聖者の杖
「海に出たいのう」
去ってゆく漁船をみつめて、少年は呻いた。
漁船には、父親が乗っている。
この島では、男は十八になると船に乗る。
少年は十六だった。あと二年。しかし、少年の身には、二年は長すぎる。
はじめは「炊」という、最下級の使い走りである。年輩者に手荒く使い回され、ときに泣きたくなるくらいの目に遭う。しかし少年は、どんなに辛いめだろうと、海に出てみたかった。
この島は狭すぎた。
少年の住む漁村がひとつ。国王のいる城がひとつ。それだけの島だ。
牢獄に似ている。
「時期を待て」
いつの間にか、少年の横にひとりの男がいた。
国王の長男。王子である。
「わしも出たいのだ」
生まれたときから国王となることが義務づけられた人生。島から出ることは許されない。
一生を、国王としてこの島に縛りつけられて暮らす。
囚人に似ている。「すぐには船に乗れぬ。ものには、時期がある」
王子は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「まずは、あの遺跡の謎を解明することだ」
漁村の北に、古びた塔がある。
いつのころからか、王家の墓と言いならわされるようになった。
いまでは、霊威をおそれて近づく人もいない。
ひとりの学者が、王族以前の古代遺跡だという説を主張したが、受け入れられず、城下町から追放された。
それが、海岸に住んでいる。
王子は城で発見した古文書を、この学者に託し、解読を依頼していた。
「そろそろ、解読ができた頃だろう」「ふむ。この文句、『賢者の杖より、太陽の光迸り』というのが鍵じゃ」
海岸の一軒家に、世捨て人然として住んでいる老人は口を開いた。
「お主たち、いろいろ試してみたそうじゃな。太陽の指輪、パールの玉、ホットストーンか」
「ああ、でもみんな駄目だった」
「それはそうじゃ」老人はからからと笑った。
「太陽といっても、ここに書かれているのは、物理的な太陽じゃないのじゃ。いうなれば、象徴的太陽とでもいうか」
「象徴的?」
「ふむ。簡単に言うと、太陽と比喩されるようなもののことじゃ」
「はっきり言え。何のことなんだ」
苛立った王子は老人を問いつめた。
「お前さんがた、新聞は読んでおるか?」
「……いちおう」
「ふん、テレビ欄とスポーツ面くらいしか読んでおらんな。国際面を読んでみい。『太陽政策』という言葉が、最近よく出ているじゃろ」
老人は意地悪そうな顔で、「わしが教えるのは、ここまでじゃ」と話を打ち切った。「これだ!」
城の図書館で、新聞を読みあさっていた王子が大声を上げた。
王子は少年に記事を指し示す。
「韓国、北朝鮮に『太陽政策』続行 米二百万トン、肉牛五百頭を援助」「要するにあの賢者像に、いろいろ食い物をお供えすればいいんだ」
弁当と称して、山のような食料を城から持ち出し、王子は笑った。
「簡単なことだ」
ふたりは遺跡に急ぎ、賢者像の前に、山のような食料をお供えした。
「これで明日までには、何かが起こるはずだ」
もう日が暮れかけていた。王子は城へ、少年は家に帰った。その夜、少年の家の前が、妙に騒がしかった。
ほーい、ほーい。何人もの声が、そう聞こえた。
「この家の子かのーぅ」
ひとりの声が聞こえた。
「そうじゃそうじゃ。お礼をせにゃのーぅ」
もうひとりの声が答えた。
「んじゃあ、置いてゆくぞーぃ」
「そうじゃぞーぃ」
少年は窓から、こっそりと外を覗いた。
賢者の石像が五体、ゆっくりと歩き去っていた。
朝になって外に出ると、戸口にいっぱいの笠が置いてあった。