NEW BOOKS

面白い本、役にたつ山の本をさがしているぜ。イラストはウインパ。著作権切れです


ザ・ロクスノ図書館

 

シプトンがますますカリスマに見えてきた
 「エリック・シプトン	山岳探検家・波乱の生涯」 
ピータ・スティール著(山と溪谷社刊)

 先頃翻訳出版された英国の探検登山家、エリック・シプトンの伝記を紹介し
たい。著者は1971年のエベレスト国際隊に参加したお医者さんで、シプト
ンとは家族ぐるみで仲良しだったという。シプトン自身の書いた本は多いが、
はっきり云ってこっちの方が100倍はおもしろい、なんて云うとシプトン
かぶれの友人はカチンと来るかも。なにしろ彼ときたら、気の合ったシェルパ
とツエルト替わりの古いこうもり傘一本、それにツアンパだけでヒマラヤをふ
らついていたエライ!やつなんだ。だけど、シプトンの本の多くはもう絶版に
なっているんだから実際これを読むっきゃないんじゃないか。
 シプトンの登山は、現在の最先端を行くクライマーにも少なからず影響して
いると思う。たとえば、フリーやアルパイン・スタイルといったクライミング
や、LNTに代表されるフェアな冒険活動の精神において、それは脈々と引き
継がれている。彼は、いまの商業公募隊の目玉商品になっている世界の最高峰
エベレストの初登頂にも大きく貢献した。しかし、それに見合った評価は依然
として為されていないままだ。著者がこの本を書いたモチはそこら辺りにある
らしい。でも読んでみると、どうも様子が違うような気が。
 さて、6000m以上の高所登山にもその時代にあったやり方があるのかも
しれない。例えば、個人が身の丈で実践するアルパイン・スタイルという一撃
落としが、いまのふつうの登り方だろう。ブルース・リー以来、生身で敢然と
立ち向かうのがカッコイイってことになっている。しかし、英国隊は1953
年、極地法に徹してエベレストの初登頂に成功した。この戦術は、長い間、ヒ
マラヤ攻略のスタンダードとして君臨したのだ。
 そこで、エリック・シプトンだ。シプトンは当時、この英国隊の隊長になる
筈だった。なにしろ偵察隊でも隊長だったのだ。それ以前のチベット側での活
躍もよく知られていたし、シェルパからの信頼も絶大だった。また、偵察では
、現在通常ルートとされている南面ネパール側からの可能性を手握し、地雷原
のような名うてのアイスフォール帯にも登路を見いだした。さらに、成行とは
いえ、やがてエベレストの初サミッターとなる熊のようにタフなニュージーラ
ンド人、ヒラリーをこのプランに引き込んだのもシプトンだった。だが、英国
のエベレストは国の面子と国威が懸かった国家的なイベントだった。チームに
は軍隊のような統括と規律が求められたのだ。探検登山家としてすでに著名に
なっていたシプトンは、まるで罠にかけられたようにして、実現間近な時期に
なってチームから外された。
 シプトンは、極地法のような強引で組織的な登山を嫌っていた。気のあった
相棒と途方もない未開の土地を、信じられないような軽装備と切り詰めた現地
食で、長期間縦横に歩き、登りまくるのが、彼の得意とする分野なのだ。彼は
その自分流のやり方で、K2北面のシャクスガム渓谷の踏査に成功していたし
、ガルワールでは、絶望視されていたリシガンガ・ゴルジュを突破して初めて
ナンダデビに肉迫した。こうしたシプトンのその土地に同化して行う自由で軽
快な登山、探検のスタイルは、しかし”山の政治家”には疎まれたのだった。
穿った見方をすればイギリスはシプトンのおいしいところだけをかっさらって
、エベレストを陥した。
 著者は、エベレストでの隊長解任をちょっとした山場にして、探検と女性に
振れるシプトンの、強かでいて甘い生身の人生を、思いっきり描いた。例えば
、シプトンを支えた女性たちとのきわどいやりとりや、通信手段の限られた時
代にあって、なお辛抱強く交わされた切ない手紙の内容まで明かしてみせる。
また、登山や探検以外でも目を見張るような興味深いエピソードが次々と紹介
される。例えば、大戦中カシュガルの総領事となって情報活動までやったらし
いこと、さらにそのあと、スリルたっぷりの中央アジアのひとり旅へと話が進
み、たどり着いたデリーで恋人ダイアナの腕の中へ。そして結婚。読者は、わ
くわくしっぱなしになって、きっと理不尽なエベレストの顛末よりも、その起
伏に富んだ豊かなシプトンの人生に思いを馳せることになるだろう。
 僕自身は、シプトンがエベレストの隊長なんてやらなくて良かったと思う。
どう転んでもこの登山はシプトンの登山じゃなかった。そして、その成功の陰
にシプトンが埋もれてしまったことより痛々しいのは、このことでシプトン自
身が無惨に傷ついてしまったことだ。しかしシプトンは、がっくり落ち込んだ
数年を過ごしたあと、パタゴニアで見事に蘇る。ここがやはりただものじゃな
い。しかも彼はそのときすでに50を越していたのだ。シプトンは、周到な短
期間の踏査を繰り返した後、1960年、52日間に渡るパタゴニア南部氷床
の横断に成功した。因みに、この冒険を綴った「嵐の大地」は弱音だらけで、
僕の一番好きな、シプトン自身が書いた本だ。(文 伊藤忠男)

【本家武蔵野山岳会通信】

一年に一回の解禁日である。何の解禁日であるかというと、“愚痴”“ぼや
き”の解禁日である。
ある時、「通信」の読者から“愚痴”“ぼやき”の類は聞き苦しい、という
お叱りを受け、いたずらに牛齢を重ねたロートルクライマーはハタッと気がつ
いてしまった。「そう言えば、ここのところ仕事が忙しかったり、体がきつか
ったり、クライミングや山でろくな事ができなかったら、愚痴をこぼし、ぼや
いてばかりだな」。「こいつはいかん。若い頃はそんなオジンをあざけていた
じゃないか。」「ここは一つ、ロートルクライマーの意地を見せ、愚痴、ぼや
きはやめだ。」それ以来、愚痴りたく、ぼやきたくなる気持ちが出ても、ぐっ
と堪えて伊達の薄着、オジンの痩せ我慢。晴れても降っても、落ちても登れて
も自慢話、強がりだけしか言わないと決意した。しかし粋がると言うことは疲
れることです。見栄を張っても50男は山の世界では、力の道では番外者。年
に一回ぐらいは溜息ついて“愚痴”と“ぼやき”を出し切り憂さを晴らさなけ
れば身が持ちません。それで今回の「通信」番外編。50男の溜息なんか聞き
たくないむきはどうぞ本編を破り捨てて下さいな。
20世紀最後の年、50男の“愚痴”“ぼやき”の種は数多く有るが、もっ
かのところの最大の種は、平成大不況と50肩である。
最初は大不況から。こいつはどうもいけません。街の小さな問屋場の親方に
も不景気風がまともに吹き付け、時には命がけの遣り繰りを強いられたぐらい
ですから、クライミング道からは退場、試合放棄は当然ですな。そういえばこ
の間、クライミング誌で面白い記事を見つけました。名づけて「クライマー・
族論」。最初から老眼の50男は相手にされていない、小さい小さい文字の意
見記事なんですが、要はクライミングは常に死を意識していなければならない
という、まともに相手をしたくない理屈を展開しているのですが、その中から
笑っちゃうのを2,3摘み出すと、「クライマー・族」の族員は家庭でも、職
場においても爪弾きにされていなければ、本当の「クライマー・族」ではなく
、たとえ裏山で集会する時でも死と対き合わなければならなく、それは「クラ
イマー・族」の先輩から脈々と引き継がれてきた伝統なんだそうだ。
この「クライマー・族論」からいけば50男が平成大不況にもがき、あがき
その僅かな合間に憂さ晴らしに岩場へ、クライミングへ出掛け、帰りは酔っ払
ってるなんぞは、見るも薄汚いオッサンにしか見えないでしょうな。 
その
他の理屈は、もう、オジサンにはなんだか解らない。ですが、しかしなんか、
くたびれたオジサンが、たまの休日に風俗へ出かけたら、用心棒のちんぴらに
絡まれちゃったみたいで。オジサンには居場所が無いんですかね。どうか用心
棒の皆さん、オジサン達も大不況の世間じゃ命を賭けているんですから、そん
なに苛めないで、たまの休日ぐらいは遊ばせてやって下さいな。
 
次に50肩。正直、こんなものになるとは、こんなに痛いとは思いませ
んでしたな。最初はちょっとやりすぎたなぐらいから。ですからクライミング
をする奴なら誰でも同じでしょうが、ごまかしながら「地下道場」へ通ってい
ました。そうなんですよね、クライマーは休めないんですよね。ジムに行って
みなさいよ、テーピング人間だらけですよ。この間なんか、足を骨折した若者
が、ギブスのまま地下へずり降りてきて、マットの上を這い回ってホールドに
取り着いていたのには笑っちゃいましたね。まぁ、それでも私より巧かったの
はしゃくでしたが。でも50肩はそれより始末が悪いですよ。なんたって現代
クライミングは両手でなければ登れません。上級者の方、試してみなさいよ、
片手クライミングを。おそらく、“かぶって”いたら100%登れません。そ
れに50肩をただ腕が挙がらない障害と思っていたら大間違い。これが非常に
痛いんです。落ちてマットに手を付いたら大変、極端なこと言うとその痛みは
骨折したみたいに髄まで響きます。なんせポケットから手を出すときにちょっ
と引っかかった位で蹲るんですから。それと朝の起きた時のいやな感じ。半身
が重く痺れ、箸を持つ手もだるいんです。クライミングどころでは有りません
。顔をも洗えません。尻も拭けません。でもヘボでもクライマーの性でしょう
か、胸にはクライミングの煩悩が灯りっぱなし、ちょいと調子が良いと感じる
と、性懲りも無く握力器をガチャガチャ、鴨居にぶら下がっては、具合を悪く
したり、後悔したりを繰り返して、ようやく最近、週に1回程度は地下道場へ
の階段を、再び地下登攀者として下り、出力80%程度のクライミングが出来
るようになりました。
と喜んでいたら、伏兵出現。突然、尿道に石が詰まり、お産より痛いという
苦しみで緊急入院。僕というオジサンはとうとう本物のオジサンになってしま
った気分。それと言うのも正統屋上登攀者(なんとビルの屋上ボードで毎日ク
ライミングをしているという、正真正銘屋上登攀者一派の一員)のオジサンの
そそのかしに乗ってしまった結果です。この正統派オジサンは、6駅も向こう
からランニングで僕の庭先にやってきては、「クロカン大王」などという怪し
げな名のランニングコースを跋扈しては消えていく、僕というオジサンとは比
べるべくも無い超人オジサンなのですが、50肩という障害を負って気弱にな
っている心の隙間に「足なら使える。クロカン大王、45分切るべし」と、さ
さやいたのです。そのそそのかしにまんまと乗った僕というオジサンは、不快
指数80%の梅雨空の中、自律神経の失調を忘れ、3日連続で「クロカン大王
」を汗みどろで走り込んでしまった結果、その晩にあえなく入院というまこと
にオジサンらしい結果を迎えることとなりました。ただ今、僕というオジサン
は点滴のスタンドを引きずり、便器相手に吾が珍宝の先より石をコロンコロン
吐き出そうと、いきみ小便をしている最中であります。
しかしオジサンを侮るべからず。病院のベットの下には握力器とダンベルが
忍ばせてありますぞ。地下登攀者、復活を約束いたします。
以上、年に1回の“愚痴”と“ぼやき”の通信番外編でした。
 風前の 灯り艶やかに 盆おくり 
                            牛     




ザ・ロクスノ図書館1999秋

 

えっ? まだお読みになってない…。
テントで山小屋で読書にふけるも愉し5册です

『エンデュアランス号漂流』A・ランシング著
『南へ』シャクルトン著

 1911年12月9日、アムンゼンは南極点への最後の行程にさしかかっていた。やが
て一本の旗が視界に入り、彼は思わず足を止めなければならなかった。先人の偉業に心
を震わされ、涙が止めどなく頬を伝ったからだ。それは、極点まで95マイル以内のそれ
までに人類が達した、極点に最も近づいた地点にあった。3年前その英国旗を立てたの
はアーネスト・シャクルトンをリーダーとする4人の屈強なパーティーだった。
 アムンゼンという名前は、南極点に初めて達した人として遍く知られている。また、
彼と張り合って南極点へ向かっていたスコットの「世界最悪の旅」も別な意味で広く知
られることになった。彼らはあと一歩というところで絶命してしまったからだ。”遭
難”は場合によっては”成功”以上にウケル。しかし、シャクルトンはどうだろう。こ
とに日本では、その名を聞いてピンとくるのは一部の極地ツウだけに違いない。彼は南
極点にも足跡を記すことができなかったし、南極大陸の横断にも失敗した。しかし、彼
が27人の仲間と達成した偉業は、失敗にもかかわらず最も冒険の神髄に近かった。
『エンデュアランス号漂流』は作家が、隊員の日記
をもとに南極大陸初横断に向かったシャクルトンらの未曾有の”冒険”を再現させたも
のだ。ページを開くと、僕たちはいきなりギシギシと音をたてる圧縮された氷海の直中
にたたき込まれる。氷に潰されるエンデュアランス号と、それをやむなく放棄する隊員
たちの困惑したビジュアルなシーンが冒頭から展開するのだ。
 また、シャクルトン自身が著した『南へ』では『エンデュアランス号漂流』では見え
なかったこの壮大な冒険の全容、ことにシャクルトンらの漂流を知らず、不毛の努力を
続けていた南極大陸の反対側に上陸したサポート隊の悲劇、そして温かさと脆さをもっ
た高潔な生身のシャクルトンを知ることができる。
 どちらも、20世紀を代表する冒険を記録した名著といえるだろう。
 1914年12月、エンデュアランス号は火蓋の切られた第1次世界大戦をかわすよう
にして南極大陸初横断の旅に出発した。しかし、南極大陸に辿り着く前にウェッデル海
の密氷群に閉じこめられ漂流してしまう。やがて冬となり、厳寒のなか、潰されたエン
デュアランス号を捨て、彼らは氷上を小さなボートを引いて歩き続けた。さらに溶けて
小さくなった流氷に乗って大西洋まで漂流を続けた彼らは、1916年4月9日、南極
圏を脱出してパーマー半島から続くエレファント島に漂着した。
 しかし、そのままではみんな餓死してしまう。シャクルトンは5人の隊員を選び、そ
こから700マイル北東にある出発地サウス・ジョージア島をめざす。島に上陸したものの、そこは地図の空白部であった。食料や登山に必要な道具さえ何一つ
ないまま、彼らはさらに氷河のある山岳地帯を越えて島の反対側にある捕鯨基地に辿り着く。
1916年5月20日であった。シャクルトンはすぐに残された隊員たちの救出船を手配
するために奔走した。3カ月半後、救出船がエレファント島の沖合に止まった。島に近
づいていくボートの上からシャクルトンが声を張り上げる。
「みんな無事か?」
 映画のようにイメージできるこの段では、思わず胸が震えてしまった。無線機や飛行
機による補給もない。ゴアテックスやフリースなどの近代的な衣類、装備、高たんぱ
く・高カロリーな携帯食料など、何一つまだこの世に登場していないのだ。驚嘆すべき
あきらめない精神力はもちろんだが、彼らの正確な観測技術と航海術、的確で柔軟な食
料計画、強靱な生活技術、を見逃してはいけない。どうだ、まいったか、っていう感じ
だ。僕たちは、へい、めいりやした、って素直に感動するしかないと思う。また、一人
残らず助ける、と決めたシャクルトンの強固な意志と行動力は優れたリーダーシップと
いうひとことだけではなお括りきれない。彼は待ち続けるタフな隊員たちの信頼にも支
えられたのだと思う。『エンデュアランス号漂流』は新潮社刊。『南へ』はソニーマガジンズ社刊。
 (伊藤忠男)


『午後三時の山』
柏瀬祐之著

 谷川岳一ノ倉沢全壁トラバース、インタレスト・グレードの提唱。この本の著者であ
る柏瀬祐之を語るとき、やはり彼の過去の所業(べつに悪いことしたわけじゃない)を
振り返ってしまう。1970年代初頭、国内のめぼしいルートの初登攀が終わり、谷川
岳は冬季、単独という時代に入っていったころのことだ。柏瀬祐之と仲間たちは谷川岳
一ノ倉沢をトラバースすることによって登山界にアンチテーゼを送る。山は困難で高け
ればエライという垂直指向の歯車で回転していた時代。彼らの行為はあまりにアホらし
く、それゆえに爽やかでさえあった。当時のカタイ頭の連中に油をさし多少なりとも滑
りをよくしたようだ。同時に彼は登攀(沢登りも含めて)のグレードに難易度ではな
く、インタレスト(興味・おもしろさ)としてのグレードを設定した。その根底には楽
しいから登る、楽しいところを登りたいという、ごく自然な思いがあった。いつの時代
からか、山はより高く、より困難であることが大義名分になってしまっていた。それは
人間の本能的な欲求なのかもしれない。だからこそ彼の垂直軸から水平軸へと転換した
発想は知的であり爽やかであったのだ。
 柏瀬祐之著『午後三時の山』は1996年に白山書房より刊行されたものに、書き下
ろしを加え中央公論新社から文庫化されたものだ。全18編の作品が収まっている。表題
作『午後三時の山』が読み応えがあった。この作品は、ふとしたことで知り合う仲間た
ちとの山行記という体裁をとっているが、じつは一編の小説だと思う。彼の『山を遊び
つくせ』『ヒト、山に登る』といった作品群とは異なり、登場する人物たちの個性を掘
り下げ、山と彼らをオーバーラップさせながら物語は展開していく。読み終えたあと、
こんな仲間といっしょに山を登っていみたいという思いがつのる。『午後三時の山』に
優れた登山家は登場しない。しかし、「山を遊ぶ」ということに関して、彼らの思いは
バカらしいほど熱い。それは若い日、柏瀬祐之が一ノ倉沢全壁トラバースにかけた情熱
に、勝るとも劣らないものではないだろうか。ここ数年来の山の文学では出色のできだ
と思う。 中央公論新社刊 。(内藤久義)



『パフォーマンス ロッククライミング』
ゴダード、ノイマン共著

 およそ45年ほどつづいたアメリカとソ連の冷戦時代、核をはじめとする軍備開発や、
宇宙開発などとともに、スポーツ科学の分野でも両国が競っていたのをご存じだろう
か。
 この間、アメリカ、ソ連、東ドイツなどを中心にスポーツ科学は急速に発展。スポー
ツに関するさまざまな常識は覆され、理論が明確にされてきた。その結果、今日ではオ
リンピック選手をはじめとするトップのアスリートになるためには、このスポーツ科学
抜きには考えることはできない。
 そんなスポーツ科学の視点からフリークライミングを分析し、その上達法を紹介した
本としては、ドイツ人であり、世界レベルのフリークライマーであった故ウォルフガン
グ・ギュリッヒによる『フリークライミング上達法』が知られている。本書によるフ
リークラミイングの理論は、多くのフリークライマーの目を開かせてくれた。しかし、
日進月歩のスポーツ科学の世界において、今日ではその理論が多少古くなってしまった
ことは否めない。
 本書は、そんな不満を解決してくれる一冊だ。翻訳のため、多少の時間的ずれはある
ものの、最新の理論からフリークライミングを解説。ギュリッヒの本には見ることがで
きなかった理論や、トレーニング方法が紹介されている。
 たとえば、難ルートを登るためや、コンペで勝つための計画のたて方。ギュリッヒの
本では、多少むりがあった計画方法だが、本書では、より明確に系統づけられている。
自分の調子を目標の日にピークにもっていくためには、どうすればいいのか。ピークに
向けて、どのようにしてトレーニングを進めたらいいのかなどの数カ月におよぶ長期的
な視点から見たトレーニング計画方法から、1週間、1日単位でのトレーニング計画の
たて方まで詳しく解説されている。
 そのほかにも、筋力トレーニング方法、筋持久力について、心理のコントロールから
健康管理についてなども紹介。
 上手く登りたいと思いつつも、なんとなくトレーニングしているクライマーと、本書
を読み、目標をもってトレーニングを計画的に組むクライマーとの間には差が生まれる
に違いない。山と溪谷社刊。(蓑和田一洋)
  


『小川山・御岳・三峰ボルダー図集』
室井登喜男著
 日本で本格的にフリークライミングが行なわれるようになったのは80年代初頭だが、
この時期の主流といえばクラック、そしてボルダリングであったといえよう。 その後
ヨーロッパ、とくにフランスの影響により、フェースの時代が訪れる。さらに人工壁、
クライミングジムの出現により、クライマーの指向はよりスポーツ的なものに集中す
る。フレンズは押し入れの奥にしまわれ、ボルダーといえばクライミングジムでやるも
のとなった。
 4、5年前からであろうか、クライマーが岩場に帰ってきた。これは小川山の状況に
色濃く繁栄している。一時「終わったクライマーの避暑地」の様相を呈していたこの地
が、この数年活気を取り戻してきた。有名クラックは順番待ち、そしてボルダーマット
を持った新世代のボルダラーたちが廻り目平を徘徊している。
 本書はこんなボルダラーにとって待ちに待ったものといえよう。著者の室井登喜男君
は、女性クライマーの草分け室井由美子さんの御子息であり、古いクライマーにはいま
だに「トキボウ」と呼ばれている。
 彼の人間性を繁栄してか、必要なデータのみに徹した飾りけのない編集であるが、そ
れだけにそのデータはじつに完璧なものとなっている。
 クライミングの最もプリミティブな形であるボルダリング。なんの変哲もないボルト
プロテクションルートに比べ、その奥は限りなく深く、その魅力はあまりに大きい。(北山マコ)
購入方法は、関東から関西にかけてのクライミング・ジム、ショップ等で、ほかN金峰山荘でも販売。遠方の方は下記の連絡先に住所、名前、希望部数を連絡していただければ、振込用紙と図集を郵送(定価950+送料)。
〒164-0002 東京都中野区上高田1-36-22室井 登喜男



『生と死の分岐点』改訂版
 ピット・シューベルト著

『生と死の分岐点』(原題 Sicherheit und Risiko in Fels und Eis.)は、邦訳版が
1997年に刊行されるや、多くの読者から好評を博し、山の雑誌や山岳団体の機関紙
などにも広く紹介されて話題を呼んだ。確保条件の整ったスポーツクライミングが広
まって、クライミング中の墜落は日常茶飯事になったが、それに付随する事故もまた増
えてきた。本書はそうした事故の実証分析に多くの紙面をさき、対応策を提言したもの
で、まさに時節にかなったクライマーの必読書といえた。その後、初版時に指摘された
原著の一部にあった編集ミスや邦訳段階での問題点はすべてクリアされ、3刷に至って
いる。
 他方、1994年にドイツで刊行された原著はいちはやく欧米で高い評価を得て各国
語版に翻訳され、1998年現在、第5版を重ねている。その間、原著の初版から現在
までわずかな年月にもかかわらずクライミング用具はさらなる発展を遂げ、筆者の実体
験に基づく新たな知見も加わった。また書中のデータのいくつかも更新されている。今
回の邦訳版の改訂はこうした背景の中で進められた。ここに改訂された内容の一部を紹
介しよう。
 本書ではロープは岩角に弱く、その安全基準を高めるために、尖角(岩のエッジ)荷
重試験を導入するよう指摘している。それに関連して尖角への荷重に強いロープをつ
くっているメーカーについては社名が伏され、「オーストリアのメーカー1社のみ」と
されていたが、改訂版では社名が公表されている。今後ロープを新調する際には参考に
なるだろう。
 カラビナのゲートが、墜落の衝撃による横揺れ振動で一瞬開き、カラビナの強度を著
しく低下させることを、本書によって知った読者は多いと思う。その点に関連して、近
年出回っているワイヤーゲートのカラビナは体積が少ないため、振動による開口はとも
かく防げるのだが、見た目があまりにも頼りないために、人気がないと述べている。
 最近広まりつつある確保器具グリグリについては、すぐれた機能をもっているにもか
かわらず自動制動確保器具ではないとして、使用中におちいりやすい誤りについていく
つかの重要な指摘が新たに追加された。
  そのほか各ページに細かい改訂が加えられ、写真や図版も一部差し替えられて、この
本に寄せる著者の生真面めさが伝わってくる。旧版を読んでいる人にとっても、気にな
る改訂版の登場だろう。山と溪谷社刊。(桜田淳)



『クロスカントリー・スキー・ハイキング』桐沢雅典著

 
HOW TO ENJOY MOUNTAINEERING SERIES の一冊(ヤマケイ刊)

クロカンスキーは面白い。これをみてぜひトライしてみてください。著者前書きには
クロカンスキーをつぎの人にすすめたいと書かれています。
1 日々、仕事に追われて疲れている方
2 ゲレンデの喧噪から逃れたい方
3 自然界に近づきたい方
4 もっとおいしいお酒を飲みたい方
5 ふだんルーズな滑りを続けているテレマーカー
6 冬のフィットネスをお考えのかた
 著者は、知る人ぞ知る、裏磐梯テレマーク塾の塾長。
                                                                                                                                                            


『アルプス4000m峰登山ガイド』リヒアルト・ゲーデケ著

 
アルパインガイド海外版(ヤマケイ刊)

 これをザーッと見て、またアルプスでひと夏登ってみたくなった。
最初の印象は「ずいぶん小さな本だな」と思った。もし海外に登山に行くなら、情報はいく
らでも欲しい。けれど実際にアルプスという大きなエリアを一冊の本にまとめる場合、必要
だと思われる情報をすべてのせていては、大きな本になってしまう。もちろんこうした大き
なガイドブックは必要だし、実際に手に入れる事も可能だろう。でもまあ、アルプスの主
なピークやルートをかなり登った人ならともかく、とりあえずアルプスの代表的なピークに
登ってみたいと考えている人にとっては、これくらいが良いガイドブックだと思う。

感じた事をいくつか書いてみよう。
○情報が上手くセレクトされている。(結局、最新情報は現地で集める事になるんだか
ら。)

 ○広い範囲にわたりカバーされている。(あまり日本人になじみのない山域も含まれてい
る。)

 ○ほとんどが最も多く登られているか、あるいは簡単なルートが紹介されている。(かぎ
られた休日にある程度の登山を楽しむには効率が良いだろう。)

 ○序文にも書いてあるとおり、コンパクトなのでザックに入れて山に持って行く事ができ
る。(天気の悪い時、山小屋で次の山行をじっくり考える事もできる。)
 
日本にいても、海外のいろんな情報を手に入れる事ができる様になってきた。一方、日常の
あふれる様な情報にしばしばとまどう事もあるだろう。
最初から特定の山行を考えている人はともかく、このガイドブックを読めば自分がどの山に
登れば良いかわかるかもしれない。主体性のない表現だけれど、実際にガイドブックを使
い、ひとつかふたつピークに立ってみれば、自分がアルプスという山域に何を求めているか
よくわかるだろう。
もし、もっと他の情報が必要であればまた手に入れれば良いと思う。

僕もお金を少しためて近近アルプスに行こうと思っている。
<黒川セイスケ>
                                                                                                                                                            


『スキー登山」』

 
スキー登山という題だけあって、ツアー技術が解説されています。
そして、滑降技術が多く解説されているので技術書としてもいいですね。
アルペンスタイル(いわゆる山スキー)とテレマークスタイルにわけて書かれて
いますが、ツアーという共通項で括った本といえます。(山スキーは柳澤昭夫さん、
テレマークは北田啓郎さんによる。)
メインの事柄は、山スキーの柳沢さんがかいていて、テレマーク独自の事がらを
北田さんが書くという形式です。つまり、山スキーとテレマークスキーの大きな
違いがテレマークテクニックな訳で、その辺の技術の解説は、充実してます。山
スキーの技術解説の中では、テレマークツアーでも共通ではあるが、「危険を
避けてルートを選ぶ」「山で遭難しないために」などの章も有ります。

個人的感想ですが、この柳澤さんって方は、「スキーというものは滑ってこそスキー
だ」「スピード大好き」って感じの人のように思えます。「スキーの魅力はスピード
の追求にある」とか「スピードという魔性と勇気と瞬間の判断で格闘するスポーツ
」と言い切ってます。コラムで、いまだに750のバイクを手放せないとか書いて
ありますし…。
この考えかた、好きです。
ヤマケイ登山学校シリーズの20番です。(榎本工事)