フィッシュベルの網元の家

 さて、この冒険の記録者であるところの私は、世にも悲しむべき報告を読者諸賢におつたえしなければならない。
 その年の九月のはじめごろ、私ははからずも冒険者の一員である、アルスとガボの訪問を受けた。ふたりとも顔色が変わっていた。
「先生、マリベルはどうかなすったんじゃないでしょうか」
「マリベルがどうかしたんですか」
 ふたりの話によるとマリベルはご父君の病篤いという伝えを聞くや、パーティを離脱してしまったという。私はしかしそれを聞いても驚かなかった。
 マリベルという女がなにか気にくわないことがあると、すぐにつむじを曲げてパーティから飛び出すということは、私がいままでたびたび力説してきたところである。
「それはしかしいつものくせじゃないですか。マリベルはいまごろ温泉でひとり酒」
「いいえ、それが今度はちがうんです」
「ちがうとは」
「おととい銀行から通知があってびっくりしたんですが、マリベル、私の口座からそっくり金を引き出していらっしゃるんですよ」
 と、その金額をきいて私もびっくり仰天せざるをえなかった。それはこのパーティが、精霊の鎧を全員に買えるほどの金額だったからである。

 マリベルがフィッシュベルまで飛んだことはたしかなようだ。アミット邸にいったん寄って、ご父君のお見舞いをした記録が残っている。しかし、その先の行方は誰も知らない。復活した大陸をふくむこの広い五大州のどこかへマリベルは消えてしまったとしか、いまのところいいようがない。
 網元のものは網元へ返せというが、ふとした好奇心から冒険の旅に巻き込まれ、その凶暴さと残忍さでいくたの魔物を退治したマリベルは、忽然として好奇心の消滅とともに冒険の旅から消えてしまったのであろうか。それとも新旧の時空のはざまで蒸発をとげたのだろうか。プルジオはその膨大な情報網を動員して、マリベルの行方捜査に当たらせたというが、いまだに成功したという話を私は聞いていない。

 私はいまこのうえもない悲しみを怺えてこの稿を草しているのだが、しかし、いつまでも悲嘆に暮れているばかりではいられない。
 失踪するまでマリベルは戸田の私の寓居を訪れてこういった。
「先生は長いことスランプで筆を執ることを休止していられたが、あたしはその間もいろいろ活動していたんですよ。ここに二、三当時の事件の記録があります。気がむいたら書いてください」
 私はこれをマリベルの遺言だと信じている。遺言は守らなければならない。私はいま無限の悲哀とたたかいながらマリベルが残していった、膨大な資料と取り組んでいるところである。


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