注意した。 
「もう、わけわかんないわよ」マリベルは投げやりに答えた。
「だいたい、翼なんかつけてふわふわ浮いているから、あの族長みたいにはらわたまで腐った人間になったり、こんな変な迷路を造っちゃったりするのよ」
 マリベルはやけくそになって滅茶苦茶に歩き、ぐるぐる廻りながら天を呪った。
「こんな世界にいる風の精霊なんて、あてになるはずがないわ。どうせセーラームーンのキャラクターみたいな格好した、頭空っぽの馬鹿よ」
 ますます速度をはやめてぐるぐると回転しながらも、マリベルの愚痴はとどまるところを知らない。
「人間、やっぱり重力のもとで地に足をつけて暮らすのが正しいのよ。ふわふわ浮いてるから、重みのないふわふわした脳味噌になっちゃうのよ。やっぱり、きっちりと地に足をつけて生きてないと」
 重力のもとで……地に足を……きっちり……どっしり……重み……。
 マリベルの腰から腹にかけて、最近とみに実成りのよくなった部分を秘かに見て、この憎悪の理由が分かったような気が、アルスにはした。
 しかし、むろん口には出して言わなかった。もし言っていたとしたら、とんでもないことが起こっただろうから。


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