忘れられない愛車 SUBARU LEONE TouringWagon 1800ST 

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1999年2月。その日は突然やってきた。いつものように出勤しようとレオーネ君で家を出て20m。県道に出る角を左に曲がった瞬間、ガッキン!という鈍い音とともに、車が前に進まなくなった。エンジンは動いているのだが、クラッチを切ってギアを何速に入れても前にも進まなければ後ろにも進まない。私の見立てでクラッチが駄目になってしまったと判断された(実はこれは大きな間違いだった)レオーネ君は、この後、修理をされることなく、7年8ヶ月にわたる愛車生活に幕を閉じることとなった。この20mが、最後の公道走行になってしまった彼の、総走行距離は190136kmだった。

ここでは、記憶に新しいうちに、自分の足となって活躍してくれたレオーネ君の足跡を振り返りたいと思う。

なぜレオーネだったのか?
レオーネ君のプロポーション(車検証より)
レオーネ君のメインテナンス(整備手帳より)
レオーネ君はタケコプター
はい、ポーズ
レオーネ君さような

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スバルレオーネを選んだわけ

レオーネが、愛車となったのが1991年の6月。だが、車探しは、その2ヵ月ほど前から始まっていた。当時乗っていたカローラ1600GTにだいぶガタが来ていたので、中古も扱っている自分がかつてバイトをしていた厚木の神高自動車に、車探しを頼んだのだ。

その時の条件が  ・スバルレオーネ4WDワゴン  ・エンジンはノンターボ  ・ミッションはMT  ・なるべく走行距離が短いもの  ・価格は50万が目安  ・年式は問わない  といったように記憶しているが、すでにこの時には、レオーネと決めてオーダーをしていた。ではなぜレオーネだったのか?

職場の仲間とスキーに行ったりする機会が多く、それまでのセダンでは使い勝手が良くなかったのでワゴン車にしたかったことが原点になっている。そして、スキーに行くのだから当然4WD。そうなったときに、車造りの実績からして、当時はレオーネしか選択の余地が無かったというのが正直なところだ。クロカンも考えないではなかったが、車高の低さによる安定性やセダンに近いデザイン、Rally of NewZealandで見たレオーネの活躍などが後押しして選択を決定づけた。

レオーネに決めてオーダーした上の条件の中で厳しかったのがミッションと価格だ。神高の社長さんからは「杉山君、マニュアルなんて見つからないよ」「値段何とかならないの?」と何度となく言われた。しかし、価格の見直しはしたがマニュアルだけは「気長に探します」と譲らなかった。そうして見つけてもらったレオーネに8年近く乗れたのは、条件の譲歩をしなかったからかもしれない。

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とり回しのしやすいレオーネのサイズ

自動車検査証(いわゆる車検証)より、レオーネ君の概要を紹介します。

車    名

スバル

車体の形状

ステーションワゴン

型    式

E−AL5
原動機の型式 EA82

総 排 気 量

1.78L
長さ×幅×高さ 441cm×166cm×148cm 車 両 重 量 1090kg
初年度登録 S61年3月 我が愛車になった日 H3年6月12日

プロポーションとしては、スレンダーでもグラマラスでもない、ちょうど良い大きさだろうか(と言っても男の子ですが・・・)。スクエァなボディゆえに、見切りも良く、とり回しのしやすい車だった。また、ノンターボで100SPだっただろうか、とにかくパワー・トルクが急に高くなることも無く、安心してアクセルを踏めた。もちろん、4人乗車でスキーへ。なんて時は、確かにパワー不足だったが、素人がレッドゾーンまでエンジンを回して楽しめるのは、せいぜいこれくらいの馬力ではないだろうか。しょっちゅう、6000回転以上回していた。

燃費はエアコンなしのちょい乗りでリッター9kmぐらいだった(エアコンを入れると8kmぐらい)。個人的にはエアコンがあまり好きではなかったので(かけても、効かなかった)、8kmを下回ることはあまりなかったが、10kmは行って欲しいなと、ガソリンを入れるたびに思った。しかし、ちょい乗りでは貧乏人泣かせのレオーネ君も、ひとたび郊外に出れば、孝行息子に変身だ。ツーリングに出れば、リッター11km。高速(100km以下で巡航)や平坦地だけなら12kmで給油の目安が立てられた。97年の夏に東北へ行った時は、(省エネを意識しながら)昼間の旧陸羽街道を中心に走ってリッター14kmを記録した記憶がある。マニュアルゆえの強みか、とにかく、ロングツーリングでは何度となく財布を助けてもらった。

また、この車には油圧によるハイトコントロール(車高調整機能)が付いていた。オートレベライザーがないので(エアサス車ではない)、頻繁にコンプレッサーが回りっぱなしということが無く、エアサス車にありがちのサスペンショントラブルが無く車高調節が得られた(今のレガシィがエアサスなのでこれからの出費を覚悟している)。スキーに行き、脇道のわだちが深めな所でも腹をすることは、ほとんど無かった。また、後ろに人を乗せたら、開けておいたドアが歩道や縁石に当たって閉まらなくなった。という経験はありませんか?そんな時も慌てず騒がず、ハイトコントロールスイッチを入れれば解決できるのだ。

初めて乗った4WDということもあり、当初はその効用を試すべく林道やワインディングロードに良く行った。パートタイムゆえに4WDのON/OFFの違いがはっきりと体感できた。特にそれを感じるのが上り坂で加速の途中に4WDをONにした時だ。FFから4WDにすると、後ろからも押されている感じがするのだ。というか前で引っ張り後ろで押している感じがする。もっとはっきりするのが、FFに戻した時。明らかに前で引っ張られている感じが分かる。タイトコーナーブレーキング現象というやっかいなことがあるゆえ、1年中4WDということができなかったが、晴雨にかかわらず、高速に乗れば4WDにしていたのは、安定感を求めてのことだ。わだちに水が溜まった時の高速走行では2WD車に比べ安心感があり、結果としてロングツーリングの疲労防止になったと思っている。

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レオーネ君のドック入り

平成3年6月12日に我が愛車となったレオーネ君。 メインテナンスは、自分がかつてバイトをしていた、厚木の神高自動車にお願いしているが、6ヶ月・12ヶ月の定期点検はもとより、イレギュラーなドック入りも数々している。

レオーネ君のお手入れを「自動車定期点検整備記録簿」から、拾い上げてみる(オイル交換は除く。×は交換、Oはオーバーホール)。なお、6点が途中で法定でなくなったので、個人で受けてはいるが記録としては残っていない。

91.6.12 車検整備 63593km タイヤ(×)、
91.10.26 イレギュラー 74359km F右ドライブシャフトブーツ(×)、F左ドライブシャフト(×)
91.12.12 6点 76621km パワステ・ファンベルト(×)
92.6.9 12点 84570km 点火プラグ(×)
92.12.14 6点 97673km パワステポンプ(×)
93.6.8 車検整備 104490km ブレーキライニング(×)
93.? イレギュラー 108580km ブレーキオイルシリンダ(O)、マスタシリンダ(×)
93.12.11 6点 111838km 特になし
94.1.10 イレギュラー 112481km R左右ホイルシリンダ(×)、ライニング(×)
94.7.7 12点 120805km 特になし
94.12.24 6点 132676km パワステ・ファンベルト(×)
95.2.9 イレギュラー 135818km 左ヘッドよりオイル漏れのためガスケット交換
95.6.6 車検整備 140785km Rブレーキシュー(×)、Rホイルシリンダカップキット(×)
95.9.30 イレギュラー 148140km クラッチ(×)
96.2.8 イレギュラー 151581km エンジン(×)、スターターモーター(O)
96.10.23 イレギュラー 160266km Rブレーキシュー(×)、Fディスクパット(×)、F左シャフトブーツ
97.6.4 車検整備 167311km Rホイルシリンダカップキット(×)
98.6.11 12点 182569km F右ドライブシャフトブーツ(×)
99.3.   190136km 登録抹消

上記以外に、マフラー交換1回。タイヤはスタッドレスが8本。ノーマルが14本だと思う。長年積み重ねてきたボデーの傷直し1回。事故修理1回。どこかでもう1回クラッチ交換をしたと思うのですが・・・ ざっと、まあ、こういったドック入りをしてきました。ブーツが弱いのがレオーネ(スバル?)の傾向だと思うが、ブーツ破れを注意されていながら放っておいて、結局ドライブシャフトを交換する破目になってしまった。

今回、廃車に至る原因となったフロントデフの崩壊は、実は前兆がちゃんとあった。ステアリングを大きく切るとカリカリと音がしていたのだ。すぐに手を打てば寿命は伸びたはずである。しかし、「ここで手をかけても、またすぐにどこかが不具合になる可能性がある。」「今後、ますますお金がかかる修理が増えることが予想される。」といったことがネックになり、修理をする決定を下せないでいた矢先のことだったのだ。維持するのか手放すのか。ベテランを持っているカーオーナーすべてが悩むところだろう。結局その決断が下せないままにいた自分に、車が答えを出してくれたのかもしれない。

lastmeter.jpg (10572 バイト)最終メーター

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杉山女魚のタケコプター

7年9ヵ月にわたる愛車だったレオーネ君は、私と妻、そして仲間をいろいろな所へ連れていってくれた。釣り・スキー・ドライブ・温泉・お食事などなど、あらゆる場面に付き合ってくれた(付き合わされた)。記憶をひも解いて、レオーネ君と訪れた場所を覚えている限り列挙してみよう。

釣り・・・芦ノ湖、丹沢湖、津久井湖、世附川、玄倉川、早戸川、道志川、中津川、相模川、酒匂川、早川港、江ノ浦港(以上神奈川県)、河口湖、桂川、釜無川、須玉川(以上山梨県)、松川湖、芝川、佐野川、福士川、河津川、那賀川(以上静岡県)、千曲川、相木川、金峰山川、大石川、鳥居川(以上長野県)、銀山湖、魚野川、佐梨川、北ノ又川(以上新潟県)、中禅寺湖、那珂川、余笹川(以上栃木県)、阿武隈川、館岩川、桧枝岐川(以上福島県)、雄物川、三内川、岩見川(以上秋田県)、和賀川(岩手県)

スキー・・・御坂、富士見パノラマ、白樺湖ロイヤルヒル、しらかば2イン1、乗鞍、雫石、安比、志賀、栂池、

ドライブ・・・伊豆韮山いちご狩りツアー、山梨一宮もも食べツアー、長野戸隠そば食いツアー、山梨明野ひまわり見学ツアー、三内丸山遺跡見学ツアー、三沢下北探訪ツアー、浜名湖しらす・うなぎ食いツアー、八景島シーパラお遊びツアー、東京ディズニーランドお遊びツアー、碓氷峠信越線さよならツアー、車山のんびりツアー、清里ソフトクリーム食べツアー、など

温泉・・・奥薬研、田代元湯、酸ヶ湯、谷地、青荷、古牧、黄金崎不老不死、蔦(以上青森県)、森岳、赤川、澄川、後生掛、玉川、小倉、秋田、鶴ノ湯、孫六、黒湯、妙ノ湯、強首、泥湯、川原毛湯、小安峡(以上秋田県)、松川、大沢、夏油、鉛、湯川、薬師(以上岩手県)、滑川、白布、姥湯(以上山形県)、温湯、湯の倉、吹上、轟、峨々、鎌先(以上宮城県)、桧枝岐、湯の花、木賊、甲子(以上福島県)、喜連川、中禅寺、福渡、新湯、鬼怒川、川治、湯西川(以上栃木県)、鹿沢(群馬県)、湯沢(新潟県)、湯田中、乗鞍、毒沢、長田、上諏訪、扉、親湯、渋の湯、奈川(以上長野県)、新穂高、新平湯、栃尾(以上岐阜県)、増富、赤石、芦安、十谷、下部、佐野川(以上山梨県)、熱海、北川、沢田公園、湯ヶ島、石部、修善寺、伊東、河内、駒の湯、大沢(以上静岡県)、湯河原、姥子、箱根湯本、底倉、中川(以上神奈川県)

通過都県・・・青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島、新潟、長野、岐阜、山梨、静岡、群馬、栃木、埼玉、千葉、東京、神奈川

本当に、レオーネ君には世話になった。

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