英語の歴史

戻る

序:

英語を勉強するときに、「英語って何?」と考えたことはありませんか?

この講義の目標の一つは、そんな疑問に答えることです。

英語を勉強し始めてから、「どうして英語ってこうなの?」と考えたことはありませんか?

この講義のもう一つの目標は、そんな疑問に答えることです。

 英語の歴史を勉強して学べるところはそのようなものです。

 英語に限らず、歴史を語り始める際に、いちばん大切なことは、ものの始まりを決めることです。

 一方、始まりの反対は終わりですが、英語は幸運なことに、まだ「終わり」はありません。ですからみなさんの周りの英語は、いまでも「歴史」を作り続けているわけです。そして、これからの英語の姿がどうなるのかは、誰にもわからないことなのです。

 それでは英語の始まりについてはみんなわかっていると言えるのでしょうか?

 残念ながらそうではありません。ただ、少しばかり推論を交えながらわかっているとおもわれるところはあります。それについてお話しするところから、英語の歴史について学んでいくことにしましょう。

英語のことを、英語そのものでは English と言いますね。この言葉のもともとの意味は、「Angleの」という意味でした。ですから、「Angleの人々」といえば English men といいますし、Englishとは「Angle人の言葉」という意味だと考えれば良いでしょう。けれども「Angle人の土地」という言葉は、English landとは言わず、 England というのです。

 でも、「Englandが英語の故郷なんだ」と早合点してはいけません。現在の英語のもっとも古い形の言語を話す人々は、今のドイツの北からデンマークにかけて、さらにはオランダ沿岸にかけて住んでいた人々だったようなのです。その地域から、現在イングランドと呼ばれる大ブリテン島の大部分に海を越えて渡ってきたのが English を話す人々の直接の祖先となった人たちでした。>アングル人の故郷の地図へ

というわけで、彼らが海を越えて渡ってきたルートはこんな感じです>イングランド人の祖先たち移住経路の地図へ

 「現在の英語のもっとも古い形の言語」なんて、なんだかもってまわった言い方ですね。

 英語ってなんだろう?という疑問についてなるべく正確な答えをだそうとすると、こんな風な言い方になってしまうのです。

 つまり、英語とは、現在イングランドと呼ばれているところに住む人々の言語だったものが、だんだんと変化していき、その地域に住んだ人々が移住した地域でも話されるようになり、さらにはいろいろな経過を経て(その「いろいろ」というのは、下の年表にチョコットだけ書きましたが)、いまでは母語が英語でない人々の間でさえも使われるようになった言語の総称、と言えるのです(母語(ぼご)というのは、産まれてから話し始めるまでに修得した言葉のことです。言語学の世界では「母国語」という言葉は使わないのです。アメリカに産まれてもアメリカ語を話すと言わず、英語(つまり文字通りにはイングランドの言語)を話すからでしょうかね)。

現在に至る英語の歴史の概観を見てみることにしましょう。

古英語期

西暦5世紀末頃からブリテン島に移ってきた移住者たちがいました。 彼らの住み着いた土地ははじめは「アンゲルキュン」と呼ばれましたが、後に「エングラランド」と呼ばれるようになりました。現在そこは「イングランド」と呼ばれております。

そのエングラランド(イングランド)に住む人々が話した言語を、現在は「古(期)英語」と呼びます。

6世紀末頃までに王国が確立していきます。>七王国時代と呼ばれたイングランドの地図

7世紀初めから、イングランドのキリスト教への改宗が始まります。

8世紀末から9世紀半ば ヴァイキングの攻撃、略奪にさらされます。

9世紀半ばからヴァイキングのイングランド侵略、定住が行われます。

878年 デーンローが確定。

1016-42年 デーン人王クヌートがイングランド王になる。

1042年 エドワード懺悔王(証聖王)即位(1066年没)

中英語期

1066年 ノルマン征服により、フランス語が支配階級の言葉となる。

1154年-1399年 プランタジネット朝 (アンジュー帝国)英国王ヘンリー二世から(1189年没)

12世紀後半 オクスフォード大学の基礎がなる。

1200年頃 初期中英語文献が書かれ始める(ラヤモンの『ブルート』;『尼僧院規則』;『梟とナイチンゲール』など)。

1204年 ジョン失地王 フランス国内の領土の大部分を失う(アンジュー帝国消滅)。

1215年 大憲章(マグナ・カルタ)により、王権の限界を明確にする。

13世紀後半 エドワード一世 英国国家意識が高まり、英語の復権が強まる。

1337-1453年 英仏百年戦争 フランス語の廃用を促す一因となる。

14世紀半ば 黒死病流行 その後教育の改革をはかり、英語による教育が図られる。 農民・職人の労働力不足をもたらす。

14世紀後半 ジェフリー・チョーサー、ジョン・ガワー、ウィリアム・ラングランドの『農夫ビアズ』、『ガウェイン卿と緑の騎士』など、中英語文学作品の最盛期。

1384年 12月31日ウィクリフ死去。

1387年 ワット・タイラーの反乱(リチャード二世と説教師ジョン・ボールが英語を使用)

1400年頃 このころから大母音推移が始まる。

1425年頃 ロンドン方言が標準的な文章語となり始める。

1450年頃 ドイツのマインツでヨハネス・グーテンベルクが42行聖書を印刷。

1473年 ウィリアム・キャクストンが最初の英語印刷本をブルージュで印刷。

1476年 ウィリアム・キャクストンが印刷所をロンドンのウェストミンスターに設立。ロンドン英語を普及させる。綴り字の固定化を促進させることになる。

近代現代英語

1500年頃から 初期近代英語=屈折消失の時期

1524年 ウィリアム・ティンダルが国外に亡命。その二年後からティンダルの英訳聖書が密輸入され始める。

1534年 国王至上法により、英国国教会、ローマ教会から独立(ヘンリー8世)。修道院解体へと続き、多くの貴重な写本などが失われる。

1536年 ティンダル火刑により死去。

1558年 エリザベス一世即位

16世紀後半-17世紀前半まで 初期近代英語の代表的文学作品が生まれる。同時に英国劇壇全盛時代。

16世紀末 正字法などについて英語教育論が唱えられ始める。

1611年 欽定訳聖書完成。近代英語散文文体の形成に、シェイクスピアや当時の作家、文筆家とならび、大きな役割を果たす。

1660年 王政復古 以後、フランス語の影響を受け、洗練を重んじられる。王立協会より、科学、哲学、文学などの著述が散文の発達に貢献。

1688年 名誉革命後、ウィリアム三世、メアリー二世夫妻即位(1689年)。立憲君主政体の確立。

17世紀末から18世紀 散文小説などが書かれ始める。

1650-1700年頃から 後期近代英語の呼ばれる英語になる。

1800年頃から 現代英語と呼ばれる。

 現在イングランドと呼ばれる地域に初めて住んだ、 English をしゃべる人々のことについて、それでは見てみることにしましょう。

 >トップへ<