ビアトリクス・ポター

Beatrix Potter

(1866-1943)

 

「ピーター・ラビット」で有名な伝説的女性絵本作家。

ロンドンの裕福な紡績商の娘として生まれる。絵を描くのが好きで、少女時代から動物を擬人化したスケッチをたくさん描いていた。当時の教育として家庭教師のもとで自由な外出も出来ない環境だったが、するどい観察眼で見たものを詳細に描くことを得意としていた。また、スコットランドの避暑地で乳母と過ごした北国の暮らしは、幻想的な物語や妖精の存在を信じる感性を彼女に与えたらしい。

成人になってからもポッターは一家とともに湖水地方のニア・ソーリーに避暑に来ていたが、そこでナショナル・トラスト運動のリーダーの一人、ローンズリー牧師と知り合った。この運動に共感するとともに、ローンズリー牧師から絵本を描くことをすすめられ、ポッターは自分の天命を知ったようだ。友人の子供たちに絵手紙として描き送ってていたウサギの話を絵本にし、出版したところ大当たりとなった。これが「ピーター・ラビット」である。

彼女はつぎつぎと絵本を描き続け、版権収入でニア・ソーリーを中心とした土地を買い取り、のちにはそれをナショナル・トラストに寄付した。おかげで、舞台となったニア・ソーリーは今でも絵本の中と同じ風景が変らずに存在するという。

ポッターは担当編集者で恋人でもあったノーマン・ウォーンの死とともにロンドンを離れ、ニア・ソーリーに定住した。47才で遅い結婚をしたあとは絵本作りを完全にやめ、別人のように農業に専念したという。その後もとくにアメリカで「ピーター・ラビット」の人気が高まり、ポッターがまだ生きていると分かった時には大きな騒ぎになったらしい。

 

絵本の技術としては、クレインやビアズリーらが使った「版画」の技法から写真製版による「印刷」に移る時期で、ポッターは水彩画を挿絵にして成功した最初の画家という事になる。

ポッターの作品は特に版権管理が厳しく、こうしたホームページにもなんらかのクレームがつくおそれがある。見ておくなら今のうちである。版権管理をしているのは、ノーマン・ウォーンの子孫らしい。

「兎のクリスマス・パーティ」

(1985ころ・19才くらい)

「ピーター・ラビットの話」(?)

「ベンジャミン・バニーの話」(?)

 

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