ケルトの文様(その1)
1998/3/28
朝は何となく時間を過ごして、これといったことを、午前中は何もしなかった。
午後は、ずいぶんと元気を出して頑張った。特に、ケルトの文様についてのNHKのテキストの話は面白かった。こんな処で、ダブリンの古い聖書の模様の話が、結びつくとは。。。あの当時、インターネットで、あの模様を引っ張ってきた時には、まさか今日こんな形で話が繋がるとは思ってもいなかった。
成る程、言われてみると、今まで本当に真剣に、模様をじっと眺めて見たことがなかった。それと、草の模様と動物の模様との違いにも気が付かなかった。ゲルマンとケルトの同一性と違い。ギリシャとの違いはハッキリと分かる。
キリスト教の入ってくる前の、土着のものとの融和、と言うよりも、濃い土着の上に、キリスト教が乗り、キリスト教がやや半透明なために、下地のケルトは下から写っていると言うことだろう。どこの地方でも、どこの文化でも生じる現象である。
連続した模様のようでいて、繋がっていない。それでいて、連続している。収斂と発展。その間の中間の触媒。上下、左右、全体として対称型になっているとも限らない。何だか安定していない。グロテスクに近いところもある。
具体的ではない。具象でなくて抽象的かと言えば、そういう概念にも当てはまらない。何かもっと、別のもののように思える。それは力であり、作用である。神様の力、何かの霊、精、そんな概念に一番近いのではなかろうか。キリスト教で、或いはユダヤ教で言うところの、偶像の禁止の考えに一番近い。いやむしろ、曼陀羅の世界。これが一番近いのではなかろうか。
後の半分も、ゴシックの話もあるようで楽しみである。出来ればテレビの放送もみたい。このテキストを書かれた先生の鶴岡真弓さんに、この場を借りてお礼を申し上げます。