act-3

 そのディスカウントストアの店内は閉店後の静けさに包まれていた。非常口を明示する標識の光が商品のおかれた棚や壁を薄く緑色に照らし出している。そこに置かれているトイレットペーパーや洗濯用洗剤の綺麗に積み上げられた山がこの店の行き届いた管理を物語っている。
 突然、店の奥にある従業員用の扉が無造作に開けられた。現れたのは頭の禿げ上がった小太りの男である。彼の着けているエプロンには『店長』という名札が付いている。彼は慌てた様子で店のレジカウンターのある場所まで走った。走りながらポケットから鍵を取り出す。彼は数カ所あるレジカウンターの中で『他のレジを御利用ください』と書かれたプレートが置かれているレジまで来る。取り出した鍵でレジを開けた。中に現金はない。そのかわりに封筒が入っている。彼は封筒をつかみ取り闇の中で苦労して枚数を確認する。そしてそれを掴んだまま走って従業員用の扉まで戻る。彼の顔からは汗が噴き出し、見開いた目は彼の置かれた状況がただならぬことを示している。
 彼は経理室まで来るとエプロンを脱ぎ捨て一息ついて辺りを見回す。机の上に置かれたセカンドバッグと青いブルゾン。変わった様子のない事を確認した彼は金庫を開けて中に置かれた現金の束と拳銃をとりだした。彼は持っていた封筒と現金をセカンドバッグに入れて拳銃をズボンのベルトに挟む。そして青いブルゾンを着込み部屋から出る。彼は二度と来ることはないであろうこの店にも、エプロンといっしょに脱ぎ捨てた店長という肩書きにも何の未練もない。
 と、彼は廊下の向こうに人の気配を感じる。一度ひいた汗がまた噴き出す。彼はベルトに挟んだ拳銃を抜き、そのまま一番近くにあった扉、つまり店内に通じる従業員用の扉を開けて中に逃げ込む。彼はまたさっきのように走り、店の正面口までくる。しかし電源を落としてしまった自動ドアは開かず、手でこじ開ける事もできない。冷静な時の彼ならばドアの脇に付いている鍵を開ければすんなり開く事に気づくのだろうが、今の彼はただ焦り、ドアのガラスを割ることさえ出来ない。
 彼はドアを背に店内に向けて拳銃を構える。彼の目には非常口を明示する標識の緑色の光に照らし出されたその者の影が見えている。

  ×  × ×

 明日、学校は土曜日で休みだ。そして今、僕は駅の北口にいる。クラスの有志で遊びにいくことになっているのだ。有志といっても僕と中沢と木村と大野の男4人と山口さんと河越さんと相田さんの女の子3人。こういうとき中沢はよく立ち回る。僕が昼休みに「今日、暇だな」とぽつりと言ったら中沢が「それならどっか行こう」といって大体いつもつるんで遊ぶ奴らに話をつけてしまった。こういうときは大概カラオケ。これが一番手っ取り早い。最近世間は厳しくて、高校生じゃ居酒屋には入れなくなってしまったし、喫茶店やファミレスじゃ何か物足りない。というわけでカラオケ。駅で制服から私服に着替えて、集合したのが五時頃。相田さんだけ遅れるって言ってたから、6人集合した時点で駅前の『ミレド』に行く。当たり前のように空いていて結構広めの部屋をとった。コーラやカクテルなんかを電話でフロントに頼んで、その間に中沢が歌う曲を選曲し始める。薄暗い部屋の中にブラウン管だけが妙に眩しい。少しの間があって、曲が始まった。中沢は「ジントニックは二杯目がうまいんだよ」とか、わかったようなことをいいながらミスチルかなんか歌ってる。あいつらしい。
 途中、山口さんの携帯が鳴って山口さんが部屋を出ていく。山口さんが戻ってきて中沢に言う。「相田さん、すぐ来るって」「いまどこだって?」「駅」「すぐじゃん」。五分後、木村がGLAYを歌ってる時に相田さんは来た。鞄を抱えて「ごめん、遅くなった」と言ってソファーに座る。息をきらしているのでそうとう急いで来たらしい事が分かる。木村や大野が歌った後、相田さんが歌った。曲は宇多田ヒカルの『First LOVE』。何故か悲しそうな声だったな。
 へべれけになってる中沢は木村に任せて、皆は駅まで来た。何故か駅には警官がいっぱい立っている。何かあったんだろうか。僕と電車の方向が同じだったのは相田さんだけ。とりあえず送っていくことになった。山口さんが聞きつけてきた。「何か、近くのスーパーで殺人事件があったみたい」どうも最近物騒だな。一人の警察官が近寄ってきて僕に聞いた。「君たち高校生か」「ええ。そうですけど」「早く帰れよ。もう十時だぞ」「はい」。僕は相田さんと連れだって駅の改札を抜けた。はじめて相田さんとふたりっきりになってしまった。すごく緊張する。何を話せばいいかわからないけど、とりあえず、「一人暮しなの?」と聞いてみた。彼女は「親が転勤しちゃって。高校決まった後だったから私だけ残ったの」と、あまり表情を変えずに応えた。「面倒くさくない?炊事とか洗濯とか」「慣れたから別に平気」「朝とか、ちゃんと朝食とってる?」「うん」…もしかしたら彼女、家の事はあまり話したくないのかもしれない。悪いこと聞いちゃったかな。僕は適当に話題をかえた。「警官立ってたな。何か事件があったみたいだな」…彼女は「なんだろうね。恐いよね。本当に」と言って持って いる鞄を撫でた。
 次の日の新聞によるとディスカウントショップの店長が射殺されたらしい。死体の回りには封筒が散らばっていて、覚醒剤が入っていたとか。あの店、そんなことしていたのか。警察は麻薬がらみで捜査をしているそうだ。どうも最近物騒だな。

   * * *

 「緑色の五月」は自分が今住んでいるマンションに戻ってきていた。「緑色の五月」は銃の入った鞄をソファーの上に置くと窓から外を眺める。住宅街は深夜の静寂と雨音に包まれている。「緑色の五月」がこのマンションに住み初めて1年と半年が経った。隣の部屋のいかにも新婚ですという夫婦とも多少仲良くなった。マンションに戻れば任務の指令がないかぎり自分は「緑色の五月」ではないから近所付合いも人並みにしている。社会生活に戻ったときは平凡な一市民であるということを忘れない。過剰防衛は身を滅ぼす。ただ必要最小限の事はしている。外出する時には部屋のドアを誰も開けていないことがわかるように小さな印を付けておくし、ドアチェーンに細工をしてチェーンを掛ければ一ミリもドアが開かないようにしている。寝るときもベッドでは眠らない。窓の鍵は開けておく。これが「緑色の五月」の必要最少限の防衛であった。
 今日の仕事はディスカウントショップの店長の消去。比較的簡単な仕事であったが仕事の後、駅で警官に呼び止められ、思わず鞄を持つ手に力が入った。今回は何事もなく事なきを得たが今後、武器を携帯したまま戻るのは危険である。これを今後の反省点として「緑色の五月」はシャワーを浴び、ソファーに座り込むと鞄に右手を置いたまま眠りについた。

 『アフター・ゼロ』はいぶかしげな顔のままカウンターの奥で本の整理をしていた。『緑色の五月』は鞄から数冊の文庫本を出してカウンターに置く。
「いい仕事をした。しかし、仕事の後がいかん。警察に捕まる気か。なぜ手筈の通りに駅からすぐに立ち去らなかったんだ」
「いろいろありましたので」
「注意するという事は任務の為でもあり自分の為でもある。死にたくなければ任務を遂行したらすぐに立ち去れ」
 『緑色の五月』は静かにうなずいた。それを見て『アフター・ゼロ』はカウンターの中から一枚の紙をとりだした。
「すぐで悪いんだが次の任務だ。武器は『グラバー』から受け取ってくれ」
 『緑色の五月』はその紙を受け取りながら訊いた。
「一つ訊いていいですか」
「応える義務はないが質問は聴こう」
「『グラバー』の脚、義足ですか」
 『アフター・ゼロ』は応えようかどうすべきか迷っているようであった。彼は『緑色の五月』の目を見据えると、ようやく低い声で言った。
「『グラバー』は自分で片足を切り落とした。理由は知らん。『グラバー』は『者』から武器配達人になったんだ」

 『グラバー』は指示された武器をスポーツバックに入れた。受け渡し場所はいつもの通り、駅のコインロッカーである。彼は外出用の義足をつけると黒いコートを着込んだ。
 彼の笑った顔を見たものはいない。いや、正確にいうと生きている人間で彼の笑った顔を見たものはいない。彼が『者』だった時代、彼に消された人間たちは皆、死の直前、彼の冷たい微笑みを見た。感情をどこかに置き忘れてきたようなその笑顔は死者をその死の後まで苦しめるような表情であった。しかし、現在、彼はその微笑みを浮かべることはない。何年か前に彼が自分で脚を切り落とし、『者』でなくなったときにその微笑みも切り落とした。
 彼は無表情で駅に向かう。それは義足で歩む者の特有の歩き方である。そしてホームで電車を待つ。手にはコインロッカーの鍵を持っている。もう何回、武器を配達したであろうか。今日は『緑色の五月』への武器の配達である。この所、『緑色の五月』に対する武器の配達が多い。
 電車がやってくる。『グラバー』は『緑色の五月』の姿を探す。しかし電車の中には見つからず、次の電車だなと思っていた時に、ふいに後ろに人の気配を感じて振り向く。
「『グラバー』ってお店どこですか」
「『緑色の五月』の前だよ」
 『グラバー』は鍵を渡して立ち去ろうとする。しかし、後ろから声が掛かった。
「…ねえ。なぜ脚を切ったんですか」
 『グラバー』はそのふいの質問に驚きながらも、しごく簡単に応えた。
「生きる為だよ」




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