花見に華寿司

 また花見の季節がやってきた。
 花見になると恒例というのかなんというのか、ちらし寿司を作って参上することになっている。最初に持っていったときにうまくおだてられて、なんとなくそういうことになってしまったのだ。
 実はみんなうんざりしているのではないかとも思うのだが、まあ表面上は誉めてくれるので、花見の前日になると寿司を作りだす。本人も結構楽しいのだ。なにせずっと独りで生きてきたから、他人のためになにか作るというのが新鮮で面白いのだ。

 これまでは、料理教室で習ったちらし寿司を作っていた。
 ご飯に具を混ぜる関西風ではなく、寿司飯の上に具をのせる、関東風の寿司である。甘酢の味を抑え目にして、寿司飯にはいりゴマとみょうがだけを混ぜる。これに伊達巻き、エビ、鯛、ウナギ、きぬさや、ミツバ、イクラなどを載せて、刻み海苔をふりかける。
 これはこれで好きなんだが、今回は岡山の祭り寿司を習ったので、そっちにしてみようと思った。

 祭り寿司は華寿司ともいい、とにかく具の多さを誇る、見栄っぱりの岡山人らしい寿司である。
 なんでも岡山を治めていた池田氏があるとき倹約令を出した。町人の食事は一汁一菜、それ以上の贅沢を禁ずと。ところがひねくれ者の岡山人だから、そんなおふれ、素直に聞くはずがない。ご飯にありとあらゆる山海の珍味や初物やぜいたく品を載っけ、これで一菜でございますとぬかした。
 寿司だってシンプルな方がうまいに決まっているので、ごたごたと具の数を増やすと味が落ちるのだが、そこは岡山の味覚である。味よりも見てくれ、ビューティフルよりもゴージャスである。
 いまでも岡山の人は花見だとか秋祭りだとか、みんなで集まるときにはこの祭り寿司を持ち寄る。そのとき、冷たい争いが繰り広げられるらしい。
「ほーほほほ、ウチはお隣より二品多かったわ。しかもお隣のお魚はサバ、ウチはヒラメ。これだけでも勝負あったわ。ウチの完勝ね」
「きぃくやしい。あなた、これは子々孫々まで残る屈辱よ。見ていらっしゃい、来年こそは勝ってみせるわ。そうだわ、フォアグラとあんきもと上海蟹を追加するのよ。夏のボーナスをすべてつぎ込んでも勝つのよ」

 母親が岡山出身なので、母親や親戚が作る祭り寿司は何回か食べたことがあるが、自分で作ったことはなかった。とりあえず、習ったとおりに作る。ただし具の数は勝手に増やした。これも岡山人の血のなせる技か。

 まず、ご飯と混ぜるほうの具の前準備。干し椎茸、カンピョウ、高野豆腐、タケノコ、こんにゃく、ゴボウ、ニンジンを二番だしと砂糖と醤油と酒でことことと煮込む。私の判断でこんにゃくとゴボウを加えた。たしかうちの田舎では入れていたはずだ。
 すっかり煮含まったら、これをみんな、一センチ角くらいに荒みじんに切る。いつもならもっと荒っぽく切っているような気がするが、今回はレシピ通りに。

 さらに載せるほうの具を準備する。イカは鹿ノ子に刻み目を入れて酒塩で炒ってから甘酢につけ、鯛は塩をして昆布ではさんで酢で締める。うなぎの蒲焼きは蒸しかえして串を抜き、タレと山椒をかけてざくに刻む。卵は薄焼きにして短冊に刻む。レンコンとうどは酢水でゆでて甘酢につける。きぬさやとアスパラはさっとゆがく。うどとアスパラはレシピにないが、今回は二十一世紀枠で加えた。寿司にアスパラは妙だが、細身のアスパラはきっとちらし寿司に合うと思うのだ。

 ご飯は固めに炊く。母親などが作る祭り寿司は、ご飯と混ぜる具をいっしょに炊いていたと思うが、今回はレシピ通り別に(後記。これを読んだ母から、「私もいっしょに炊いたりはしない。ご飯を炊いてから混ぜる」と。どうやら五目飯か炊き込みご飯と混同していたらしい)。炊けたら薄味の合わせ酢とかき混ぜ、さらに混ぜる具と紅生姜を投入。さらにミョウガとゴマも前回のちらし寿司から引き継いだ私の希望枠として投入し、かき混ぜる。
 これを器に盛り、イカ、鯛、薄焼き卵、レンコン、うど、きぬさや、ウナギを盛りつけ、海苔と木の芽を散らす。海苔と木の芽は私の神宮枠。本来なら岡山の祭り寿司はかえし寿司ともいい、重箱の底に載せる具を敷いてから寿司飯を盛るのが正統らしい。その理由は、ひっくり返して器に盛るときに奇麗になるようにとか、陰険で姑息な岡山県人の性格から来るとか、いろいろな説がある。まあ花見の席でタッパーをひっくり返すわけにもいかないので、今回は表に盛りつける。
 というわけで豪華二十品目、これにご飯や醤油や酒や酢や塩や砂糖や山椒やだしなども加えると三十品目という、とりあえず品目だけはゴージャスな寿司ができあがったのでした。ほかに何も食わなくても、これだけで一日の栄養はじゅうぶん。

 そして今、呆然と窓の外を眺めている。
 窓の外は雨。雨が降ってる。
 私はぎっしりと寿司の詰まった重箱ふたつを抱えて立ちつくし、いつまでもいつまでも滴り落ちる雨だれを見つめ続けるのだった。


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