第二章

 防護扉が閉められてから十六時間ほど経った。
 定例作戦会議はいつものようにヨコマノリカタ大佐の演説で始まるかと思われたが今日は違っていた。会議に出席している十四名は、

作戦本部長・ヤダトクサブロウ大将
参謀長 ・・・・コノヤマシロウ少将
主任参謀・・・ヨコマノリカタ大佐
参謀 ・・・・・・ヤマダフミオ中佐
・・・・・・・・・・タセヒロシ中佐
・・・・・・・・・・ヨシオトヨシヲ中佐
・・・・・・・・・・バイカンリュウキ中佐
・・・・・・・・・・ゲンナイヨウイチ中佐
・・・・・・・・・・ヨネカサノリアキ中佐
・・・・・・・・・・キイチレンメイ中佐
・・・・・・・・・・サカテイロウ中佐
副官 ・・・・・・キシタケアキラ少佐
・・・・・・・・・・エンセキユキツラ少佐
・・・・・・・・・・ケマスオキトラ少佐

であった。
(この中にはまだ紹介していない3人も含まれているが特に気にしないでほしい。作戦本部次長クナイサキユキ中将がいない訳は後で分かる。)
 いつものようにヨコマノリカタ大佐の演説がないのでヤダトクサブロウ大将とヨコマノリカタ大佐以外の将校達はドギマギしている。こういうときは大抵なにか嫌な事が起こる前触れなのだ。そして将校達の嫌な予感は当たった。
 ヤダトクサブロウ大将は突然立ち上がり黒板のある所まで歩いていく。将校達の目線がヤダトクサブロウ大将の姿を追っている。黒板の脇まで来たヤダトクサブロウ大将は黒板を支えている支柱を指さした。皆の目線がそのアルミニウムでできた支柱に集中する。一時の静寂の後、ヤダトクサブロウ大将がこの場にできあがった緊張感をそのまま表現したような声で静かに言い放った。
「皆、この黒板の支柱を見給え。ここにあるはずのネジが抜けてどこかにいってしまっている。その為にこの部分がひび割れてしまった。誰かがここのネジを外したのだ。」
「この中に黒板を壊した者がいる。その者が名乗り出るまで作戦会議は行なわない。」
 そう言ってヤダトクサブロウは自分の席に戻り腕組みをして皆の方を見据えた。将校達は皆一様に机の上を見つめている。誰かが名乗り出るのを待っているのだ。そしてそのまま誰も一言も発言せずに時間が流れていった。
 長い沈黙の時間があり、さすがにヤダトクサブロウ大将の我慢の糸が切れかかってきた頃ヨコマノリカタ大佐が口を開いた。
「本部長閣下。実は自分はその犯人を目撃したのであります。」
「ほほう、それは誰だね。」
 ヨコマノリカタ大佐は一同を見回し、ある人物の前でその目を止めた。
「タセヒロシ中佐。貴様だな。私は目撃したんだ。」
 皆の目がタセヒロシ中佐に集まる。タセヒロシ中佐は答えない。
「おい、タセ、何とか言え。貴様。俺を無視するつもりか。答えろ。どうなんだ。」
 ヨコマノリカタ大佐は座ってブツブツと何かしゃべっているタセヒロシ中佐の傍らまでくるとタセの肩に手を置いた。タセヒロシ中佐は驚いたのかびくりと腰を浮かせ振り向きざまにヨコマノリカタ大佐の股間を手で打った。タセヒロシ中佐にはそんなことをする意志も余裕もなかったのだがヨコマノリカタ大佐の顔色は急に青ざめた。
「貴様!、何をするか!」
 ヨコマノリカタ大佐の手がタセヒロシ中佐の上着の詰襟を掴んで後ろに引っ張った。タセヒロシ中佐は椅子ごと横倒しになりコンクリートの床に叩き付けられた。他の将校たちが止める間も無くヨコマノリカタ大佐はタセヒロシ中佐のねっとりとした髪の毛を力一杯に掴んで引き摺り回す。タセヒロシ中佐は泣き叫び鼻水とよだれをまき散らしながらのたうち回った。そこから一番遠くに座っていたヤマダフミオ中佐や、近くに居すぎて何が起こったのか分からなかったコノヤマシロウ少将が漸く止めに入った時にはすでにタセヒロシ中佐は失神していた。それを見ていたヤダトクサブロウ大将がタセヒロシ中佐を指さして大声で怒鳴った。
「その根性の腐った輩を退席させろ!二度とこの部屋に入れるな!」
 ヤマダフミオ中佐に抱えられてタセヒロシ中佐が退席した後、定例作戦会議は何の滞りもなく進む。
「・・・報告では洋上の第五艦隊が・・・・・。」

 会議の最後にヨコマノリカタ大佐が思い出したように言った。
「あと逃亡未遂容疑のクナイ中将の件ですが。」
 ヤダトクサブロウ大将は表情も変えぬままいった。
「ああ、その件か。それなら、訓告と自室謹慎三日でいいだろう。」
 この甘い処置には理由があった。今回だけでなくいつもヤダトクサブロウ大将はクナイサキユキ中将のことには不可侵であった。それはクナイサキユキ中将がある特殊な階級の家柄に属していたからである。

 クナイサキユキ中将は自分からは何もできない男だった。その彼が「作戦本部」から逃亡しようとしたのは彼の自由意志というより本能に近いものであった。それまでも彼はずっと「帰りたい」と思っていたのだ。だが転属願いなどは出せなかった。いや、出したいとは思っていたが自分から自分を包み込む状況を変えるようなことは彼にはできなかった。彼はただ呪文のように「帰りたい。帰りたい。」と呟いていた。その思いが防護扉の封鎖という逼迫した状況にぶつかって一気に爆発した。
「僕があの頃に、楽しかったあの頃に帰れないのは、あいつらみたいな奴らがいるからだ」
 彼はずっと拳を握り締め、呟き続けていた。
 クナイサキユキ中将の精神はすでに臨界点を越えていたのである。
 彼は武器倉庫の鍵を執務室の自分の事務机から取り出すと一目散に倉庫に駆け下りていった。その途中にタセヒロシ中佐がぽつねんと座っていた。鼻水を垂らして震えながら泣いているタセヒロシ中佐を見てクナイサキユキ中将はこの施設に来てから初めてタセヒロシ中佐に声を掛けた。
「タセ君、泣いているの?」
「・・・。」
「一緒に来ない?」
「・・・・・・。」
「一緒に帰ろうよ。」
 タセヒロシ中佐はぎこちなく立ち上がった。クナイサキユキ中将は静かな笑顔で彼を見つめた。

 精神回復室のナオミ嬢はベッドに腰掛けたまま何となくドアを見ていた。さっきまでユリコ嬢の部屋で談笑していたのだがいつもよりはやくヨコマノリカタ大佐が来たので退きあげてきたのだ。したがって非常に暇であった。大体毎日この階層に来るのはヨコマノリカタ大佐くらいなもので、そのヨコマノリカタ大佐にしてもいつもユリコ嬢の所にしかいかないから彼女はけっこう暇だったりする。そういう時は厨房室のケデニシフテツ少佐の所に食事の用意の手伝いにいく。だが今日はケデニシフテツ少佐に「昨日の内に材料の仕込をやってしまったから今日は来なくていいですよ。」と言われたので行く宛もない。防護扉が閉まっていなければ地上まで出て外の様子を見たりもできるのだがもうそれも出来ないようになってしまった。ミサキ嬢の所に行こうと思ったが彼女の部屋にはもうすぐヤダトクサブロウ大将が来るであろう。彼女はベッドを立って部屋をでた。ドアには「使用中」という札を掛ける。これで誰もこの部屋をノックしたりしないだろう。彼女は階段を上って防護扉の辺りまで散歩がてらに行ってみることにした。

 クナイサキユキ中将とタセヒロシ中佐は武器倉庫にいる。ここには敵部隊が施設に進入してきた場合に対抗するに十分すぎるほどの武器があった。彼がその立ち並ぶ棚の中から選んだのは、
 ◎ロ−三式対戦車ライフル×1
 ◎口径7.65mm六六式多用途機関銃×1および弾薬
 ◎高性能可塑性爆薬×3ケース
 ◎四八式自動拳銃×2およびマガジン
 ◎ルハ−116自動小銃×2およびマガジン
である。
この内ロ−三式対戦車ライフルとルハ−116自動小銃一式、そして四八式自動拳銃一丁をタセヒロシ中佐に持たせた。クナイサキユキ中将とタセヒロシ中佐はそれらをバックパックに詰め込むとふらふらと武器倉庫を出て階段を上がっていく。

 ユリコ嬢の部屋は電気が消されオレンジ色の非常燈だけが点いている。ベッドには事を終えたヨコマノリカタ大佐がまどろんでいる。彼女はベッドから降りるとヨコマノリカタ大佐の為にコーヒーを用意しはじめた。

 タセヒロシ中佐は精神回復室のある階層まで階段を上がって来ると立ち止まった。彼の目線の向こうにはユリコ嬢の部屋がある。彼がホルスターの四八式自動拳銃を握り締めている事から何となく事情を悟ったクナイサキユキ中将は階段を上る足を止めて言った。
「タセ君、僕、先に行っているからね。」
 今にも泣き出しそうなタセヒロシ中佐の姿を背にクナイサキユキ中将は階段を上がっていった。

 ナオミ嬢は完全に閉められた防護扉に背を凭れて軍服の胸のポケットから煙草を取り出した。一本の煙草を口にくわえライターを探す。あれ、忘れてきちゃったかな。煙草を口にくわえたまま両手ですべてのポケットを調べるが無い。
 ・・・カッ、カッ、カッ、カッ、・・・
 彼女は手を止めて耳を澄ます。階段を上ってくる足音が聞こえて来るのだ。こんな所で煙草を吸っている所を見られたら間違いなく怒られると思い、くわえた煙草を手の中に隠す。長いスロープの向こうに影が見えた。誰だろう。その影は段々近づいてくる。「ああ、クナイさんか。」彼女はほっと胸をなで下ろす。クナイサキユキ中将なら怒るようなことはない。ナオミ嬢のすぐ側まで近づいてきたクナイサキユキ中将は彼女の姿を見て足を止める。
 ナオミ嬢は指に挟んだ煙草を見せて尋ねた。
「ねえ、ライターある?」
 数瞬の後、クナイサキユキ中将はおどおどと答える。
「僕、煙草は吸いませんから。」
「あら、そうなの。」
「すいません。」
 彼女は指に挟んでいた煙草を箱に戻すと胸のポケットに戻した。ナオミ嬢に話しかけられて急にいつもの調子に戻ってしまったクナイサキユキ中将は立ったまま一言もしゃべらずじっとしている。彼女はこういう間が一番嫌いなので何かしらしゃべり続ける。
「防護扉閉まっちゃったけどもう出られないのかな。」
「ええ。・・・」クナイサキユキ中将は返事の後にブツブツと言葉を続けたがナオミ嬢には届いていない。
「これって六カ月経たないと開かないんでしょ。なんか健康に悪そうだよね。」
「・・・ええ。」
「今度太陽を見るのは六カ月後か。」
「ええ。」
「あっそうだ。これなに?この扉の所に点いているデジタルの数字。今の時間でもないし、なんなのこれ。」
 そのデジタルの文字は今22:56:39となっている。そして1秒毎に
22:56:38
22:56:37
22:56:36
 と、減っていく。
「・・・知らない。」
これだけ反応が鈍いと彼女も話す気力が無くなってくる。こういうときは一方的にしゃべり続けるのが良い。黙り続ける相手に質問するのはかえって会話を壊すことになる。会話が続かないのは相手が自分を嫌っているからではなく、単に相手が話すこと自体に慣れていないからなのだと、彼女は思うことにしている。
「私、多分この文字、何かのタイムリミットだと思うんだよね。時限式の何か。そんな感じじゃん。いかにもって感じだもん。ねえ、そう思うでしょ。」
 そうか。と、クナイサキユキ中将は思う。この扉は48時間以内だったら何もわざわざ爆破しなくっても鍵で開くんだっけ。鍵があればいいんだ。
「この文字がさ、ゼロゼロゼロゼロになった時にさ、いったい何が起こるんだろ。ちょっと楽しみじゃない?」
「・・・ええ。」
 そろそろ本気で煙草が吸いたくなったナオミ嬢は部屋に戻りたくなった。が、クナイサキユキ中将に「じゃあね。」というのもちょっとかわいそうだなと思い声を掛けた。
「クナイさん私の所に来ない?ねえ、来てよ。」
「え、でも・・・・・。」
「今すごい暇なんだよね。いいじゃん、ねえ。」
 クナイサキユキ中将はもじもじしながら下を向いている。このまま返事を待っていても埒があかないと思ったナオミ嬢はいきなりクナイサキユキ中将の手を掴むとそのまま長いスロープを走って階段を駆け降りた。

 タセヒロシ中佐は精神回復室の階層の便所にいた。彼は便器に座って泣いていた。低い泣き声がアイボリーホワイトのタイルで貼られた便所内に響きわたる。泣きながら四八式自動拳銃のマガジンをセットして安全装置を外し遊底を引いて弾丸を薬室に装填した。そしてバックパックからロ−三式対戦車ライフルを取り出し組み立てた。だが組み立て上がったロ−三式対戦車ライフルはタセヒロシ中佐には重すぎた。部品の状態でバックパックに入れて持っていた時には感じなかった重量感であった。彼はそれを持って便器から立ったが便所の出口とは反対の方によろよろと歩いていった。両手で抱えたロ−三式対戦車ライフルが便所の壁のタイルなどに当たって悲鳴をあげる。彼はその甚だ重い代物を便所の奥まで持っていって扉の開いたままの掃除用具のロッカーの中に押し込んだ。そして彼は四八式自動拳銃とマガジン以外の持ち物すべてをそこに入れてロッカーの扉を閉じた。

 ミサキ嬢は自分の部屋の前に座っていた。何分か前にヤダトクサブロウ大将から連絡があって後で行くと連絡があったのだ。彼女はいつもは自分の部屋でヤダトクサブロウ大将を待つのだが、今日は部屋から出て待っている。今日は何故か慌ただしい。先程タセヒロシ中佐がリュックを背負って便所に行くのを見たし、ナオミ嬢がクナイサキユキ中将の手を引っ張って奥の部屋に入っていくのも見た。
 階段を昇る足音が聞こえる。ミサキ嬢はすぐにヤダトクサブロウ大将だと分かった。彼女は階段まで走ってヤダトクサブロウ大将を迎えに行く。彼女はヤダトクサブロウ大将の手に抱きつく。ヤダトクサブロウ大将もミサキ嬢にさせるがままだ。そのままの格好でミサキ嬢の部屋の前まで来ると立ち止まり辺りを見回す。
ヤダトクサブロウ大将の目が奥の部屋の「使用中」と書かれた札にとまった。
「奥のナオミ嬢の部屋を使っているのは誰だね。」
「ああ、クナイさんっていったっけ。ナオミと一緒に入っていったよ。」
 みるみる内にヤダトクサブロウ大将の顔色が変わった。
「クナイ・・・。ここで待っていなさい。」
「はーい。」
 ヤダトクサブロウ大将は奥の部屋に向かって歩き出した。
 使用中の札の掛かったドアを乱暴に開けてヤダトクサブロウ大将は部屋の中にずかずかと入っていった。そこには呆然と立ち尽くすクナイサキユキ中将と全裸でベッドに座っているナオミ嬢がいた。
「クナイ中将。君は自室謹慎ではなかったのかな。」ヤダトクサブロウ大将は極めて穏やかに言った。
「ヤダさん。私が呼んだんです。」ナオミ嬢があわてて答える。
「ナオミに言ってるんじゃない。このクナイサキユキ作戦本部次長に言っているんだ。ナオミは知らないかもしれないがクナイ中将は逃亡未遂容疑で自室謹慎中なのだよ。」ヤダトクサブロウ大将が怒りで目蓋の筋肉を痙攣させている。
「でも、連れてきたのは私なんです。」本当にそうなのだからとナオミ嬢は主張するがヤダトクサブロウ大将の目にはすでにナオミ嬢は見えていない。
「クナイ中将、君は少々私を嘗めているのじゃないかね。私が君に対して怒鳴りつけたりしたことがないから自分だけは特別扱いなんだと思っているだろう。だがな、それは貴様の出身が高貴な家柄だからだということにすぎん。防護扉が閉まった今ではそんなものは少しも問題にはならんのだぞ。そこを自覚しろ。馬鹿野郎。」
 ヤダトクサブロウ大将の声が段々と罵声になっていく。
「大体貴様はな、作戦会議でも発言もしたこともないし、書類も十分に書けた試しがない。糞の役にもたたんとは貴様の様な奴の事をいうんだ。貴様みたいなボンクラが我が軍を駄目にしたんだ。貴様の存在意義など少しもありゃせんのだ。その貴様が、お情けで生かされている貴様が、私の決めた決定に逆らうとはどういうことなのだ。飼犬に手を噛まれるという言葉があるが貴様は飼犬にもなっていない。貴様など単なる片端犬だ。せいぜい保育器の中で気張ってろ。」
 ヤダトクサブロウ大将が大声でわめきたてていたところにミサキ嬢がドアの外からヤダトクサブロウ大将を呼ぶ。
「ヤダさん。なにしてらっしゃるの。」
「すぐに戻るからまっていろ。」
 ヤダトクサブロウ大将はミサキ嬢にそう応じ、クナイサキユキ中将の方に近づくと唐突に手を前に出してクナイサキユキ中将の左胸の作戦本部次長を表わすバッチをもぎ取ってしまった。
「貴様を作戦本部次長の任からはずす。」それだけいうとヤダトクサブロウ大将は部屋から出ていった。ドアを勢いよく閉める音だけを残して。
 部屋の中に静寂が染み渡る。ナオミ嬢はクナイサキユキ中将を強引に部屋へ引っ張ってきた事に責任を感じている。
「・・・あいつのせいだ。」ぽつりと呟き部屋を出ていこうとしたクナイサキユキ中将は立ち止まって振り返り、小さな声でブツブツと付け加えた。
「後で、また。」
ナオミ嬢は声を掛けようと思ったが掛ける言葉も見つからず何となく彼の背中をベッドの上から見送った。
 部屋を出たクナイサキユキ中将はバックパックからルハ−116自動小銃を取り出し消音器を取り付ける。彼はその場から十メートル程の所にあるミサキ嬢の部屋のドアに向かって歩いていった。ルハ−116自動小銃はフルオートに設定されている。彼の顔はいくらかの決意と汗でテラテラと光っている。が、しかし、はたと立ち止まると回れ右してナオミ嬢の部屋に帰ろうとする。やっぱりだめだよ。無理だ。止めとこう。いや、でもな。クナイサキユキ中将はまた立ち止まる。あいつを殺れば僕は開放されるんだ。あいつをこのままにしていったら僕は駄目になる。永遠にあいつに怯えて生きて行かなきゃならないんだ。だからあいつを殺してから帰らなきゃ意味が無いんだ。でもな。あいつを殺したら上官殺しだもんな。上官殺しは確か銃殺だったっけ。やっぱり止めとこうか。そうだよ。このまま階段を上って防護扉まで行こうよ。あっそうか。防護扉の鍵が必要なんだっけ。あれはカンジョウさんが持っていたような気がするな。鍵か。貸してくれるかな。無理だろうな。あの人恐いもんな。爆弾で吹っ飛ばした方がいいな。そのほうが楽だもん。クナイサキユキ中将はそのまま階段の方に向かっ て歩き出そうとする。
そしてその時ミサキ嬢の部屋のドアのノブが回る音がする。クナイサキユキ中将は振り返り発作的に銃の照門をのぞき込む。照星の向こうにドアが見える。そのドアが開き始める。ドアが開け放たれる。ヤダトクサブロウ大将である。
「ドタドタ足音立てているのは誰だ!」
「あああああああ。」クナイサキユキ中将が情けない叫び声をあげた。
 その瞬間にクナイサキユキ中将のルハ−116自動小銃が火を吹いていた。ボシュッボシュッと音を立ててヤダトクサブロウ大将の身体が赤い血の小爆発を起こして後ろに倒れ込む。ドサッと音がして完全にヤダトクサブロウ大将の身体がドアの向こうに倒れ落ちた。
 クナイサキユキ中将は硝煙の上がる銃をかまえたまま微動だにしない。彼の膝が震えているのが分かる。気がつくと横にタセヒロシ中佐が立っていた。
「ああ。・・・殺ったよ、僕。」と言ったクナイサキユキ中将の顔はまた先ほどの上気した顔に戻っている。
「僕の方はもう終わったよ。これで何の障害も無くなったんだ。君の方が終わったら一緒に帰ろうね。終わったら呼んでよ。」クナイサキユキ中将はタセヒロシ中佐に声を掛けるとナオミ嬢の部屋に入っていった。しばらくしてタセヒロシ中佐がユリコ嬢の部屋に向かって歩いていく。右手には四八式自動拳銃が握られている。
 ミサキ嬢は静かになったドアの方に歩いていった。彼女の足の下にはヤダトクサブロウ大将が横たわっている。彼女は震える手でヤダトクサブロウ大将の脈を確認したが脈はまったく無い。「いやだ。うそ。ちょっとまって。どういうこと。しんじゃった。なんで。どうして。」彼女はそうっとドアを薄く開いた。自分も撃たれるかもしれないと思ったが歩き去る足音が聞こえたので勇気を出して外を覗いて何が起こったのか確認したくなったのだ。一人の男の後ろ姿が見える。
「タセさん・・。」
 ミサキ嬢はタセヒロシ中佐とその手に握られている拳銃を見てヤダトクサブロウ大将を銃撃したのはタセヒロシ中佐だと誤認した。そしてタセヒロシ中佐がユリコ嬢のドアを開けたのを確認して全裸のまま一目散に階下に助けを求めに走った。

 コーヒーのカップを用意していたユリコ嬢はドアのノブの回る音を聞いた。衝立の向こうのドアが静かに開き始める。彼女は「はい。どなたです?」と尋ねてみるが返事はない。彼女はドアが完全に見える位置まで行ってみる。と、そこに一人の男が立っていた。顔は逆光になって見えないがその手に拳銃が握られているのは確認できた。男はそのまま部屋に入ってきてユリコ嬢の横を擦り抜けベッドの所まで行った。ユリコ嬢が声を上げる間もなく男は銃を構えるとベッドに向かって発砲した。男の拳銃から発っせられた閃光は何回か部屋を明るくし、ユリコ嬢の目にはその閃光と銃声の中で弾き飛ばされていくヨコマノカタ大佐の身体が映っていた。

 ヤマダフミオ中佐は階段を登り切った所で壁を背にして様子を伺っている。報を聞きつけ階段を駆け上がってきたカンジョウサネヒロ大佐が横に並ぶ。
「何が起こっている。さっきの銃声は何だ。」
「タセ中佐が本部長に発砲して、ここから見て左側の部屋に入っていった模様です。私も実際には見た訳ではないので詳しいことは知りません。」
「目撃したのは誰だ。」
「ミサキです。」
 数分前、ヤマダフミオ中佐は自室のドアを叩く音を聞いた。開けてみるとそこに素っ裸のミサキ嬢がいる。彼女が真っ青な顔して「ヤダさんが、ヤダさんが」と繰り返しているだけなので事態が徒ならぬことを感じ取った彼はここまで来てみたのだ。
「この精神回復室を使用していたのは誰だ。」
 毛布を体に巻いて階段の踊り場でおそるおそる上を伺っていたミサキ嬢が答えた。
「えっと、私がヤダさんの相手をしていて、ユリコがヨコマさん。ナオミが・・クナイさんて言ったっけ、小太りの人。」
「クナイ中将がね・・・。」カンジョウサネヒロ大佐が意味ありげにニヤリとする。

「ねえ、何が起こったのよ。」
 ナオミ嬢が銃を手にしたクナイサキユキ中将の肩を揺さぶる。興奮しているのか顔を上気させているクナイサキユキ中将がいつになく饒舌に答える。
「僕今すごい事してきたんだ。ヤダ本部長を殺したんだよ。あのヤダ本部長をだよ。すごいでしょう。僕が殺ったんだ。」
「ねえ、ちょっと、どういうことなの。ヤダさんを殺したって?なぜ。」
「もうすぐタセ君が来るんだ。タセ君もすごいんだ。もう終わったかな。そろそろ来るよ。」
「質問に答えてよ。どういうことなのよ。なんで殺したのよ。」
「タセ君が来たら僕は行くよ。まだかな。遅いな。」
 クナイサキユキ中将はドアを少し開けて外を伺い細く開いた隙間から階段の所にいるヤマダフミオ中佐とカンジョウサネヒロ大佐の姿に気づく。彼はバックパックから7.65mm多用途機関銃を取り出した。

 一番奥の部屋から体半分を出して機関銃を乱射してきたのはクナイ中将であった。弾丸はコンクリートの壁を吹っ飛ばし削り取り、さっと身を隠したヤマダフミオ中佐のすぐ近くまでコンクリートの破片が飛んでくる。
「クナイ中将・・・。クナイ中将もタセ中佐と共犯でしょうか。」
「クナイ中将はそういう事をできる人ではない。」
「だったら何故銃を撃ちまくってるんです。」
「知るか。タセ中佐はまだ中にいるのか。」向かって右側にあるユリコ嬢の部屋の中から獣の遠吠えみたいな泣き声が聞こえる。
「まだ中にいるようだな。」
 そういっている間にも銃声は鳴り止まず階層中のコンクリートの壁に穴を穿っている。
「中にはまだ女二人と本部長とヨコマ大佐がいる。まあ本部長とヨコマ大佐が生きている保障は何もないがね。まずは参謀長に連絡だ。本部長とクナイ中将を抜かせば次に階級が上なのはコノヤマシロウ少将だからな。」ヤマダフミオ中佐は階段を降りていき踊り場にある内線電話から参謀長コノヤマシロウ少将のもとへ電話をかけた。
 参謀長コノヤマシロウ少将はたった今ウンコを漏らした所だった。彼はウンコの付着したパンツを脱いで紙で包んでごみ箱に捨てようとしていた。そのまま捨てたのでは匂いや色ですぐにバレてしまう。ビニール袋みたいなものがあればいいのだがあいにく手元にない。ああ、やっぱり洗って履くべきか。いやいやだめだ。洗っている姿を人に見られるのはまずい。そんな折に突然電話が鳴った。下半身素っ裸で電話の所までいくと受話器を取った。
「コノヤマだが。」受話器の向うで銃声のような音が聞こえる。彼は一瞬敵の部隊が進入してきて銃撃戦になっているのかと思った。
「ヤマダフミオであります。こちらは内線11番、精神回復室の横であります。精神回復室がタセ中佐に占拠されまして、本部長閣下とヨコマ大佐、それに女の子二人が人質になっている模様であります。」
「発砲しているのは何か。」
「クナイ中将です。こちらに向かって発砲しております。」
「クナイ中将・・。クナイ中将もタセ中佐と共謀しているのか。」
「その点は不明であります。」
「今から行くから現状を維持していたまえ。」
「了解しました。現状を維持します。」
 コノヤマシロウ少将は受話器を置くと新しいパンツを取りにベッドの方に歩いていった。
「どうする気ですか。」
 部屋の隅にぺたんと座り込んだユリコ嬢がおそるおそる聞いた。タセヒロシ中佐はその問いかけには答えずヨコマノリカタ大佐の血に染まった死体に銃口を向けたまま声をあげて泣いている。ヨコマノリカタ大佐の見開いたままの目がずっと天井を見つめている。タセヒロシ中佐はユリコ嬢の問いかけには答えず全弾撃ち尽くした四八式自動拳銃のマガジンを外して床に落とし、新しいマガジンを装填した。ユリコ嬢が手にもったままのコーヒーカップがカタカタと音を立てて震えている。

 作戦室に臨時に設けられた対策本部には参謀長コノヤマシロウ少将、施設管理室長カンジョウサネヒロ大佐、参謀ゲンナイヨウイチ中佐、参謀ヨシオトヨシヲ中佐、倉庫管理室長ダイゲンヨシユキ中佐、副官エンセキユキツラ少佐、副官ケマスオキトラ少佐が集まっていた。現在、参謀ヤマダフミオ中佐と副官キシタケアキラ少佐が精神回復室の階層に繋がる階段で様子を監視している。コノヤマシロウ少将は集まった一同を見渡した。武器倉庫が鍵を使って開けられている事からクナイサキユキ中将の共犯説はすでに揺るぎないものになっていた。武器倉庫の鍵はクナイサキユキ中将が管理していたのである。が、やはりヤダトクサブロウ大将を殺害したのはタセヒロシ中佐で、クナイサキユキ中将はそれに協力したに過ぎないと思われていた。
「これより、タセヒロシ中佐とクナイサキユキ中将が起こした今回の一件に関する緊急会議を行なう。現在、施設の最上階にある精神回復室の階層がタセ中佐とクナイ中将によって占拠されている。二人は重火器で武装しており非常に危険な状態にある。ヤダトクサブロウ大将とヨコマノリカタ大佐、および女性二名が人質になっているがこの内ヤダ大将とヨコマ大佐の安否は確認されていない。それから彼ら二人が使用している武器であるが・・・。」
 コノヤマシロウ少将はダイゲンヨシユキ中佐の方に手で合図した。
「はい、報告します。武器倉庫からロ−三式対戦車ライフルと口径7.65mm六六式多用途機関銃を一式づつ、高性能可塑性爆薬を3ケース、四八式自動拳銃とルハ−116自動小銃を二式づつ持ち出しています。」
 倉庫管理室長ダイゲンヨシユキ中佐の報告は作戦室を震撼させた。
「対戦車ライフルだと。何を打ち抜く気なんだよ、彼らは。」
 その問いかけにダイゲンヨシユキ中佐が答えた。
「もしかしたら・・・。」
「なんだね。」
「彼らの標的は防護扉かもしれませんね。」
「だったらなぜ精神回復室なんかを占拠したんだね。」
「それは分かりませんが。」
「そもそも対戦車ライフルなんかで防護扉を打ち抜けるのか。」
 コノヤマシロウ少将が怪訝そうな顔をしてそう言うとカンジョウサネヒロ大佐が机に肘をついたままの姿勢でそれに答えた。
「それは無理です。まあ、へこみくらいは出来るかもしれませんが。あの扉は510mm対艦砲の直撃にも耐えますからね。私がそのように設計したんだから。あの防護扉は彼らの装備では絶対に破壊出来ませんよ。」

 クナイサキユキ中将は部屋の入り口にロッカーを倒して壁を作りその後ろに三脚を立てて先ほどまで腰だめで撃っていた口径7.65mm六六式多用途機関銃をそこに取り付けた。
「あなた、一体何してんのよ。」
 ベッドの上でぽかんと座り込んでいたナオミ嬢はパニック状態から少し開放されてやっとそれだけ聞くことが出来た。
「これ、僕が手で持って撃っても天井や壁や床のコンクリートに穴を開けるだけだから固定して撃つことにしたんだ。」
「そうじゃなくて。あなたはこれから何をしようとしているかってことを聞きたいの。」
「ここを出て帰るんだ。その為の準備をしているんだよ。タセ君も一緒に帰るんだ。君も帰る?僕と一緒に。」
「帰る?帰るってどこに?もしかして、あの空襲で燃える街に?」
「君も一緒に行こうよ。」
「私はここが一番いいもの。今更あんな燃えカスみたいな街に帰ったって何にもないと思うけど。」
「帰るんだ、僕は。帰るんだ。楽しかったあの頃に、僕は帰る。その前にあそこにいるあいつらを排除しなきゃ。」そう言ってヤマダフミオ中佐達の方を指さした。ナオミ嬢が次に言うべき言葉を必死に探している間にもクナイサキユキ中将はせっせと銃の三脚架を組み立てている。
 その様子をヤマダフミオ中佐とキシタケアキラ少佐が階段の陰で部屋の様子を伺っている。キシタケアキラ少佐はクナイサキユキ中将が三脚架を組み立てている姿を覗き見ながら小声でヤマダフミオ中佐に話しかけた。
「もしクナイ中将が銃を乱射しながら突撃してきたらどうすればいいんですかね。我々は撃っていいんですか。」
 キシタケアキラ少佐が武器倉庫から出され臨時に支給された四八式自動拳銃を手に少々興奮気味に言った。
「その時は足を狙って撃とう。」
「でも今そんなことが起こったら我々はひとたまりもありませんね。絶対蜂の巣だ。」
「あまり声をたてるな。聞こえるぞ。」
「私、実は前々から思っていたんですけど、先日起こったアノ事件、便所が詰まって糞だらけになったあれです、アノ事件、クナイ中将が犯人だと思うんですよ。中佐殿はどう思われますか。」
「・・・・。」

 作戦室の緊急会議も大詰めにさしかかっていた。コノヤマシロウ少将はネジが抜け落ちてガタガタ揺れる黒板に書かれた三つの作戦案の内で最も危険を伴う案を指揮棒で指し示した。それは少人数での突入を中心に置いた作戦であった。
「では、この作戦でいこうか。現場指揮はカンジョウ大佐に任せよう。くれぐれもクナイ中将の身柄の確保が第一だということを忘れずに。それとヤダ本部長とヨコマ大佐については状況の判断からすでにこの世にないと思って間違いないだろうね。いや、これは私の独言だが。」
「突入部隊の人員は誰にしますか。」
「それは実戦経験の豊富な人間じゃなきゃ駄目だろうね。」と、カンジョウサネヒロ大佐がぽつりという。しばしの沈黙の後、副官ケマスオキトラ少佐が意見を述べた。
「たしか、ヤマダ中佐殿は南方戦線で数々の武功をあげられたとか聞いております。後、エンセキ少佐が特殊部隊出身であります。その二人が適任ではないでしょうか。」
「そうか、そうだな。エンセキ少佐。よろしく頼む。」エンセキユキツラ少佐が議事を速記しながら「了解。」とこたえる。
「見張り役のヤマダ中佐を呼び戻せ。代わりにヨシオト中佐が見張りに行ってくれ。」
 名指しされたヨシオトヨシヲ中佐は片肘をついてさも辛そうに立ち上がり、「実は昨日から身体の調子が非常に悪くて、本官ではその任務に耐えられないかと。」というなり咳き込んで口に手を当てて床に座り込んでしまう。
「そうか。ケマス少佐。医務室にヨシオト中佐を運んでやれ。そしてそのまま見張りの任務についてくれ給え。」
 ケマスオキトラ少佐はにこやかに「了解しました。副官ケマスオキトラ、これより任務を遂行します。」とこたえ、ヨシオトヨシヲ中佐の傍らまで行って「大丈夫ですか。」と手を差し伸べヨシオトトシヲ中佐に肩を貸しながら部屋を出ていく。
「では、そういうことで。会議を終わる。皆、準備を始めてくれ。」

 準備は整った。階段に身を隠しているカンジョウサネヒロ大佐はカサイ・タカムラ狙撃銃を構え赤外線暗視スコープを覗いた。
「私の合図でこの階層すべての電灯の電源を落とせ、非常燈もだ。私がクナイ中将に対して威嚇射撃をしたら一斉に突入しタセ中佐を沈黙させろ。特殊閃光手榴弾とかがあればいいのだがあいにくこの施設にはそんなものは無い。」
 ヘッドマウント式赤外線暗視スコープを着け装甲突撃服に身を包んだヤマダフミオ中佐とエンセキユキツラ少佐はルハ−116自動小銃を手に壁越しに様子を伺っている。ケマスオキトラ少佐が便所の脇にある配電盤の所でカンジョウサネヒロ大佐の合図を待っている。
「落とせ。」
 カンジョウサネヒロ大佐の合図で一瞬にして辺りは暗闇に包まれた。カンジョウサネヒロ大佐が銃撃を始める。ヤマダフミオ中佐とエンセキユキツラ少佐が右側にあるユリコ嬢の部屋に向かって音もなく走り出した。二人はユリコ嬢の部屋のドアの横に張り付きヤマダフミオ中佐がそのドアを蹴り破る。ヤマダフミオ中佐の赤外線スコープには衝立しか見えない。ヤマダフミオ中佐は衝立の向こうで銃の遊底を引く音を微かに聞いた。とっさに身を伏せる。途端に衝立の向こうから銃撃が始まる。ヤマダフミオ中佐は銃撃が途切れたのを見計らい横に飛びのき、赤外線スコープの視界に入ってきた、マガジンを入れ替えようとしているタセヒロシ中佐に銃口を向けて冷静に二発撃った。エンセキユキツラ少佐が部屋の隅っこに座り込んでいるユリコ嬢の身柄を確保する。再び静寂が訪れた部屋の中でヤマダフミオ中佐はタセヒロシ中佐とヨコマノリカタ大佐の死体を確認する。ベッドの上には全裸のヨコマノリカタ大佐が身体中に銃弾を浴びて真赤に染まっている。タセヒロシ中佐は胸と腹に一発づつ弾を受けベッドの向こうに座り込むようにしてぴくりとも動かない。ヤマダフミオ中佐は頭に装着したヘッド マウント式赤外線暗視スコープを外した。彼が自分の左胸にぶら下がっているL型電灯のスイッチをつけると埃っぽい部屋の中に光の線が出来た。その光はタセヒロシ中佐とヨコマノリカタ大佐の死体の上を舐めるように移動し床の一点で止まった。そこに何かが落ちている。ヤマダフミオ中佐が進み出てそれを拾う。
「ネジ・・・。」
 そのネジには赤い血と白いチョークの粉がこびりついていた。
 突然部屋の外から籠もったような音の銃声が響いてきた。クナイサキユキ中将がカンジョウサネヒロ大佐に反撃を始めたらしい。
 カンジョウサネヒロ大佐は正確にクナイサキユキ中将が設置した7.65mm六六式多用途機関銃を狙撃していた。彼はグレネードランチャーに暴徒鎮圧用ゴム弾を装填しクナイサキユキ中将の銃撃が始まるのをじっと待つ。クナイサキユキ中将は被弾して銃身が折れ曲がり使えなくなった7.65mm六六式多用途機関銃を廊下の方に三脚架ごと投げ捨て、ドアの脇に立てかけてあったルハ−116自動小銃を手探りで掴んで暗闇の中に滅多矢鱈と銃弾を注ぎ込んだ。彼は消音器で籠もったような発射音を辺りに振りまきながら引金を引き続けた。暗闇の中に銃弾の閃光と銃弾が壁を叩き壊す音が充満する。しかしそれもマガジン内の弾薬が尽き果て、終わる。それを見計らいカンジョウサネヒロ大佐がグレネードランチャーを構えたまま壁の脇から出てクナイサキユキ中将のいる部屋の方に静かににじり寄っていく。そしてクナイサキユキ中将の姿が見えた瞬間、構えたグレネ−ドランチャ−の引き金をひいた。発射された暴徒鎮圧弾はクナイサキユキ中将の胸に命中し、その身体が鈍い音と共に後ろに吹き飛ばされた。そしてカンジョウサネヒロ大佐が後ろを振り向いて叫ぶ。
「明りをもどせっ。」
 その声に反応して配電盤の前で待機していたケマスオキトラ少佐がスイッチを上げた。構内に光がもどる。
 カンジョウサネヒロ大佐がドアに近づき、腰の拳銃ケ−スのホックを外しながら叫んだ。
「中将。抵抗はやめてください。」
 カンジョウサネヒロ大佐は拳銃ケースから四八式自動拳銃を取り出した。その銃を構えた向こうにクナイサキユキ中将が仰向けにひっくり返っている。カンジョウサネヒロ大佐はクナイサキユキ中将が手に握っている四八式自動拳銃をむしり取るとクナイサキユキ中将の身体を点検して武器を取り去ってしまった。ベッドの上にいるナオミ嬢はその様子を見てはいるが身動き一つしない。カンジョウサネヒロ大佐は倒れたクナイサキユキ中将を拘束しようともせず銃を構えている。
「ナオミ。部屋から出ろ!」
 その声で気がついたクナイサキユキ中将が「うう・・。」呻き声をあげた。カンジョウサネヒロ大佐は急いでナオミ嬢に近寄り、抱き上げて部屋の外に連れ出そうとする。それで正気に戻ったナオミ嬢はじたばたと手足をばたつかせて抵抗しはじめる。
「ねえ、ちょっと、何なのよ。触んないでよ、ちょっと。クナイさん、どうしちゃったのよ。倒れているじゃない。あっ貴方拳銃もってる。まさか、うそ、殺す気なんじゃないでしょうね。勘弁してよ、そんなの。あっイタイイタイっ。もうちょっと丁寧に扱いなさい。」
「ケマス少佐。ナオミを頼む。」
 それだけ叫んでナオミを部屋の外の床に下ろすとカンジョウサネヒロ大佐は部屋に戻った。
 すでにクナイサキユキ中将は気がついて起き上がっている。カンジョウサネヒロ大佐の手に握られている四八式自動拳銃の銃口はクナイサキユキ中将に狙いを付けたままである。カンジョウサネヒロ大佐がぽつりと言った。
「ご自裁してください。」
 カンジョウサネヒロ大佐はクナイサキユキ中将からむしり取った四八式自動拳銃のマガジンを抜き、拳銃の中に一発だけ弾が残っているのを確認してからクナイサキユキ中将に渡した。クナイサキユキ中将は渡された銃を見つめたまま呆然としている。
 そのまま数瞬の時が過ぎた。クナイサキユキ中将が泣き始めた。
「僕は帰りたいんだ。帰してよ。」
 クナイサキユキ中将はベッドの陰まで逃げると四八式自動拳銃の銃口をカンジョウサネヒロ大佐の方に向けて叫んだ。その銃口がガタガタと震えている。
 カンジョウサネヒロ大佐はふっとため息をついて言った。
「・・・帰してやるさ。」

 タセヒロシ中佐の遺体を調べユリコ嬢を保護したヤマダフミオ中佐は二発の銃声を聞いた。次に聞こえたのはカンジョウサネヒロ大佐の声だった。
「クナイサキユキ中将はこの事態の責任をとって自決なされた。」

第二章  終わり





地下作戦室の人びと目次へ

戻トップページへ