ビアム(バイアム)・ショ

John Byam Liston Shaw

(1872-1919)

 

 南インドのマドラスに生まれる。父親は裁判所の職員だった。6才のとき本国に戻り、セント・ジョンズ・ウッド美術学校からロイヤル・アカデミーに進んだ。当時からロゼッティに影響され、彼の詩を主題に作品を制作。色彩感覚の派手さ、デッサン力などから高く評価された。しかし、初期ラファエル前派の持っていた高い精神性は見られない。「ボーア戦争」(1901)「旗」(1919)など、歴史の記念碑的な作品を残している。

 技術的には高いものを持っているが、なんとしても人物の表情に精気がない。ロゼッティ的な陶酔の表情ではなく、痴呆のような気の抜けた顔である。この区別が出来ないのは致命的。妻はモデルであり、画家でもあったイブリン・パイク=ノット。

 挿絵画家としてはブローニング、シェイクスピア、ポーなど多数を手掛けた。イラストを見ると油絵にあるような欠陥が目立たず、うまさの方が目立つ。アーサー・ヒューズと同様、こちらの方が性にあっているのかもしれない。

 

「祝福されし乙女(ロゼッティの詩より)」油絵(1895)

”how it strikes a contemporary”

ロバート・ブローニング詩集より

(1897)

 

"暗黒の塔に来たチャイルド・ローランド"(同上)

 

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