野生児の世界

 石棺の中から現れたのは、何の変哲もない、もとサラリーマンみたいな男だった。
「な、何者だ、おまえ?」
「きっといしかわじゅんよ。苛めちゃえ苛めちゃえ」
「いや、違います。いしかわじゅんじゃありませんったら」
 マリベルに殴られた男は、情けない悲鳴を上げた。
「わたくし、魔王でございます」
「魔王?」
「はい。あなた様がたにやられちゃいました時、どうやらわたくしめの魔法が自家中毒を起こしたようなんでございます。ま、それで、魔物が人間になっちゃいました、ということで」
「なら、なんでこんなところにいるんだ?」
「やはり人間になりましても、元魔王というのは、なにかと差別されますし、就職もむずかしく、年金もなし……そんなわけで、この洞窟にひきこもって生きている次第でございまして」
「なんか、情けない性格になっちゃったわね」

「ガボ!」
「ああ、こちらのお坊ちゃんは」もと魔王は、ガボの方に振り向いた。
「あの折り、わたくしが人間の姿に変えてしまった白い狼さまでございますね。いやあのときは、命令とはいえ、まことに申し訳ないことを」
「おい」キーファが聞きとがめた。「お前に命令しているやつがいるのか。ひょっとしてそいつが、この封印された扉を開けて、お前を放ち……」
「あ、いや、お忘れくだされ」もと魔王は頭をかいた。
「酔余の戯言でございます。それよりもガボ様、お詫びのしるしに、元の姿に戻してさしあげましょう」
「おい、ちょっと待て……」
「ガボ!」
「あ、いや、ご遠慮召されるな」もと魔王は、なにか勘違いしているらしかった。
「わたくしにもそのくらいの魔力は残っております。はあっ!」

「うわっ」
 止めようとしたキーファの動きより早く、ガボの身体がまばゆい光に包まれた。
「遅かった……か……」
 しかし、光が薄れたそこには、やはり少年の姿をしたガボが。
「ありゃりゃ。腕がなまってしまいましたか。失敗でございます」
「お……おら、喋れるようになっただか?!」
「ううむ、姿を人間から動物に戻すのではなく、心も動物から人間に変えてしまいましたか」
「おら、これで喋れるだ。マリベルやキーファとも、ちゃんと喋れるようになっただ!」
「けがの功名ってやつかな」キーファはひとりごちた。

 山を下りる途中、ガボは喋り通しだった。
「おら、嬉しいだ。おらが喋れるようになったこと、あの木こりの爺さんにも知らせるだ。きっと、喜んでくれるだ」
「ああ、わかった、わかった」キーファはうんざりして言った。
「頼むから、ちょっとは黙ってくれ。お前がこんなにおしゃべりだとは知らなかった」
「おら、いままで言いたいことも言えなかっただ。やっと話せるようになっただ。それを分かって……」
「ねえ」
 それまで黙りこくっていたマリベルが、とつぜん口を開いた。
「あなた、その喋り方、誰に習ったの?」
「おらだか?」
「そうよ。なんであなた、『おら』なんて言葉を使うのかしら?」

「そういえば、『おら』なんて言ってるやつ、今までいなかったよな」
 キーファも賛同する。
「誰からそんな言葉を習ったの? あの狼? 違うわね。狼は喋らないもの。村人? あの村には、『おら』なんて言う人いなかったわね。木こり? あの人とはちょっとしか一緒じゃなかったもんね。誰? 誰に習ったの?」
「そったらこと、おら、わかんねえだ……」
「ほら、その訛り。それもわからないわ。いったい誰から、そんな訛りを習ったの?」
「おら、そんなこと……」
「ううむ、そういえば、野生児や狼少年といえば、『おら』とか、妙な訛りで喋るというのが、通り相場になっているからなあ」
 キーファは考え込んだ。「ドラゴンボールの影響かなあ」
「風大左ェ門はどうかしら」マリベルは提案した。「ほら、あの人も妙な訛りだし、『おら』なんて言っていたし、ニャンコ先生に育てられたし」
「いや、あれは、柔道を学んだだけで、育てられたんじゃないだろう」
「『おら』といえば、『おらが大将』の田中義一よね。あれが総理になったとき、「オラガビール」なんて新製品まで作られたっていうじゃない」マリベルはガボを追求した。「あなた、長州出身?」
「……」
「どうしたのよ、ガボ」マリベルはにっこり笑った。
「なにか言ってよ」
「…………」
「言葉を失ってしまったようだな」
 キーファもにっこりと笑う。
「気を落とすな、ガボ。言葉なんかなくたってなんとかなるさ」


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