貧乏の夜の友・安上がり丼

 金がないときは卵料理に限る、と中島らもはかつて語った。たしかに卵は安くてうまくてレパートリーが広い。スーパーで百円ちょっとで一パック買える。卵焼きオムレツゆで卵スクランブルエッグポーチドエッグ目玉焼きだし巻きカニタマおでん卵ごはんといろいろに使える。まさに貧乏人の友である。中島らもも、もうちょっと貧乏だったら麻薬なんか買う金がなくてまっとうに暮らせたのに。
 しかしこんな卵にも欠点がある。栄養価が高すぎるのだ。コレステロールがありすぎるのだ。卵ばかり食べていると生活習慣病で倒れてしまう。ダイエットの人や格闘技の選手は、ゆで卵の白身だけ食べて黄身は捨てるそうだが、それは淋しすぎる。だいいち私は貧乏なだけで、減量したいのではないのだ。

 さて、懐貧しきとき、夕飯をどうするか。とりあえず米は田舎から送られてきたものが残っているとしよう。飯を炊き、さてどうするか。ふりかけや納豆や卵をかけて食ってもいいが、夕食としてはなんとなく淋しい。貧乏でも淋しくない夕餉をとるにはどうしたらいいか。
 そんなときこそ貧乏丼の登場だ。どんぶり、というと、カツ丼とか牛丼とか天丼とか鰻丼が真っ先に思い浮かぶだろうが、トンカツや牛肉や天ぷらや鰻を買う金はない。なに、そんな高価なもの、買わなくても丼はできる。

 まずは卵丼。フライパンで短冊切りにしたタマネギを炒め、だしとミリンと醤油を混合したツユで煮込む。面倒なら市販のめんつゆで煮込めばいい。ふつうの丼なら、ここで牛肉や鶏肉やトンカツを投入してから溶き卵でとじるのだが、ここではなにも投入せずに卵でとじる。
 これではちょっと淋しいと思うのなら、カマボコの薄切りを投入してから、卵でとじてみよう。これで木の葉丼になる。カマボコの代わりにそぎ切りにした竹輪を入れると、竹林丼になる。ナルトを投入すると阿波丼になるのだろう。ハンペンを投入したら白雪丼になるのかもしれないが、見たことがない。
 ちょっと油みが乏しいとお考えの人なら、あぶ玉丼はどうだろうか。天ぷらは高いので、天カス(関東なら揚げ玉という)を投入して卵でとじる。

 もっとも、由緒正しい方のあぶ玉丼は、ちょっと作り方が違う。
 細切りにした油揚げと葱をツユで煮込み、これをとき卵でとじる。これをご飯に載っけず、そのまま食べる料理を「あぶ玉」と呼び、江戸時代の吉原で流行したそうだ。遊女とともに快楽の一夜を過ごし、ちょっと小腹のすいた夜中にこれを頼んで食うのが粋とされたらしい。貧乏丼と呼ぶなかれ。粋な料理なのですぞ。
 この油揚げのあぶ玉丼を「きつね丼」もしくは「志の田丼」、揚げ玉のあぶ玉丼を「たぬき丼」と呼ぶこともあるらしい。

 丼なんて要するに辛めの味付けの料理を作ってご飯に載せればいいのだ、と達観してしまえば、まだまだ安上がりの丼は作れる。
 故池田満寿夫が愛好していたものに、「コロンブスの卵丼」と「豆腐丼」がある。「コロンブスの卵丼」は、目玉焼きをご飯に載せてソースをかけるだけ。半熟にしてぐちゃぐちゃ混ぜるとうまい。「豆腐丼」は熱い飯に冷や奴を載せ、カツブシと葱を載せて醤油をかけるだけの簡単な料理。池田満寿夫の豆腐丼は和風だが、カツブシと葱と醤油の代わりに、ゴマ油と醤油で豆板醤をじゅうぶん炒めて豆腐にぶっかけると、北京風の熱豆腐丼となる。
 あるいは「チキン抜きのチキンライス」はどうか。みじん切りのたまねぎを炒め、溶き卵を投入してかきまわし、スクランブルエッグ風にする。これにたっぷりのケチャップをぶっかけて飯にぶっかけ、かきまぜながら食う。阪急デパートでは飯にケチャップをぶっかけただけのものを「ケチャップライス」と称して売っていたのだから、それに比べればはるかに豪華版だ。
 ペペロンチーニスパゲティの作り方を応用したペペロンチーニ丼。ゴマ油でみじん切りのニンニク、唐辛子を炒め、塩をちょっと入れてから飯にぶっかける。
 ツナサンドイッチの作り方を応用したツナ丼。キャベツのせん切りとツナ缶をフライパンで炒め、キャベツがしんなりしたらマヨネーズであえて飯にぶっかける。ツナの代わりにニューコンビーフを使ってマヨネーズの代わりにケチャップとタバスコを使えばテキサス丼になる。

 というわけで飯を炊いて丼にしようと思ったのだが。
 米がちょうど切れていたのだ。さんざん探し回ったあげく、台所の奥の奥に、米を入れた一升瓶を見つけたのだ。いつごろからそこにあったか、見当もつかない。まあ見た目は米だし、それしかないし、とりあえず研いで炊飯器に投入したのだ。
 炊きあがったものを覗いてみると、あざやかな黄色に変色していた。黄変米というのはこういうものか、と思わず感心してしまった。鼻を近づけると、なんだかイヤな臭いがする。腐敗臭ではないが、米の中に含まれるなにものかが化学変化を起こしたような臭い。
 この米を捨てるべきか、それともサフランライスだと言い張って食べてしまうか、まだ決心がつかない。


戻る