1998/03/21
今日はお彼岸の中日で土曜日。本当ならもう少し暖かいはずなのに可成り寒い。
朝7時頃に起きて、すぐに散歩に船戸の森に出かけた。未だ春の芽は少ないけれども、水仙がかなり固まりになって、黄色いのが咲いていた。昨日は風が強かったので、森の小枝が、たくさん落ち葉の上に落ちていた。いろいろの複雑な色。焦げ茶、茶色の枯れ葉の上に、濃い緑の葉や、小枝が落ちていて、それなりの面白い彩りをしている。靴で踏みしめながら歩くと、その感触が何ともいえない。普段、道路の上を歩いているのと違って、ふわりとしている。
今日はどうしたことか、小鳥の声が全然聞こえてこない。いつもは、もう少し様々の囀りが聞こえるのに。たぶん、昨日の強い風か、寒いからだろう。
杉の木の切り株で、大変に新しいのが一本あった。かがみ込んで、年輪を丹念に数えてみると、約60年だった。うんと延びている年もあるし、殆ど延びていない年もある。さらに、北側の成長しない方と、南側のうんと成長する方が、ちょうど半分ぐらいの処から、反対側に回り、逆転している。太陽は、何時も南側にあるのに、年輪の成長の幅が逆になっている。きっと、何かの環境の大きな変化があったときに、自然とそれに対応して生き延びて、成長してきたのだろう。
森で一番大きなケヤキの木は、未だ何の動きもしていない。梢だけで、未だ悠々としている。大人の貫禄なのだろう。
この小さな森を出たところの、農家の長い白い和風の塀は、何時もどうり静かにたたずむ。白い日本手拭いをかぶって、腰を曲げながら、掃除をされているお祖母さんには、今日も出会えなかった。病気をされているのだろうか。
塀の前に、小さな屋根がけがしてある。その下で、竹の斗ゆから清水が湧き出ている。そこに柄杓が架けてあり、”散歩の方へ”と小さくマジックで書かれている。それを見ると、何時も何となくほっとする。
旧家のIさんの家の前のドラム缶には、相変わらず、今日も大きな切り株などが投げ込まれ、暖かそうに火が燃えていた。途中で、後を追い駈けてきた暁子と出会う。何時も散歩のコースが決まっているので、先回りしてきたのと丁度出会う。
庭に、4〜5種類の梅を植えておられる農家がある。紅梅、桃色、白梅、その中間色、なかなか見事で、目を楽しませてくれる。暁子が、チンチョウゲの匂いが、すごく春先はするという。鼻の弱い私は、花の本当に近くまで寄らないと匂いがわからない。散歩をしていても、そのぶん、私は損をする。
柳はもう、7〜8ミリの小さな若葉を、どの枝にもつけている。近くで見ると、もう春そのものである。間もなく、手賀沼湖畔の葦も、一斉に若葉が出てきて、冬の景色を一変させるだろう。もうすぐ、本格的な春だ。
母と暁子のお母さんのお墓へは親雄さんが、今日、墓参りに行ってくれているはずだ。のんびりとしたお彼岸の朝である。
おわり