ウィリー・ポガニー
Willy Pogany
(1882 - 1955)

ハンガリーのセゲト生まれ。ブダペスト大学工学部に学んだが後に美術に転向し、ミュンヘンで美術学校に入った。2年ほどパリでカリカチュア雑誌に寄稿していたが生活は貧しく、仕事を求めてアメリカに渡る途中ロンドンに滞在した。ところがそこでハラップ社の社長に認められ絵本の制作を依頼された。最初に描いた「オマル・ハイヤム」(1906)が評価され、続刊が「ブックス・ビューティフル」シリーズと銘打って刊行されることになり滞在が延びてしまった。このシリーズで「パーシバル」(1912)「ローエングリン」(1913)などのワーグナーオペラの絵本を多く描き、また「ハンガリー童話集」(1913)などエキセントリックなものも描いた。
ポガニーはわりと器用な人だったらしく、これらの本を様々なスタイルを駆使して描いている。それが逆にオリジナリティのない凡庸な画家と評価される点もあったらしい。
1915年第1次世界大戦の勃発とともにポガニーは英国を追われ、モデルも務めた英国人の美しい妻エレーヌとともにようやく渡米した。大陸では舞台美術や壁画制作などにたずさわり、好評をはくしたようだ。また1930年にはワーナー・ブラザース社の美術監督としてハリウッドに渡った。
ここでウォルト・ディズニー社の美術指導をしたという考察もある。1938年に出された「黄金の鶏」や1940年の「ピーターキン」はディズニーの絵柄に近いものがあり、興味深い。ディズニーがポガニー調の絵柄を採用したのも彼が国民的な人気を得ていたからであるらしい。
ポガニーなきあと、「ブックス・ビューティフル」シリーズはハリー・クラーク、アーサー・ラッカムらによって描きつがれる事になる。彼は英国絵本の転換期に立った重要な絵本作家といえるだろう。

ワグナー
「ローエングリン」
挿絵
1913

ワグナー作/T・W・ロルストン編著「ローエングリン」 口絵とタイトルページ(1913)

ワグナー
「タンホイザー」
挿絵
1911

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