京都市三条診療所魚住玄通の意見


医療の需要と供給 2014/06/19

 たくさんの方が 医療の供給を望んでいるように思う。 そして 日本
全体が 医療の供給が足りないと 思わされている。

 妻が癌の治療で抗がん剤や大量の麻薬でろれつが回らなくなっている。
それを夫が病室で看病している。 癌の治療はこんなものなのだとかなり
の人が思い、自分の家族が癌になったら自分もそうしなければならないと
思っている。 それに応じる病院の医師。 
  
 アルツハイマー型認知症に夫がなったとき 激しい周辺症状を想像して
してしまう。 落ち込んでしまう妻 あるいは 出来なくなったことをけ
なしたり逆に極端に励ましたりする妻。 簡単に 薬を増やす医師。

 高齢になるほど 高血圧症、高脂血症、動脈硬化関連の疾患、掻痒症な
ど皮膚疾患、 加齢に伴う目、耳の疾患、 いろんな部位の悪性腫瘍がふ
えていく。 ついついお薬を増やし やめることを忘れている医師。

 本人、家族の希望も聞かずやたら入院をさせて治療しようとする医師。

 状態の変化にたいして医師の説明を受けていないので 不安だけが募り
 入院を希望する本人 あるいは 家族 それに従う医師。

 見つけて治すことばかりに重点がおかれた癌の政策。 

 ケアマネージャーや看護師が十分働いていれば 医者の仕事は少しで済
む。 病状のチェック病態の把握、予測、説明、診断書の作成などが主な
仕事 治療そのものに医者が働く事はない。

 以上のことを改善し、人々の同意が得られるならば 医療の需要も供給
もへり、医師不足もなくなり、医師の所得もうんと減るだろうと思う。

医師はたくさんの方の 生死を見てきている。  ある程度としがいった
医師は自分の既得権益をすてて、ひとびとの生死の提案のすべきではない
か。



  

2011年東山医師会での新年会挨拶

昨年の大震災のあと 私の家内が携帯を持つようになって、メールで連絡をとるようになりました。 兄がFacebookをつかって 私のふるさとの様子を写真で伝えてくれるようになりました。 大人になって疎遠になっていた とおくの いとこたちの 暮らしの様子がFacebookをつかってしることができます。  一方で、電気が無くなったとき、データが消失したり 取り出すことができなかったりした時 の 備えを 考えるように なりました。 さらに 巨大で複雑な原子力発電所を  理解して運用していなかった 事が露呈しました。 事故への対応が遅くかつ適切でなかったことが 沢山報道されました。   テレビが地デジ化され、戸惑う患者さんに沢山説明しました。 またインフルエンザワクチンのお金の支払いで、非課税の方は無料でした。その証明に 介護保険料の納付書に非課税と書いてある部分を 使いなさいとの京都市の指示でした。 これを理解した老人は50%はいなかったと思う。  せめて制度や決まりごとだけでも単純で使いやすく あってほしいものです。 以上 去年のさまざまなできごとがあった年でした。 それらのことが 今年を良い年にしてくれると信じています。
 以上平成24年東山医師会新年会のなかじめとさせていただきます。
 


 

そんな挨拶を考えていると、今朝の新聞に消費税増税素案に74%説明不足 共同通信世論調査 の文字が飛び込んできました。


 

何を説明してほしいのか考えてみました。 消費税を上げて景気が良くなるのか、社会保障が良くなるのか そのような説明だけでしょうか。

もっとほかのことを説明してほしいのではないでしょうか。


 

 社会保障と経済の事に関して高校生までにたいていの人は学んでいます。 需要と供給のバランスでもの価格が決まる。それで経済がうまくいくと思ったら 景気が上がったり下がったり繰り返した。恐慌にもなった。社会保障が導入された。需要と供給のバランスがとれるよう独占も禁止された。


 

 この程度のことで今の世の中説明がつかないことばかりなのです。 働きたいのに働けない人が多い。 企業の利益が国民の利益につながらない。 ものを作っても円高で売れない。 これだけ年金や税を負担しているのに その見返りが低すぎる。  関税や通貨の問題がないEUでの経済危機。 社会保障が十分であるはずのスエーデンでの殺人事件。 


 

 それらのことを考えながら生活していかなければならないのです。 それらに対する説明がないと 不安で説明不足と感じるのです。


 

私たちも医療を通して 考えて行かなければならないと思っています。


 

 以上平成24年東山医師会新年会のなかじめとさせていただきます。

 
 


今後の医療の目標(東山区の福祉事務所での講演より)





京都市三条診療所の魚住です。今日は大切な勉強会で皆様とお話ができることをありがたく思っています。診療所の医師として心がけてきたこと、問題として浮かび上がってきたことを述べます。医師、介護保険審査員ともに守秘義務を課せられた職業ですので、資料が公表されたもの、引用したものが多いことをお許しください。

 いろんなことを話して結論がぼやけてしまうかもしれませんので先に結論を述べます。

これは平成17年7月27日に厚生労働省老健局長から市長に出されたものです。

認知症を知る1年キャンペーンの実施についてかかれています。そこに 認知症を知り地域を作る10ヵ年の構想の一環であり2015年には認知症を理解し、支援する人が地域に数多く存在し、すべての町が認知症になっても安心して暮らせる地域になっていることを到達目標としている。 と書かれています。現在、情報化社会、車社会のなかで人がお金や欲望の食い物にされている状態です。安心して暮らせる地域から毎日毎日遠ざかって行っています。 このキャンペーンが空論にならないよう願っています。

私が開業したのは17年前、昭和63年4月でした。

 それ以前は大学や病院で内視鏡を使った診断や治療とその評価を中心に医療をいていました。 単に生活費を稼ぐためだけに医業をするのは空しいことでした。そこで開業医としての目標を立てました。




1.自分が診ている人だけでもがんで死ぬ人を減らすこと。でした。

これは、厚生労働省人口動態統計から悪性新生物がんや白血病の死亡率の経年変化を示しています。がんを漠然と怖がるのではなく、個々の癌と特性をしり対策をとることです。それによって確実に減らすことが可能でした。胃がんは、早期発見して、切除すれば確実に死なないですみます。また食習慣の変化によって胃発がん物質のヘリコバクターピロリの保有率が減っていったので胃がんそのものの発病が減っています。

肝がんはいったん減ってまた増えてまた減っています。これは、C型肝炎ウイルスの広まり方と密接に関係しています。戦後急速に肝炎ウイルスがひろがり、時間が経って肝がんを発症する人が増えたからです。C型肝炎の治療によって肝がんの発症をなくすることができますがまだ確実ではありません。CTやエコーの発達で小さな癌を早めにつぶすという方法が取られています。また、B型肝炎ウイルスは母子感染がなくなることによって、B型肝炎からの肝がん発症はなくなっています。大腸がんは食習慣の変化によって増えているのですが、これも弁潜血反応、レントゲン検査、内視鏡検査を行い早期発見によって減らすことが可能です。膵癌がふえていますが、これはいまだ早期発見ができたとしても1割も助かりません。食道癌は早期発見が可能ですが広がりが早く、治療に失敗することがあります。強い酒とタバコをやめることです。肺がんも治療法が進んでいますが、いまだもうひとつです。タバコをやめるしかありません。CTを用いた早期発見、侵襲の少ない内視鏡手術が広がりつつあります。白血病は抗癌剤などの治療法によります。専門家の養成が必要です。

 というわけで、リスクを考えながら、せっせと内視鏡をし、レントゲンを採り、エコーの検査をし血液の検査をしてきました。これでかなり癌で死ぬ人を減らすことができたと考えています。

2.脳卒中、心筋梗塞の発症を減らすこと。

脳卒中や心筋梗塞で急に身近な人が亡くなることも大変なことですが、後遺症が残って生活していくのもつらいことです。 この目標のために、医師としてできることは血圧のコントロールとコレステロール値を下げることです。幸いにして、血圧を下げる薬も、コレステロールを下げる薬もここ10年で大変進歩してきました。また、薬の評価法も進歩しました。さらに、救急体制もよくなり、開業医と病院との連携もうまくいくようになりました。


3.在宅医療、介護保険事業のへの参加

  そういう状況の中で人口構成が高齢化し、高齢者世帯、1人暮らし世帯が増加している。

  京都市特に東山区 ではそのスピードが先を行っています。増大する医療費を抑えるた

  め、施策のひとつとして在宅医療が推進されました。同時に1世帯の中で介護は支えきれず公的介護保険が1997年平成9年に導入されました。経済的な側面から医療保険と介護保険を比較すると、大きな違いがあります。医療保険は出来高払いせいで、介護保険には区分支給限度額があるということです。ですから、サービスを利用する人数を予測できれば介護保険にかかる費用は予測できるということです。介護保険がないとき、独居や高齢化世帯の在宅患者さんを診なければならないとき、デイサービスとヘルパー、訪問看護婦、往診のセットで1週間を何とか埋めるということをしていました。 福祉が“施される”から、介護保険後は“サービスを利用する”ということになっています。 ここで、介護サービスを利用するまでの過程を復習します。



  現在介護保険はかなり浸透しています。しかし、サービスの利用が定常状態にはまだ達していません。増加しています。そのため介護保険制度見直されています。来年度から変わる予定です。

4.認知症について考える。

普段高血圧で診ている方の中から認知症を発症する方が増えていることが実感されます。また、介護保険の審査をしていてると認知症のかたが多くみられます。調査票や意見書を読んで状態や状況を想像するとつらくなります。

 認知症のひとつアルツハイマー病とは、アルツハイマー病の診断基準によって診断された病気のことです。

 インフルエンザや高血圧症の人を見ていてつらくなることはありません。しかし、認知症はそれらとは異なります。従来の治療や介護サービスでよいとは思われません。

  介護保険サービス事業者から拒否される。介護保険の対象からはずされる。介護保険サービスを適応しても認知症に対しての効果がない。主治医意見書や調査票の中から認知症の人の心の中を読み取ることも難しいのです。

 また介護サービス利用のための情報提供書や診断書に認知症の人の心の中を書くことは大変難しいのです。認知症の人の家族の状況や気持ちを知ることも難しくその情報を伝えることも難しいのです。



認知症の人に医学的な対応だけでは限界がある。認知症の人の暮らしを支える人の心が必要である。人の心が薬である。失われた記憶をたどってあげたり、忘れるということで喪失感や不安感が生じているということを説明したり、喪失感や不安感を理解してあげたりするこが薬となる。喪失感が起こっているときに生活の中に起こる変化を生じさせないようにすることが大切である。怪我や病気をしないように、わからないところに連れて行かないように、知った人がいなくならないように、経済的な心配をさせないように、夜更かしをしないように、知らないひとにたくさん逢わさないようにしなければならない。 失われたことを埋めるのに精一杯、自分を保つのに精一杯で、新たな出来事がさらに失うものを大きくし.より埋めることが困難になる。そのため周辺症状が激しくおきることもあります。 喪失感や不安感そのものが失われ感情がなくなったように見えるのは、ほとんど末期になってからとおもいます。

 認知症の人の暮らしを支えるには認知症を知る人の心がたくさん必要なのです。現在の医療や介護保険サービスでは足りないことばかりです。

 








在宅での死について





治療、ケアに関して病院の役割がだんだん縮小され、在宅の役割が増加してきています。医療費を少なくするためには仕方がない流れであります。一方ここ20-30年の間病院で死ぬということが常識となっております。多くの人々が直接死の場面に向かうことがあまりありませんでした。核家族化の影響も一因となって、死というものを家族や親戚に伝えていくことがなくなっていました。またテレビやマスコミでは死に至る瞬間を放送したり、報道したりすることは通常ありません。死の"近く"までの本人と家族の心理を描いたものはたくさんあります。それらを見てか、若い世代の中には死というものが美しいものだと思う風潮さえ見られます。

しかし、実際死に至る過程にはさまざまなことが起こります。死の原因となる疾患によって、あるいはその人の諸臓器の強弱によって、死に至る過程が異なります。また、お薬、点滴、人工呼吸などの治療によっても異なります。各臓器や細胞が同時に死を迎えるのではありません。心臓が血液を送り出す力がなくなったり、脳の機能が悪くなったりすることによってさまざまな状態が引き起こされます。激しくあえいだり、痙攣が起きたり、血液や痰が気道をふさいで呼吸が出来なかったり、ときには眠っているような状態になって死に至ります。

ご家族が在宅で最後まで看つづけるためには、死に至る過程に耐えうる気持ちが必要です。また医師は本人や家族が耐えられるように、十分説明をしなくてはなりません。もし耐えられないようであれば、入院をして病室で死を看取ってもらった方がよいかも知れません。私は、在宅での死を迎えられない場合として次のことを考えています。一つ目は死を看取る家族が死に至る過程に耐えられないと判断したとき。特に体外への出血が多いとき、呼吸困難が予想されるとき。二つ目は本人が一分一秒でも長く生きていたいと強い意思を示しているとき。それらの場合病院で死を迎えた方がよいと考えます。それ以外の場合在宅で死を迎えることが出来るのではないかと思います。そして、医師は本人が愛する人に囲まれて死んでいくことが出来る状況を作ってあげる必要があります。

また死を看取る家族が以前から描いていたイメージの死と実際の死とのギャップが問題を引き起こすことがあります。自身の看護が悪かったのではないかと自分自身を責めたり、医師の治療が悪かったのではないかと人を責めたりすることがあります。そういう事がないように死に至る過程に対する理解が必要です。

今までのように病院で患者がゆっくりできなくなってきていることは残念なことですが、今後さらにその状況は進みます。病院で死ぬということが20-30年かかって受け入れられたように、在宅で死ぬということがまた20-30年かかって受け入れられるでしょう?

最後に、具体的にAさんの死はこのようだった、Bさんの死はあのようだったと例をあげて説明はしたくはありません。死を看取った人それぞれの心に秘めたものがあるように思います。例をあげるとそれらを壊すような気がします。具体的なことは直接人の顔が見られるところで、必要なときだけ必要な人に話したらよいのではないかと思います。



在宅医療





在宅これをご覧になっている方の中には、おうちでご家族の介護をなさっている方が何人かおられると思います。国の方針が在宅医療、在宅ケアにシフトしてから何年かがたちました。これを見直す機会がやってきているように思います。自宅、病院、老人保健施設、デイサービス、ショートステイサれらをいったりきたりする生活。疲れませんか?病気の方を家族が介護しなければならないという方式は、これで良いのかと思いませんか。ゴールドプラン、介護保険とさらに在宅ケアにシフトしていこうとしています。健康保険料があがり、医療機関での窓口の負担額があがり、さらに在宅介護で時間に縛られる、先行きに暗さを感じます。皆さんのご意見をお願いします。



介護保険





もうすでに始まり、少しずつこの保険が根付いてきている。ケアマネージャーと主治医の連携がもう一つうまく行っていない。被介護者、介護者はもっとケアマネージャーを利用してサービスの活用を図るべきである。いろんな法人がサービス事業者として参入してきたが利潤追求の事業としてはなかなか成り立ちにくい。ケアマネージャー(介護支援専門員)が兎に角忙しい。

介護保険と医療保険の政策の基本。

介護保険  Y=X1*A1+。。。。+X5*A5

Y:介護サービスにかかる総費用

X1:要介護1の方がかかる単価

A1:予測される要介護1の方の発生数

X2、A2は上におなじ。

 

医療保険 DRGになった場合

Y=ΣXi*Ai

Y:疾病にかかる総費用

Xi:各iという疾病かかる費用

Ai:各iという疾病の発生数

上記の図式がだんだん見えてきました。EBM,電子媒体でのレセプト請求、医学用語の統一などの医療のIT化は医療費のコントロールに欠かせないことであることがわかります。この方向がよいのかわるいのかは今のところ分かりません。しかし、認定診査で要介護度をこれだけ苦労して決めているのが現状ですので、たいへん困難なことが予測されます。

New 介護認定の矛盾 2009年4月22日

 要介護状態区分は介護保険法に基づいて厚生労働省令によって定義されている。申請された人の要介護状態はコンピュータソフトを使って要介護認定基準時間を計算し自動的に決定される(一次判定)。 改正前までは自動的に決定された状態(一次判定)を参考にしながら 要介護状態の定義に見合う状態であることを確かめて認定していた(二次判定)。
今は一次判定が要介護状態の定義に見合う状態かどうかは問題にされない。一次判定に追加される介護があるかあるいは必要のない介護があるかが検討され要介護認定が行われる。 これの意味するところはなにか。要介護状態に基づいた要介護区分ではなく、介護の手間で決定された要介護認定等基準時間が要介護区分を決定していることになる。  現在介護認定審査のテキストには要介護状態の定義は書かれていない。 一次判定の変更理由に要介護状態像を用いてはならない。と書かれている。 介護の手間による変更が可能とされている。
自立、要支援、要介護はすべて基準時間に基づいて定義されているということである。 介護保険法では申請した人の状態に基づいて区分を分けることになっているのに、厚生労働省令では認定基準時間に基づいて区分を分けることになっている。 厚生労働省令は運用面で介護保険法から外れているのではないか。
 このことはどういうことにつながるか。 認定基準時間は厚生労働省が自由に変更することができる。 要介護状態区分の人数を法律を変えることなく変更することができることを意味している。  要介護度を減らそうと思えは時間を短くすればよいのである。   介護保険にかかる費用を法律を変えることなくコントロールできるわけである。

 一方介護サービス利用の区分限度額が決定されているため 介護サービスを受ける人の数と金額をコントロールできるわけである。

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