サハリン紀行第1部 | ||||||||||||||||||||||||
2003年夏、サハリンへ渡りました。 *文中のロシア語会話は、白泉社版「ロシア語会話」抜粋、ならびにロシア旅行社「添乗員が作ったロシア語会話集」を見ながらなされたものです。 |
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8月21日(木)稚内へ | ||||||||||||||||||||||||
今日からサハリン旅行なのですが、ひとまず北海道は稚内へ飛ばなければなりません。諸般の事情で飛行機は午後遅いのです。この日の午前中は旅行準備で過ごしました。 かみさんを駅に迎えに行き、昼食のあとタクシーを呼びました。午後1:30、常磐線ー山手線で羽田に向かいます。 モノレールが少し値下げされて、品川経由の京急線とかわらなくなったので浜松町で下車、モノレールに乗り継ぎます。これも諸般の事情で稚内直通ではなくて、旭川行きのJAS便には余裕で間に合いました。 バスは時間ぎりぎりに走ります。旭川市内に入ると混雑も始まり、私は時計をにらみながらハラハラしました。ようやく旭川駅に到着、走って切符を買いに行きます。多少の余裕もあったのでキオスクで夕食の弁当も買いました。旭川ー稚内の自由席特急切符は7560円で、これは予想以上の高値でした。現金がもつのかと心配になります。ぎりぎりの予算で来ている私たちも変な冒険者です。
かみさんは列車の冷房がきついとぼやきます。周囲には北海道ならではか、短パンにタンクトップで寝ている乗客もいます。名寄でかなりの乗客が下車したので座席を向かい合わせにしました。かみさんはありったけの衣類にくるまって一眠りしますが、やっぱり寒かったそうです。私は足元が冷えて、顔がほてるという自律神経異常を感じた程度でした。
午後10:20、稚内駅に到着し、駅の外を探すと「宗谷パレス」のワゴンがありました。
ホテルは道路一本を隔てて海があり、裏は宗谷半島の丘陵です。和風でこった内装のフロントに入り、チェックインします。部屋は一階の102号室で、狭く感じる6畳和室。テーブルに食事が用意されていました。事前に「夕食には間に合いませんので」と断ったはずなのでびっくりです。 |
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8月22日(金)サハリンへ | ||||||||||||||||||||||||
5時前に一度起きてトイレに行き、その後はウツラウツラして6時に起床。交代で温泉に入りました。
8:35、ホテルのお兄さんの四駆で稚内フェリーポートへ。天気はあいにくの曇り空、時折雨がちらつきます。フェリー「アインス宗谷」の停泊する側に港湾事務所・税関の建物があり、大荷物を持ったロシア人がたくさんたむろしています。それに混じって数人の日本人、という割合です。
9:00、日本人の職員によるパスポートと乗船券チェックを簡単に済ませ、ボーディングになります。わりあいあっさりしたものです。乗組員に案内されたのはフェリー前方の2等席で、低いしきりで分けられた雑魚寝フロアです。他に客は一人だけだったので、私たちは内側の6畳くらいのスペースを二人で占拠しました。かみさんは毛布を敷いて寝てしまいます。考えてみればゆっくり寝ていけるこういう旅は飛行機のスーパーシートより快適です。 窓の外は荒れ模様で、灰色の空と海が広がっています。窓ガラスは雨粒で曇っています。甲板に上がってもガスで何も見えません。大型フェリーなのに波が高いせいかよく揺れます。私たちは一人3枚必要だと言われている税関の申告書を書きました。 船内を散歩してみると、中程の席には単独のロシア人が多く、椅子席の1等席には家族連れが多かったようです。ビールの自販機に若いロシア人たちが群がっているのを見て、私はその値段にびっくりしました。350ccの札幌黒生が100円です。ロシア人たちの買い占めによって、二つが売り切れになっていました。私は2本買ってかみさんにその話をすると、かみさんはあわてて飛んでいき、5本買い込んできました。国境を渡るフェリーの中は免税なのです。私たちは税抜きビールを堪能しました。
午後3時過ぎ、コルサコフ港が見えてきました。5時間の航海は長いような短いような不思議な時間でした。3:30、着岸するというアナウンスがありました。続いて「ロシア側の船内手続きにしばらくかかる」という説明も。
外にでると、小柄な金髪女性が「カモハラさんですか?」と聞いてきます。「そうです」と応えると女性は「私はアリオナです、これからホテルへご案内します」と言いました。彼女に従って駐車場のトヨタ・クラウンに乗り込みました。 運転手はロシア人の大男です。アリオナさんはちょっと鼻が丸く、美人というよりは愛くるしい女性です。日本語は小学生レベルなのですが、とりあえず基本的な意志は通じるので文句は言えません。
部屋は412号と512号で、私は5階、かみさんは4階のちょうど上下でした。ベッド一つの小さい部屋ですが天井が高く、狭苦しい感じはありません。むしろ一人分としては贅沢な空間に感じます。トイレとシャワーをすまし、着替えるとホッとします。この後、時計を2時間進めてサハリン時間にしました。 |
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8月23日(土)ユジノサハリンスク観光 | ||||||||||||||||||||||||
午前2:30、5:30の2回、目が覚めました。そのつど枕元のデジタル時計のバックライトを点けて確かめます。毛布をかぶっていると暑いのですが、夜中に時々寒く感じることがありました。
もう11:30だったのでホテルに帰るのかな、と思っていると、アリオナさんは「これからトナイチャ湖に向かいます」と言います。お昼までに帰ってこれるのか心配になりますが、仕方がありません。車はユジノサハリンスク中心部を出て、コルサコフ方面へ向かいます。途中で左に折れ、田舎道に入ると突然乳牛の群が横切りました。野良牛ではないのでしょうが人間の姿はありませんでした。
やがて太平洋側の海岸へ出ました。「オホーツク海だ、オホーツク海だ」とかみさんは喜びます。荒れ気味の天気に海も白波を上げて荒れています。そこからすぐのトナイチャ湖はなんの観光施設もない、ただの気水湖でした。森や海岸もなく、茂みの続く単調かつ居心地の悪い水辺です。
帰り道にオホーツクの見える砂浜に降りて記念撮影しました。海が好きだと言っていたアリオナさんは寒いので車の中にいました。
6:10、少し日が陰ったので夕食をとりに出ることにしました。アリオナさんに聞いた日本食レストランで、その名も「日本みたい」というのです。アリオナさんは「大きな看板があるのですぐわかります」と言うのですが、この国の店舗の看板はおおむね小さく、住宅併用のビルの中にある場合など、B3くらいのプレートが壁にあるだけで、中に入らないと何の店だかさっぱりわかりません。用心して出かけます。 食事を終えてレジに行き、勘定書を見ます。頭の中の計算は1000ルーブリくらいでしたが、値引きが20%くらいあって830ルーブリでした。日本円でなら3000円台は二人の食事代としてたいしたことありませんが、これって一般のロシア人にはきっとチョー高嶺の花でしょう。この後、一階の食品店で明日の朝食(電車の中で食べる)を仕入れました。パンと揚げ物・ピラフそれに缶ビールです。 かみさんのペースでのんびりしてしまいましたが、今夜は8:50の電車で北部ノグリキへ出発することになっています。7時になっていたのでかみさんを急がせます。15分でホテルに戻り、急いでチェックアウトしました。今日歩いた距離感覚でいくと駅まではずいぶん遠そうです。重いリュックを抱えて歩くのも大変なので、タクシーを呼んでもらうことにしました。しかしフロントのオバサンは「ステーションまで行くのだ」と言っても分かりません。地図を示し、「ヴァグザール!」と怒鳴ってやっと分かりました。ホテルですらこの調子です。 タクシーは5分たっても10分たってもやってこず、かみさんがもう一度フロントに言いに行ったところでやっと到着しました。フロアシフトの普通の乗用車です。運転手は荒れた道をガンガンふっとばし、それでも10分ぐらいかかって駅に着きました。歩けばきっと30分はかかったでしょう。乗車賃は60ルーブリです。
2号車の改札係はまだ若い女性で、でも顔も体型もフルシチョフに似ています。チケットとパスポートを見せて車両に乗り込みます。1室上下段4人の寝台です。ここにも番号などはなく、どのコンパートメントに入ればいいのかわかりません。チケットには小さな数字が並んでいるだけです。どれが何を記しているのかさっぱりです。しかたなく、後方の廊下に立っていた若い髭の青年にチケットを見せて「グゼー・エータ?(これはどこ?)」と訊ねました。彼は親切にも車両を横断して2番目のコンパートメントまで来て、「ここだ」とジェスチャーで示しました。部屋を覗き込むと、二人の中年に近い女性がいました。彼女たちは下の座席のテーブルに向かい合っていて、私たちの席は上だと言います。二人連れの席が上の二つというのは不自然ですが、そう言われれば従うしかありません。違っているなら車掌がそう言うだろう、と思って梯子を引き出し、二人とも上の寝台に上がりました。とりあえず旅の寝床は確保したわけです。
列車はほぼ定刻の8:50に出発しました。この寝台はカーテンもなく、最低限のプライバシーもありません。見られても仕方ない、と居直ってジャージに着替えます。下の女性たちはしきりにおしゃべりを続けています。年かさの方が低音でドスが効いており、若い方が綺麗なソプラノで、二人のロシア語の会話は音楽のように聞こえます。きっと会話の中身は嫁がどうした姑がどうしたという、世間にざらにあるものなんだろうという想像はつきますが、やっぱりほとんど分かりません。 |
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