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no.82 10月13日 パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団

 世界トップクラスの吹奏楽団、パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の演奏会が10月13日に渋谷・オーチャードホールでありました。とある関係筋から入場券をもらえることになったのですが、非常に残念ながら私は夜まで仕事です。そこで、鷲宮ウィンドの若干名の方に代わりに行ってもらうことにしました。感想文を書いてもらいましたので、ここに紹介します。


これは、まさしくウィンドオーケストラ

 オーチャードホールって私の大好きなホールなんです。そこでギャルドが聴けて、しかも一階席の真ん中の席だったので、それだけで感激しました。10数年前の来日時は昭和女子大人見記念講堂(名前と字、あってます?)での演奏を、下を見ると眩暈がしそうな3階席で聴きました。24日の東京芸術劇場のCプログラムは、チケットぴあで確保しましたが、どうやら最前列になったらしいです。
 さて、感想との事ですが、「とても上手で感動しました。」では許されないですよね。ちょっと生意気で斜に構えた評論を聞いてください。
 ギャルドは一般的な吹奏楽とは編成が違い、とても贅沢な編成ですから、そこから生まれるサウンドは、真にウインドオーケストラと呼べるものでしょう。フリューゲルホルンやバリトンといった持ち替え楽器を駆使し、低音もバス−ンやコントラバスクラといった様々な楽器を使って練り上げたサウンドは、例えるならフランス料理のソースと同じでしょう。
 私は「ギャルドの音は凄い! けど、あちらこちらに見え隠れする、おふらんす独特の香りが物足りない。」と思っていました。でも、指揮者が変わるとギャルドも変わるんですね。フレンチのソースに物足りなくて塩、コショーを足してしまう私好みに近づいていました。
 一番聴きたかったのが、「ディオニソスの祭り」。コンクールで必死になって吹く演奏は何度となく聴き(自分も必死で吹きました。)ましたが、一糸乱れぬ指使いと、なんとも言えない間(ま)の取り方のアンサンブルを、あの大編成でさらっと聴かせてくれました。酔払っても大暴れ、酩酊はしない小粋で紳士なディオニソスでした。
 「英雄の時代」は長くて正直疲れましたが、逆にギャルドソースのお陰でソロが立ち、聴き易かったです。(ああゆうのってギラギラしたのが多いですよね。本来そういうの好きなんですが・・・さすがギャルド!?)それよりも須川展也アンコールでピアソラの「忘却?」(うろ覚え)に感動! なぜって、私が抱いていたギャルドの音色で、ちょっと垢抜けした演奏だったから・・・あのアンニュイな感じの土着的な・・・でもお洒落〜な音。
 「ラ・ヴァルス」ではブーランジェがワルツを踊るかのようなステップで腰を振り振りしながら指揮をする姿が印象的でした。(あの動きは日本人にはできないですよ!たとえ海外生活の長い江川さんでも)
 「火の鳥」で気づきました。一糸乱れぬ木管の指まわりでひとフレーズを吹ききり、天井の高いホール一杯に音をポーンと飛ばしてしまう「ギャルド吹き」とも言うべき技に。オーケストラっぽい演奏ではなく、ウインドオーケストラならではのサウンドを生かし、ストラビンスキーもびっくりするような演奏でした。(個人的には終曲は、ジョン・ウイリアムズのサントラのような方が好きですが・・・)
 ちなみに、私の理想のサウンドは何だかんだいってもギャルドのトッカ-タとフーガなんです。これを生で聴ける機会があれば飛行機乗ってでも(国内なら)行きますよー!(


「個性」を考えさせられたギャルドの演奏

 今回の演奏会でまず驚いたのが「ディオニュソスの祭り」の完成度の高さでした。プレイヤー全員が曲を熟知していることが肌で感じられ、その気迫に自然と聴く側も心地よい緊張感に包まれました。
 「ディオニュソスの祭り」だけではなく、アンコールを含めてフランス人の作曲家の曲は、ギャルド独特のフランスの香りただよう輝きに溢れ、その魅力を遺憾なく発揮していたように思えます。しかし、他国の作曲家になると、決して手を抜いているというわけではないのですが、フランス人の曲に比べて距離感を感じました。以前、フランス人のプレイヤーは非常にプライドが高いので他国の指揮者は苦労する、という話を聞いたことがありますが、ギャルドも自国を愛する誇り高き演奏家なので、その音に違いが生じるのだろうと勝手に想像してしまいました。
 ギャルドが放つ輝きは芸術の本質であり、その輝きに人々はお金を払うのだと私は考えます。ギャルドの芸術的個性といってもよいでしょう。今回の演奏会で芸術とは個性の表現である、ということを再認識させられました。
 当然、我々アマチュアは彼らの域に遠く及びませんが、人に聴かせる以上その高みを目指さなければならないのではないでしょうか。プロ・アマ問わず、人前で演奏するという行為は表現です。技術的な面に力を注ぐことはもちろんですが、何を伝えたいのか、どう伝えるのかということを自分の個性、そして楽団の個性を含めてもう一度自ら問い直す必要があるのではないか、と考えさせられた演奏会でした。(W


クラリネットに感動

 結局土曜日は仕事を1時間早く帰らせてもらって、前半途中から聞く事が出来ました。
 ほとんどが聞いた事のない曲だったので、演奏者を見たり指揮者を見たり、「音」を聞いてたり、という感じで、どんな曲だったかはよく覚えてません(ごめんなさい)。でも、本当に素晴らしいサウンドでした。あの大編成で乱れた音は聞こえてこないし、「動き」と「音程」がびちっと合うとこんなにもすっきりクリアに聞こえるものなのねー。それにひきかえむにゃむにゃむにゃ・・・などと思いながら聞いていました。
 そしてクラリネットがたくさんいるって、素晴らしい・・・・ざっと数えてみて十数名いたのでしょうか。
 ソロで聞こえてくる音も柔らかな音で素敵だったのですが、パート全体で聞こえてくる響きには本当にうっとりしてしまいました。そしてアンコールの1曲の「熊蜂の飛行」では、ユニゾンで吹いているのが1本の音に聞こえてくるのには鳥肌が立ちました。本当に涙が出るかと思うくらい感動してしまいました。うーん、聞けて良かった。
 すっかりギャルドのファンになってしまったようなので、次に日本に来るときにも聞きに行くでしょう。多分。(S


♪ みなさん、個性的な感想文をありがとうございます。これで少しはコンサートに行った気分になれました。そう言えば、人見記念でのコンサートは私も行きました。その時は、ロジェ・ブートリー氏が指揮者でしたね。ブートリー氏は「サクソフォーン協奏曲」も書いている作曲家なのです。知ってましたか?
 フローラン・シュミットの「ディオニソスの祭り」は、大学の時に吹き、こんな作品が吹奏楽のオリジナルにあるんだと感心したものです。とにかく名曲というほかありません。作曲家三善晃先生に吹奏楽コンクールの課題曲をお願いする時に、吹奏楽曲の参考としてこの作品もテープに入れてお渡ししたことを覚えています。(先生が実際お聞きになったかはわかりませんが)それで「深層の祭 サブリミナル・フェスタ」が世に生まれたのかも知れません。

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