タイカレーに挑戦

 また自宅に人を招くことになったので、なにか食い物を作らねばならない。
 前回はベトナム春巻きとベトナム風お好み焼き(既述)を出したのだが、あいにくとキュウリの苦手なひとがひとりいたうえ、春巻きはきれいなのを作ろうとするとこまごまとした材料費が意外にかさむ。いまは貧乏なのであまり金をかけるわけにはいかない。それに、もう春巻きの皮が切れている。
 炭火焼き、というのも考えたのだが、あれはその前に人を呼んだときにやってしまった。それにもっと費用がかさむ。だいいち飲んだくれる予定だから、炭火は危険だ。それにしても、北海道みやげのタラバガニ生脚の炭火焼きはうまかったなあ。もうあんな贅沢はできるだろうか。

 というわけで今回はてっとりばやく格安に、ご飯ものにすることにした。言わずと知れた大量生産大量消費の王道、キャンプや合宿で困ったら出てくる賄いの救世主、カレー。
 カレーといってもいろいろある。インドカレー、スリランカカレー、タイカレー、シンガポールカレー、西欧式カレー、トルコカレー、和風カレー、京風カレー、下野カレーなど地域による分類、キーマカレー、ラムカレー、野菜カレー、シーフードカレーなど素材による分類、レッドカレー、グリーンカレー、イエローカレー、ゴールデンカレー、レインボーカレーなど色による分類、陸軍カレー、海軍カレー、救世軍カレー、十字軍カレー、聖戦カレーなど軍隊による分類、屋台風カレー、おそば屋さんのカレー、松屋のカレー、COCO一番のカレー、インディのカレー、死にそうな爺さんのいる店のカレーなど店による分類、王子様カレー、ハウスバーモントカレー、甘口カレー、乙カレー、中辛口カレー、ホットカレー、十倍カレー、大辛カレー、ベリーホットカレー、激辛カレー、唐辛子わし掴みカレー、二十倍カレー、ムスリムホットカレーなど辛さによる分類。
 で、今回はタイカレーで鶏肉カレーでグリーンカレーを選択。タイのグリーンカレーときたら、当然のように大辛のカレーである。

 なぜタイカレーかというと、これは作るのが簡単だからだ。
 誤解のないように言っておくと、本式にタイカレーを作るのはとても面倒である。日本では入手困難な各種のスパイスやハーブが必要だからだ。
 たとえばグリーンカレーのペーストを真面目に作ろうとしたら、コリアンダーシードとクミンシードと鳥の目唐辛子とシャロットとニンニクとガランガルとレモングラスとコブミカンの皮とコリアンダーの根と黒胡椒と塩と蝦醤が必要である。聞いたこともない物体や、どこで売っているのか途方に暮れるしかない事象に満ち満ちている。鳥の目唐辛子って何だ。夜になると見えないのか。シャロットは若草か。ガランガルともなると、まるで水木しげる書くところの南方妖怪のようなまがまがしき語感ではないか。
 さらに、これらまがまがしき食材を、みじん切りにしたり石臼ですりつぶしたり炒ったり叩きつぶしたりしなければならないのである。そんなことができるかあなたは。見たことも聞いたこともない物体を。
 しかしこちらには、タイカレーの元というインチキ技がある。これを買ってくれば、上記の妙ちきりんな物体群を謎の手続きで創りあげたペーストがそのまま手に入るわけである。これを利用しない手はない。

 これはもちろんのことながら手抜きであり、インドから持ち帰った石臼でインド直輸入のスパイスをすりつぶすところからカレー作りを始めるおきかげ&けい氏や、カレーのためなら大阪土佐堀から知覧航空基地から山形のとんでもない山奥から札幌の魔境まで出かけてゆく大坪五郎氏に叱られることは間違いない。
 しかしこれから作るのは、手作りこだわる哲人肌のインド人が作るインドカレーではなく、アバウトでいいかげんなタイ人が作るタイカレーである。手抜きもタイ風味のうち。手抜きとちゃらんぽらんこそ、タイの味なのだ。

 まず鶏胸肉に塩胡椒をすりこみ、フライパンで狐色に焦げるまで炒める。鶏肉を取り出してから、鶏の脂でナスを炒める。鶏は炒めてからぶつ切りにする。
 別にサラダオイルでココナツミルク半カップとカレーペースト二袋をじんわりと炒め、表面に油の被膜が浮いてきたら鍋に移し、ココナツミルク一カップと水を加え、ベトナム産のフォーキューブとかいうスープストックを加え、煮立ったら鶏とナスを加え、さらにピーマンとエリンギも加え、ぐつぐつと煮込む。ピーマンは赤でないとグリーンカレーの色に映えないと料理書は語るが、そんな体裁を気にしていてはタイではやっていけない。緑でよろしい。
 最後に唐辛子と砂糖とヌクマムで味をととのえる。唐辛子は日本のものではなく、ちびで死ぬほど辛い鳥の目唐辛子でないと駄目だと多くの料理書は言うが、そんな細かいことを気にしてはタイ人はつとまらない。バジルを入れろとすべての料理書は命じているが、ないのでそれも省略。ないものはない、それがタイの生きざまだ。どうせフォーキューブやらヌクマムやらベトナムとの合作なのだ。ベトナム人もアバウトな野郎どもだ。いちばんいいかげんなのはもちろん私だ。
 ことことと煮込み、表面に脂の皮膜が浮いてくるようになればできあがり。

 タイカレーはジャガイモや小麦粉を使っていないのでスープに粘り気がなく、さらっとしている。だから国産米のご飯にかけると、飯が水分を吸収しすぎておじやのようになってしまう。長細くてぼそぼそのインディカ米があればいいのだが、そんなものは近所のスーパーでは手に入らない(数年前、タイ米がどこでも手に入った時代が懐かしいなあ)。
 そこで今回は、スープカレー方式を採用した。国産米を固めに炊き、カレーはスープ皿に、ご飯は茶碗に入れて別々に出す。そしてカレーをご飯にかけるのではなく、スプーンですくったご飯をカレーにひたして食べる。

 当日は主婦や主婦経験者がいろいろと料理を作ってくれたり持ってきてくれたりしたのでありがたかった。カレーがどうなったかは、例のごとく酔っぱらってしまったのでよく覚えていない。翌日台所を覗いてみたら、カレーの入った鍋は空っぽになってきれいに洗われていた。これでよしとするか。


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