子どもがそのまま大人になると・・・

乗り物について思うこと

幼いころ道行く車を「あれは○○○○」「あれは△△△」と、片っ端から言っていた。ということを、おばがよく言っていた。小さい頃から、見るのも乗るのも好きだった。バスに乗ると腕木が出てくるウィンカーのそばに座って、それが出るたびに一緒に自分の腕を曲げたりしていた。 それが、物心付いてからの車の思い出。田舎のおじが運転するスバル360やR2は、今でも鮮明に記憶に残っている。

免許を取ってからは、友だちの影響でオフロードに興味を持ち、ラリーやダートラを少々かじり、車内で鉄棒ができる、トラックのようなうるさい音のするタイヤを付けた車に何台か続けて乗った。ナビゲーターなんて、格好いいでしょ?

海外での仕事の時は、友だちが廃車にした車をもらい自分で横浜港まで陸送した。赴任当日のことだった。涙の別れをして機上の人となり、一息ついてバックを開けたら、そこに仮ナンバーが・・・おそらくNEW ZEALANDまで行った仮ナンバーは、後にも先にもこれだけだろう。

帰国後は、競技には関わっていないが、オフロード指向は変わらず、セミラリー車の後、4WDのワゴンを乗り継いでいる。もっとも、オフロード指向というより、最近では「遊び」のための車選びだったように思えてきている。

最初のワゴン車「LEONE TouringWagon 1800ST」は,91年6月に中古で購入後、99年3月に廃車にするまでの8年弱で13万km近くも乗った。できればずっと乗りつづけていきたかったが、フロントデフの崩壊をきっかけに、「LEGACY Brignton220 Airsus」にバトンタッチをした。今でも町でレオーネを見かけたりすれ違ったりすると、複雑な気持ちになる。スバル車を2台乗り継いだわけだが、自分のライフスタイルにあった車がスバルにあったからに他ならない。が、幼いころの360やR2の思い出が影響しているのかもしれない。

車だけではなく、子どもが(特に男の子が)あこがれるものには、何でも興味を示していた。港や空港に連れて行ってもらうのが好きだった。 夜空に響く汽笛・連結器の音、それを聞くのが田舎での楽しみだった。船乗りになりたいと真剣に考えた時期もあった。旅行に鉄道や飛行機をつかう機会があると、乗ったことのない列車や機材を選ぶようにし、「なくなる」と聞くと、にわかファンになって写真におさめたりしている。

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