ダンテ・ガブリエル・ロゼッティ
Dante Gabriel Rossetti
(1828-1882)

ラファエル前派創設3人組の一人、というより、世紀末歎美主義宗教「ロゼッティズム」の教祖と言った方が正しいかもしれない美術史上特異な位置を占める人物。
彼の描くメランコリックで神秘的な女性像は熱狂的なファンをうみ、若い画家たちに強い影響を与えた。イギリスにおいてはモリス始め第二次ラファエル前派の結成をうながし、ベルギーではクノップフ以下象徴主義絵画集団の発生を導いた。彼の影響抜きに世紀末美術やイラストの歴史は語れない。
この人についても伝説奇説が数多く、どれを取り上げるか迷うくらいである。とてもこのコーナーの要約程度ではロゼッティの全貌を捕らえることはできない。よろしく専門的な研究書をひもといて頂きたい。
イタリアの革新的詩人だったロゼッティの父親ガブリオーレは青年イタリア党に参加しイタリア統一運動に携わっていたが、メッテルニヒの反動政治で祖国を追われ、ロンドンに亡命した。シャーロット通り38番地の小さな家に住み、キングズ・カレッジでイタリア語教授をしていた父ガブリオーレは、同じイタリアの血を引く妻フランチェスと結婚し、4人の子どもを得た。その2番目の息子がロゼッティである。弟のマイケルは兄の支援者であり、ラファエル前派の一員として記録「日記と書簡」を著した。また妹のクリスティーナは詩人として名を成した。
ロゼッティは幼い頃から詩作とデッサンに非凡な才能を見せ、サースのデッサン学校からロイヤル・アカデミーに入った。(1846)2年後、アカデミーを拒否して先輩画家F・M・ブラウンに弟子入りするが、あまりに厳しい師匠からすぐに逃げ出してしまう。同年秋、学友のミレイ、ハントらとともにラファエル前派を結成した。画力に関しては二人に劣る彼だが、人を惹き付けるカリスマ的な魅力を持っていたのでグループの代表格におさまった。同年描かれた「聖母マリアの少女時代」(1849)はラファエル前派の初期の代表作の一つである。その翌年発表した「受胎告知」(1850)は散々な酷評を受け、以後彼はめったに作品を発表しなくなった。
ラファエル前派はミレイの「オフェーリア」(1852)以降ラスキンの支持を得てメジャーな存在になって行く。しかし仲間の結束は次第に揺らいで来た。1856年、彼の熱狂的なファンであるモリスとバーン=ジョーンズと知り合い、一緒にオックスフォード・ユニオンの壁画制作に取り組む。この壁画は失敗したが、この後ロゼッティと若い画家たちとでより広い活動分野を対象にした後期ラファエル前派の活動が始まる。
一方、ロゼッティは1849年以来ラファエル前派の代表的美人エリザベス・エリナ・シダルをモデルにして絵を描いたり詩を作ったりしていた。彼らは婚約したのだが、結婚は10年後の1860年だった。この結婚は実は欺瞞的なもので、ロゼッティはその前年にモリスと結婚した同じく美人モデル、ジェーン・バーデンに恋をしていたのである。この四角関係は周囲の誰もが気付いていたらしい。
エリザベス・シダルは才能のある女性だったが、結核を病んでいて精神的にももろい所があった。欺瞞的な結婚の2年後、彼女は薬の飲み過ぎで死んでしまう。(当然自殺説もある)妻の死にロゼッティは激しく後悔し、降霊会を開いて彼女の霊を呼び出して涙にくれたりした。また、彼女に捧げる詩の原稿を棺の中に収めた。7年後にその原稿がおしくなり、墓を暴いて取り出し、出版して大成功した。墓場のシダルは生きているように金髪が波打っていたという。
この間にもモリス夫妻との三角関係は進展し、1871年にはモリスの留守中にケルムスコットの別荘で一夏ジェーンと娘たちとともに過ごしたりした。この結果、ロゼッティの後半生の作品の多くにジェーンが描かれている。しかしこうした関係を「不道徳」とする一部ジャーナリズムの攻撃にあい、ロゼッティはノイローゼになって自殺未遂を起こした。(1872)その後もジェーンとの関係はつづく。しかしモリスがロゼッティの影響から抜け出して行く過程で彼らの関係も終止符をうつ。
最晩年の8年間、彼は借金と麻薬中毒に苦しみながら、弟子とわずかの取り巻きだけを残して世捨て人のように過ごした。「ヴェヌス・アスタルテ」(1876)などの作品や詩集「バラードとソネット」(1881)はこの時期にかかれた。最後は健康を取り戻すために旅した保養地で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。埋葬地のケント州バーチントンの教会にはF・M・ブラウンの建てた記念碑がある。ハントが83歳、ミレイが67歳まで生きたのに対し、ロゼッティは54歳だった。

「受胎告知」 キャンバスに油彩 (1849-1850)

「早期イタリアの詩人たち」
扉絵
(1861)

E.E.シダル像
紙にインク
(1855)

「マリアーナ」 キャンバスに油彩 (1868-1870) モデルはジェーン

「聖ショルジュと竜」ステンドグラスの下絵・・・モリス商会のためのもの(1861頃)

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