J・E・ミレー
John Everett Millais
(1829 - 1896)

ラファエル前派創立3人組の一人。この人についての伝説は数多く、どれを書いていいのかわからないくらいである。ビートルズで言うと、ロゼッティがジョンでミレーはポール・マッカートニーにあたるような気がする。(ハントはジョージになるのかな?...若干強引)
名前で分かるが、サザンプトンでフランス人の家族の中に誕生する。10才たらずでサースのデッサン学校に学び、優秀な画力で数回のメダルを受ける。「ナイフのように痩せた」非常な美少年であったらしい。
1840年、ロイヤル・アカデミーに学び、そこでラファエル前派を結成。1852年に発表した「オフェーリア」でラスキンに認められ、仲間のうちでも最も早く名声を得る。1836年にアカデミー会員に選ばれ、1896年には会長にもなり、「PRB(ラファエル前派)がPRA(アカデミー会長)になった」と言われた。ついでに爵位も頂戴し、英国でサーと呼ばれる最初の画家になった。
卓越した画力と分かりやすいテーマで大いなる人気を集め、イギリス画壇における最も成功した画家になったのだが、その分最初のころに持っていた神秘的な魅力はどんどん薄れて、最後は平凡な通俗画家になってしまった。
若いころにはハントとの同性愛を疑われた。その後ラスキンと家族的なつきあいを続け、別荘地で彼の肖像画を描いている最中、ラスキンの処女妻(ラスキンは潔癖症で性的に不能だった…後にケイト・グリーナウェイに惚れこんだりした所を見るとロリコンだったようである)エフィーと仲良くなり、恩師に決別して彼女を奪い結婚した。このスキャンダルは世間を騒がし、後年のミレーが貴族やブルジョアのたくさんの肖像画を描いている時も、ヴィクトリア女王だけは彼を近づけなかったと言う。
イラストの仕事は多くないが、アンソニー・トロロップの「リトル・ヴァレンチノ」などの小説の挿絵は高く評価されている。

「秋の落ち葉」 キャンバスに油彩 1856

テニスン詩集
「美女の夢」挿絵
1859

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