かもれば。

 世間の一部では、私が毎日犬とかロバとかタガメとか蝉とかばかり食っているという噂が流れているそうですが、べつにそういうわけではなく、普段は人並みにアンパンを食したりヨーグルトを食したりシアナマイドを飲用したりしておるわけなのです。もっとも毎日虫を食っているというのも、人並みにはあながち間違いではありません。実はみんなが食べているそのお菓子の着色料、虫の一部だったりするのです。実はみんなが食べているあの野菜の缶詰、1ポンドにつきアザミウマ何匹までなら検査オッケーという基準があったりするのです。
 そういういわれなき世間の偏見と闘うために、今回は世間一般人が好む珍味の話をする。今回は世間と妥協する。するったらする。
 鴨もしくは鵞鳥を閉所に監禁し運動不可状態に置いて嫌がる鳥類の口に穀物を無理矢理詰め込み人工的メタボ状態を作りあげ、その後殺害して病変した肝硬変の肝臓をむさぼり食らうという、一般的にはきわめて文化的かつ優雅とされる食品、すなわちフォアグラである。

 きっかけは知人宅でのホームパーティであった。
 そこでは各自食い物を持ち寄るべしとの掟があり、銘々チーズだのワインだの肉だのパンだの木の実だの草の根だの持参するのだが、なにしろ急遽酒が呑めなくなった新参者右党の悲しさ、買うといっても酒のアテ系の食い物しか思いつかず、かといって斯様なものを持参して自分だけ酒が呑めず苦悶するのも業腹なので、菓子でも買おうかと件の家に打診したところにべもなく断られ、うぬ、さほどに我を苦しめるか、かほどに我が憎いか、しからば是非に及ばず、いっそのことキャビアでも買っていくべい、と落涙しながら決意したのであった。
 なにしろキャビアなどというものはこれまでの生涯に一度しか食べたことがない。ちなみにいわゆるキャビアといって、パーティの席でクラッカーに載せたりしている、トビッコをイカスミで染めたような塩辛いだけの粒々、あれはキャビアではない。ランプフィッシュ、つまりカサゴ目ダンゴウオ科に属するヨコヅナダンゴウオの卵の塩漬けであって、れっきとした偽物である。当該リンク先にあるヨコヅナダンゴウオの姿とともに、ヨコヅナダンゴウオの卵と真実を告げると買う人が私と琴欧洲くらいになってしまうため、やむなくキャビアと称して売っているまでのことである。本物のキャビアはチョウザメの卵の塩漬けで、かように小さい粒ではない。イクラと同じくらいの大きさの粒で、灰色のものが本物のキャビアであり、これはきわめて美味かつ高価である。
 新宿高島屋の地下を彷徨すると、キャビアとフォアグラを売っている店舗を発見した。そこでしばらくぼんやりと、フォアグラの缶詰だのキャビアの瓶詰めだのを眺めながら、ううむ、キャビアは1万7千円か、1万ちょっとと予想していたんだが、また絶滅危惧種で値上げしたか。ならフォアグラでもいいなあ、ひと缶5千円からあるし、と思ってしまったのだ。この意志薄弱者め。たしかフォアグラも、これまでの生涯で一度しか食べたことがない。kasumi様徳田様の結婚式だ。
 あのときは雑文席などと称するカーテンの陰で、他のまっとうな賓客の目に触れないように隔離されながら、kasumi様じきじきにお選びになった珍味佳肴を食い葡萄酒を飲み、あまつさえ子供用の菓子まで取り上げて食らうといった御乱行を繰り広げ、さすが雑文書きの所行、やはり隔離し封鎖したのは正しかった、と新郎新婦に安堵の吐息をつかせたのであった。

 などと埒もない想い出にふけりながらキャビアとフォアグラをぼさっと眺めていると、さすが天下の高島屋、我がみすぼらしき風体を見て試食品をあさりに来たホームレスと判断し、しっしっ、と犬の仔を追うような声をあげたり、邪魔だからこれ持ってどこぞに去ね、と賞味期限切れのおからを恵んでくれたりなどの行為には及ばず、にこやかに、いらっしゃいませ、こちらは鵞鳥のフォアグラ、こちらは鴨のフォアグラになります、などと親切に応対してくれるのであった。
 あーチミチミ、鵞鳥のフォアグラと鴨のフォアグラはどこが違うのかね、僕に教えて呉れ賜へ、などとにわか通人の真似をして訊ねると、この田舎者の貧乏人め、貴様にはフォアグラもアンキモも区別がつくわけないんだから、さっさとおのれの居るべき池袋北口の立ち呑み屋でレバ刺しでも食って糞して寝ろ、などということは言わず、あくまで慇懃かつ親切に、鵞鳥の方は味が濃く、鴨の方があっさりした味わいであること、もともとは鵞鳥の肝臓のみをフォアグラと称していたが、最近では鴨のほうが数量的に増加し、フランス料理屋でも多くは鴨を使用していること、等を店員は教えてくれるのであった。
 こちらのほうは缶詰ですが、生のままスライスした切片を冷凍保存したものがこちらにございます。こちらのほうがお買い得でございますよ、塩胡椒して軽くソテーしただけでも美味しくいただけますが、こちらにソースのレシピもございます、などという店員のアドバイスにより、気がつけば自分は、冷凍生フォアグラ20片入り1万7千余円、というものを抱えて電車に乗っていたのであった。
 自分は海外旅行に行くとよくボッタクラれたりカツアゲされたり、店員のロボットと化して言われるままに高価な商品を買わされたりしたことがよくあるが、べつに海外に限った話じゃなかった、と気付いたのは電車を降りるころ、購入約30分後のことである。

 たしかホームパーティには11名が参加するから、そこで半分以上は消費するはず、と計算したのだが、皆は精神的にきわめて不安定な人間が蝉の死骸を大事に抱えて来たのを見るような目で私を見つめ、フォアグラに塩胡椒してフライパンで焼いたのだが、ナイフで細かく切ってちょっとだけ食べ、5片しか消費せず、こんなに高価なものだから残りはおうちに持って帰りなさい、と、4歳の子供が刀剣商に備前長船を売りにきたような対応で、残り15片のフォアグラを私に返却するのであった。わずかにひとり、ちょっとなら引き取ってもいいよという鷹揚な人がおり、その人に3片ほど押しつけたので、残りは12片。
 自宅に帰ってからとっくりと考えた。この食品を如何せん。ちょうど母親が来ているから、うまいこと言って食わせて2片消費しても残るは10片。やはりどこかに押しつけるにしくはないと、以前唐突にマッコルリを3ダース弱送りつけて困らせた家庭に連絡し、またも幸せな家庭を破壊せんとたくらむのであった。あのときはね、平日に配達されたマッコルリ、しかも4ダース買うと1ダースオマケというキャンペーンで5ダース60本配達されたマッコルリを、ま、1本くらいいいだろ、ビール並みのアルコール分だし、と飲み始めて十数時間。翌日昼ごろに2ダース目に手をつけようとしたところで、どうやら自分が典型的なアルコール依存症だと自覚して、酒にサヨナラを言うためにあと5本飲んだのだよ。
 そのついでにインターネットでフォアグラ用ソースの作り方を検索。せっかく親切な店員が渡してくれたレシピは、粗忽者の手によってさきほどのホームパーティに置き忘れてきたのであった。
 ということで先日、幸せな家庭に悪魔の使者が訪れ、フォアグラを以下のように調理して去っていったのであった。

 まずフォアグラは冷凍庫から冷蔵庫に移し、ゆるやかに解凍する。
 適当に解凍したら、塩胡椒をふって1時間ほど置く。
 コンロに点火し、フライパンを加熱する間に、フォアグラの両面に小麦粉を薄く、はたくようにまぶす。焦げ目をきれいにつけるためだけだから、見栄えに構わない人はしなくてもかまわない。
 フライパンには油をひかず、そのままフォアグラを投入して強火で加熱する。じゅくじゅくじゅく、という感じでどんどん脂が出てくる。一様に狐色に焼けたら裏返し、両面をきつね色に焼く。中まで火を通す必要はない。余熱が中心に達するくらいのところで火を止め、皿に移す。
 フォアグラから出た脂でソースを作る。マデイラワイン(甘口のワインならなんでもいい。ポートワインでも可。赤玉ポートワインでもいいかもしれないが、せっかくのフォアグラだ。そこまで節約することはなかろう)とバルサミコ酢を等分に入れ、アルコール分が飛んで半量になるくらいに弱火で煮詰める。これをフォアグラにかける。
 フォアグラのソテーはかなり脂っこいので、さわやか系の野菜を添える。クレソン、バジル、ミントなどが適当だそうだが、今回はペパーミントにしてみた。

フォアグラのソテー

 まだ5片ほど家に残っている。さて、これを如何せん。


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