ジェシー・M・キング
Jessie Marion King(Tayler)
(1876 - 1949)

グラスゴー近郊のベアースデン生まれ。厳格な宗教者の家に生まれて厳しい教育を受けたので、 美術家になる夢は諦めたが、美術教師を目指してグラスゴー美術学校に学ぶ。優秀な学生だったので在学中に数々のメダルを授与された。(ちなみにグラスゴーはフェミニズムでも重要な位置にある)
1899年にグラスゴー美術学校のブック・デザインおよび装飾の指導教員になった。フランス・イタリア留学試験に合格して南欧におもむき、そこでボッチチェリに大きな影響を受け、より繊細で華麗な画風となった。1902年に開催された「チューリン国際現代装飾美術展」で金メダルを獲得、翌年にはグラスゴー芸術家協会の委員、および女性芸術家グラスゴー協会のメンバーになった。
1907年にインテリア・デザイナーE.A.テーラーと結婚し、ソールフォードへ移動。1910年にはテーラーがチューダー王家のハートスタジオで教授職を獲得したのでパリへ移動した。パリでシェアリング・アトリエ・スクールを開設、 アール・デコ運動に貢献した。
たくさんの風景・花の本の他、モリス、キーツ、オスカー・ワイルドの本を手掛け、また宝飾、学校の壁面装飾、 ろう染などの作品を残している。 1915年にスコットランド南部キルクドブライトに移動し、そこで生涯を終えた。
どういう女性だったのか、ちょっと肖像を見たい気がする人である。

ウィリアム・モリス作
「ギネヴィアへの捧歌」挿絵
1904


オスカー・ワイルド作
「石榴の家」挿絵
1891

リトル・プリンセス(?)

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