シドニー・サイム

Sidney Herbert Sime

(1867-1941)

 

 ビアズリー、リッケッツらと並ぶ伝説的なイラストレーター。

 マンチェスターに生まれ、少年時代に5年間ヨークシャーの炭坑で働いた。採掘現場の壁に子鬼や悪魔の絵を描いていたという。炭坑を脱走、独学で美術を学び、看板描きなどをして生活し、やがてリバプール美術学校に入った。

 26才で世紀末ロンドンに移住。「ピックミー・アップ」などの絵入り雑誌に挿絵を描く。やがて「アイドラー」などの高級誌にも登場した。彼の作品はグロテスクかつ悪魔的な主題が多かったがそれが世紀末の趣向に合っていて、ビアズリー亡き後のビアズリー信奉者の支持を受け、次第に売れっ子になった。

1898年、転がりこんだ遺産で「アイドラー」誌を買収、独自の編集を始めた。いくつかの独創的な作品は発表出来たが経営は失敗、サイムは財産を失って雑誌を手放した。一方、「ユリイカ」や「絵入りロンドン・ニュース」では台頭してきたデュラック、デトモルドらの彩色挿絵と並んでモノクロ挿絵を描き続けた。1910年ころから雑誌に反旗を翻し、単行本のイラストを描き始めた。その相手は幻想文学の大家ロード・ダンセイニだった。「ペガーナの神々」(1905)「時と神々」(1906)など、彼との仕事は今日高く評価されている。しかし20世紀に入って色刷りのギフト・ブックの時代になると、モノクロだけのサイムの作品は次第に過去のものとなった。

 晩年、世捨て人のようになり、テーブルの上に投げたマッチ棒からインスピレーションを受けて一度に2〜30枚の絵を描いたりしていたという。またカバラやウパニシャッドの神秘主義の研究、電気・天文・化学の実験にふけり、一度は自宅の屋根を吹き飛ばした事がある。サリー州ウォープルズドンで没し、その地に小さな記念館がある。

 荒俣宏さんは自分がコレクターになったのはサイムのダンセイニ本からだったことを繰り返し語っている。彼の創造したグロテスクな怪物たちは、今日アメリカン・コミックやアニメ、SFなどにアレンジされて使われている。

 

ロード・ダンセイニ「時と神々」挿絵

                     1922年

「ハッシッシの夢」インク・水彩(1905)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お化け動物」より

”ずるがしこい密告者”(1905)

 

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