修羅の一族
MAHIRO MEMORIES
「ユウイチ君事件」の巻




貴方は同級生の為に
千羽鶴を折った事がありますか?








そういう書き出しから始まる今回の内容、



めずらしく重い内容です。






ここに当時の担任であったコダイラ先生の

児童父兄に向けたレポートがあります。



ユウイチ君 見舞報告 60.5.9
 四連休を利用して母親の実弟、実弟の奥さんが茨城から自家用車で松本のユウイチ君の家に来た。
 久しぶりに見えられたので、今年は善光寺の御開帳の期間中でもあり、御本尊の参拝を兼ねて、新潟妙高高原、池平にある妙高高原M寮宿泊のコースで、ユウイチ君一家(父、母、姉、本人)とおじさん、おばさん総勢6人でそれぞれの車に分乗して五月四日9時15分頃、松本を出発した。
 長野市で善光寺を参拝、長野市内を見学して午後五時頃長野を出発した。妙高高原池平のM寮(A社で運営している社員の福祉厚生施設、鉄筋コンクリート建 25名収容)に午後六時に到着した。(父親の話)
 早速、風呂に入り一日のつかれをとって、三階の食堂で午後七時半〜八時半まで楽しく夕飯をとった。父親とおじさんはお酒、ビール?飲んでいたらしい。母親とおばさんは夕飯あと食堂の下の(二階)宿泊する部屋で話をしていた。姉は三階の食堂においてあるテレビを見ていた。当日は15人〜16人の宿泊客が予定されていたがこの時間にはまだ見えず、寮のおばさんと女の子だけだった。
午後八時半すこし過ぎた頃ユウイチ君が二階にいたお母さんの所に行って「キャラメルちょうだい。」と言ってキャラメルをもらって、その部屋から出て一階へおりたか三階へのぼったか?いずれにしろ階段で一人遊びをしていたのだろう?(午後八時四十分すぎた頃?)間もなく、大きな音が二回、二階の母がいる部屋、三階の父親の部屋に聞えた。すぐおばさんが、ねんのため部屋から出て見るとユウイチ君が、一階のゆかに、やや上むきに顔をむけ、右手を前に出すようにして倒れていた。
 すぐ父親が現場へ行ってユウイチ君を抱き起こした。それから10分後に救急車が妙高高原M寮に到着。25分後に新井のH医院(個人経営小さい病院)でレントゲン写真二枚撮影した。(この間10分)この間に新潟R病院と連絡を取り、再び救急車で同病院に向かった。午後10時頃到着する。
 ただちに当番医が「頭の部分」「くびの部分」「体の部分」三枚のレントゲン撮影を行う。(長時間かかる)
 レントゲン撮影、結果、医師が両親に話されたこと
 体の方については致命的な打撲はない。くびの方も異状はない。
頭のほうは後頭部に10cmぐらい、たてにきれて出血していた。これは落下するときにきずついて出血したのだろうとのこと。
 とにかくショックが大きかったらしく脳と脳の間に脳かん?という所があって、そこがしょうげきによって、ちょっとねじれているか、まがっているのだろう――。もしここに内出血しても手術して血をとることはできない――。<医師が両親にされた最初の診断>
とにかく落下したしょうげきで興奮しているので全身麻酔(2日〜3日)した。この麻酔も体力との兼ねあいもあり、心臓に負担をかけるので、強い麻酔もかけられない。又いく回もつづけられないらしいとのこと。
 コダイラが見舞に行ったとき(五月八日午後2時五分)はコンピュータによる機械療法であった。
 これからこの機械療法から、はなれた場合(個人差もあるが)麻酔がきれて意識を回復してくれるか、くれないか、自分の力で呼吸しなくてはならないがこれからはユウイチ君の体力の様子をみていきたい…ということです。
心臓等については比較的順調によくなっているようです。
以上2:05〜3:30までご両親からお聞きした話の内容です。
いそいで報告文を書いたので文章がととのいません。お許し下さい。

学級担任からのお礼
 この度のユウイチ君の事故に対して校長先生はじめ諸先生全校のみなさんからいろいろとご心配をいただき本当にありがとうございました。
 千羽鶴はユウイチ君にとっては最高のお見舞だったと思います。まだ意識不明の本人ですが以心伝心きっとわかってくれたと思います。千羽鶴は早速母親の手によってまくらもとにかざられました。S小学校の全校の皆さんが一日も早く元気になって下さい…と呼びかけているようでした。
ほぼ原文のまま。伏字アリ。

以上が報告文です。

報告書本文は結構ぼかして柔らかく書いてありますが、




我々同級生がコダイラ先生から直接きいたのは
「ユウイチ君が旅行先でホテルの三階から転落、頭を強打して意識不明、
この二三日が山場…もしかしたらダメかもしれない…」

ってことでした。











これを聞いて同級生の一人、B君がぽつりと言った一言。
「ファミコンのカセット貸したままなんだよな…」













また、H君が言った一言。
「死んだら葬式いくのかな」












妙に現実的な同級生(小五)たち。













結局ユウイチ君は、その後、意識不明で生死の境をさ迷い、







11日目に意識を回復しました。





後年、本人に聞いたところによると、

「事故の直前の事は全く覚えていない。
でも意識が回復した時に最初に見えたのが千羽鶴だった」

ということです。




そして、

10年後逢ったとき、



自分は医者になりたかったといったユウイチ。






やはり

あの事故の体験が尾を引いているんだな。

















「女の患者きたらよ、
聴診器当てるふりして乳揉み放題じゃん」
(ユウイチ君:談話)













医者になりたかったって、










そっちの意味かよ。



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