フランツ・フォン・シュトゥック

Franz Von Stuck

(1863-1928)

 

 

ミュンヘン分離派の大立者。ドイツ象徴派の代表的画家・彫刻家・建築家。

 バイエルンの粉屋に生まれる。家を継がせようとする父親と、それに反発するシュトゥックとの間にはしばしば紛争が起きたらしい。やがてその父親が死んだので晴れてミュンヘン美術工芸学校に入った。アカデミーにも入り画家レフツの下でも学んだが、生活に追われてほとんど登校しなかった。仕事は「フリーデンゲン・ブレッター(舞い散る落ち葉・コミック雑誌)」誌に挿絵を描くことだったというから、すでに技術的力量はかなりあったことになる。その力量は、独学で主にベックリンやレーンバッハから学んだらしい。

 1889年、ミュンヘンの万国博に出品した「無垢」他で画家として認められ、イギリスで起こった象徴主義がベルギーを経てドイツに流れ込むと、1893年いち早くミュンヘン分離派を起こし「罪」でセンセーションを巻き起こした。象徴的な表現ではクノップフから強い影響を受けている。

 サロメ、スフィンクスなど象徴派お決まりのテーマを描いたが、シュトゥックのそれは独特の明るさ、楽天性を持っている。彼の描く怪物たちはベックリンの粗暴かつ虚無的な幻獣たちと似ていながら、どこか脳天気な印象を受ける。こうしたキャラクターは彼の性格を反映している。風貌も親方風だが、その力量と親分肌の性格で彼はミュンヘンの「絵画王」と呼ばれていた。

 1895年にはアカデミーの教授になり、キルヒナー、パウル・クレーらを指導した。1897年にアメリカ人メリー・リンドペインターと結婚し、邸宅「シュトゥック・ヴィラ」を建てて住んだ。この奇妙な建築物は現在ユーゲントシュティル美術館となっている。20世紀に入るとさしもの「絵画王」も次第に忘れられ、やがて振り向きもされなくなった。シュトゥックの絵画はあまりにも卑俗な世紀末に密着していたので時代とともに滅びたのである。そのかわりに若い頃に描いたイラストは今日再評価されている。

「スフィンクス」油絵(1904)実物は飾り枠がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イブ」

油絵のための下絵(?)

 

 

 

 

 

「舞い散る落ち葉」誌の挿絵

”アモール、歌い手”

 

 

 

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