生肉で夏を乗り切ろう

 ジンギスカン率いるモンゴル帝国は、かつてアジア、ロシア、ヨーロッパにまで攻めこみ、広大な領土を支配しました。
 中国では元帝国をうちたてて漢民族や朝鮮民族を支配し、大和民族まで支配しようという野望を抱きました。
 中央アジアでは西遼、コラズム帝国、サラセン帝国、セルジュクトルコ等のイスラム諸国がほろぼされました。
 ヨーロッパはブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランドまで侵略され、ちょうどそのときジンギスカンの息子オゴデイ帝の崩御がなければ、ドイツやフランスまで占領されたのは確実といわれています。
 ロシアはモンゴルの支配下におかれ、イワン雷帝の時代まで「タタールのくびき」に縛りつけられていました。厳密にいうとタタールはモンゴルとは違う部族で、モンゴル帝国に征服された側ですが、どっちもアジアの遊牧民族でしたから、ヨーロッパ人はそのへんの区別はついていませんでした。
 昔の話だとおっしゃいますか。いや、今となってもモンゴルの影響はロシアやヨーロッパに残っています。モンゴル帝国の置きみやげであるアジア系イスラム教徒が、今でもロシアや東ヨーロッパの民族紛争の火種となっているのです。ソ連崩壊のきっかけとなったアフガニスタン内戦や、いまだにロシアと闘いつづけるチェチェン独立戦争、アルメニアとアゼルバイジャンの対立、旧ユーゴスラビアのボスニア紛争やコソボ紛争、すべてアジア系イスラム少数民族の扱いが原因となっています。ジンギスカンの呪いとでも申しましょうか。

 政治的経済的な影響のみならず、モンゴルは食文化にも大きな影響を及ぼしました。
 中国では一般に肉といえば豚肉なのに、なぜか隣の朝鮮半島では牛肉を多く食べています。これは朝鮮がモンゴルの支配下に置かれ、食用の牛や乗用の馬を育てる牧場にされた時代の食生活がそのまま残っているのだといわれています。
 春巻きはモンゴルの料理ではありませんが、モンゴルが中国もイスラム諸国も支配したため東西交流が盛んになり、パンで肉や干し果実を包んで揚げるイスラムの料理が中国に伝わったのだといわれています。
 また日本のしゃぶしゃぶ、北海道のジンギスカン鍋などは、モンゴル人が常食としていた羊の水煮、これが中国大陸を経由して日本に伝来したものがはじまりだといいます。
 そしてヨーロッパに与えた影響、それが今回のタルタルステーキです。
 しかしえらく大仰な前フリだな。たかが食い物にモンゴル帝国やコソボ紛争まで持ち出すことはないじゃないか。

 タルタルステーキはご存じのようにフランスの名物料理。その名前はもちろん、モンゴル人のヨーロッパでの呼び名タタールから来ています。肉を生で食べるというのはヨーロッパでは珍しいうえ、馬を食べる料理もヨーロッパではこれ以外にちょっと思いつきません。やはり異国から来た特異な料理といえましょう。
 しかしフランスではスタミナ料理としてかなりポピュラーだそうです。オペラ歌手などは公演の前にこれをよく食べるそうです。そういえば普仏戦争のときにも、砲弾で後半身がふっとばされた兵隊が、死んだ馬の肉を食べて生き延びた、という記録がありました。後半身がふっとんで消化ができたのかどうか疑問ですが、馬がスタミナ料理として認められている証拠といえましょう。

 よく通信販売で馬刺を購入していたのです。モンゴル産の馬だそうで、国産の馬に比べるとかなり安いのです。最初は素直におろししょうがやおろしニンニクに添付のつけダレで馬刺を食べていました。ときにはタテガミの脂身をいっしょに買って巻いたりして。
 そのうち、これを使ってタルタルステーキを作れないか、と思いついたのです。
 まず馬肉をこまかく切り刻んでミンチにする。フードプロセッサにかけてもいいですが、包丁で粗みじん程度に刻んだ方がそれっぽいかもしれません。
 これにニンニク、ショウガ、セロリ、パセリ、タマネギ、ピーマン、ピクルス、ネギ、香菜などなどの香味野菜を、こちらは細かいみじん切りにして合わせます。オリーブオイル、塩、胡椒、ちょっぴりの醤油を加えて、ハンバーグを作るときのようにこねこねと混ぜ合わせます。
 やはりハンバーグのような形に整え、お皿に盛ります。最後にまん中を少しくぼませて、そこに卵黄をのせてできあがり。卵黄を崩してまぜながら食べます。ちょっとくどいが、なかなかおいしかった。
 レストランで出すときには、薄切りのトーストや黒パンといっしょに出して、パンにのせてカナッペのように食べるらしいですね。

 馬肉が手に入らないのであれば、もちろん牛肉でも代用できます。タタキ用牛肉など買ってきて、肉をミンチにせずにせんぎりにすれば、韓国風ユッケになりますね。
 馬も牛も高いというのであれば、マグロで作ってはいかがでしょうか。マグロもさくどりしているものではなく、鉄火巻き用などと称して売っている、切りくずみたいなマグロで十分です。どうせミンチにするんだし。
 マグロのネギトロ風、などといって売っているものを買えば、ミンチにする手間もはぶけます。その場合はすでに脂が混ぜてあるので、オリーブオイルは不要。

 しかしこれ、翌日人と会う予定がある場合は避けた方がいいかもしれません。なにしろニンニク、ネギ、タマネギなど、匂いの強い野菜をいっぱい使っていますから、食べた翌日は息がひどいことになります。オペラ歌手は客の近くで歌うわけではないから、いいのかもしれませんが。一般人はねえ。
 むかしこれを食べた翌日にデートしたことがあります。出会って挨拶したとたん彼女は顔をしかめ、結局その日は二メートルより近くには接近してくれませんでした。
 タルタルがたたーる。


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