週刊墨教組 No.1381 2002.9.19

二〇〇二年度教研集会
全体会 十月二日(水)午後二時半
記念講演は、神野直彦さん
   (東京大学教授)

神野直彦さんの近著「人間回復の経済学」(岩波新書)は、多くのところで大きな波紋を投げかけています。それは、「小泉改革」に真っ向から反対し、反撃を加えているからです。「競争」「効率」「市場原理」という言葉が、正しく当たり前のように語られている殺伐とした世の中になっています。しかし、それは「ハンドルの切りまちがいだ」と神野さんは言います。

「二十世紀から二十一世紀にかけてのエポックに、」日本は、『構造改革』『構造改革』と絶叫し、強者が強者として生きていく競争社会を目指してきた。人間は利己心に支配された「経済人」であり、競争原理に支配された市場という神の見えざる手に、人間の運命をゆだねなければならないと教唆されてきた。/そうした構造改革は、人間の社会を破局へと導きつつある。人間への信頼や人間のきずなが喪失し、凶悪な犯罪、自殺、麻薬などの社会的病理現象には枚挙のいとまがない。/人間は経済人ではなく、『知恵のある人』であることを忘れてはならない。」

 神野さんは、この「競争社会」に別れを告げ、「協力社会」へ歩みを戻すことを訴えています。

「人間の幸福は、人間と人間とのふれあいのうちにしか見いだせない。人間が自然に働きかける、働くということは、人間が愛し合い、共に学び、共にあそぶことによる、ふれあいのうちに幸福を見いだすための手段にすぎない。/ところが、誤った方向に構造改革のハンドルを切っている日本では、人間と自然との闘いの時間である労働時間が、あまり短縮されない。/そうした多忙意識に支配されてしまうと、自由な発想は生まれない。自由な時間なくして、人間的能力の向上や人間的接触の増加もなく、イノベーションも期待できない。」

 そういう社会に戻すために、地方政府による福祉・医療・教育が重要だと語られます。

「日本を『希望の島』に改革するためには、日本の子ども達の目を輝かさなければならない。それには子ども達に、子ども達が失うことをおそれるような『愛』を、溢れるばかりに降り注ぐことである。子どもに愛情を感じない人々に、子どもが育てられれば、子どもの目の輝きが日に日に虚ろになっていくことは、誰にでも観察できる紛れもない事実である。」
 子ども達の目の輝きに未来をつなぐ私たちです。神野さんには、静かなる洞察力をもって、私たちに力を奮い起こすお話をしていただく予定です。

神野直彦さんの著作より

 痛まないものは、支持する
 「ところが、耐えられない激痛だとしても、その痛みは限られた一部の国民に発生する。多くの国民は自分に激痛を受けない限りは、痛みを感じない。もし仮に、構造改革の痛みを、すべての国民が等しく分かち合おうと訴えれば、内閣支持率は低下するに違いない。激痛が一部の国民に限定されている限り、内閣支持率は高く維持することができる。」

 日本の現状を憂う
「未曾有の長期不況と膨大な財政赤字、絶望的な情況の前に、国民誰もが、茫漠とした不安を抱え、立ちすくんでいる。いったい日本は、どこでハンドルを切り間違えたのか。新世紀を迎えた今、何を変えなければいけないのか。「『希望の島』への改革」(NHKブックス)」

 子ども達の目の輝きを
「おぼろげであるけれども、強烈な記憶がある。飢餓に苦しんでいるインドから、インディラ・ガンジー首相が来日したときのことである。『インドに希望があるか』と言う問いに対して、彼女は毅然として、次のように答えていたという記憶している。
『インドに希望はある。それはインドの子ども達の目が輝いているからだ。あの子ども達の目の輝きがある限り、私は希望を捨てない。』
日本を『希望の島』に改革するためには、日本の子ども達の目を輝かさなければならない。それには子ども達に、子ども達が失うことをおそれるような『愛』を、溢れるばかりに降り注ぐことである。子どもに愛情を感じない人々に、子どもが育てられれば、子どもの目の輝きが日に日に虚ろになっていくことは、誰にでも観察できる紛れもない事実である。」

 人間が幸福になるための改革
 「ぼくの認識では今は歴史のエポック、つまり歴史の転換点にある。そのため、新しい時代を作り出す必要がある。新しい時代を作ることは苦しいから、この苦しさから逃れようとして非合理的な行動をとるんです。ハンドルを完全に切り間違えている。新しい時代を作るには、人間がより人間的な幸せを求めるような方向にハンドルを切らなければいけないのに、逆の方向に切っている。新しい時代を作るには、この改革は人間が幸福になることに結びつくのかということを問い続けなければいけない。民営化にしてもそうで、『何のために民営化するんですか』というのはほとんど問われていない。手段が完全に目的化しているんです。」

 教育の機会均等とは
 「日本の情報化はフィンランドやスエーデンに比べてかなり遅れていることは、世界競争統計などで明らかになっているんです。その原因は完全に人間に対する投資、教育を怠ってきた。この間のつけは非常に大きいんです。日本の場合には、努力して知恵を出した人が報われるということですが、そういう社会を作るのであれば、少なくとも最低限やっておかなくちゃいけないのは教育の平等化であって、機会均等が重要な条件になるわけです。ここのところを今公的にやることを怠っている。日本の民営化は、どんな貧乏な人に生まれても、有名な私立幼稚園に入れるというふうになっていないわけです。私立だとどうしてもお金が高い。」 (福島瑞穂さんとの対談)

紹介 

神野直彦さんは、一九四六年に埼玉県浦和市(現在のさいたま市)に生まれ。東京大学経済学部卒業。日産自動車勤務を経て、再び大学にもどられます。一九八一年大阪市立大学を経て、一九九〇東京大学へ。一九九二年より、同大学の教授になり現在に至ります。専門は「財政学」です。


週刊墨教組1252号 1999.9.22

九九年度教研集会
全体会 十月六日(水)二時
記念講演は、佐高 信さん

 暑い夏でした。会期延長、数頼みのごり押しで、次々と戦後民主主義を根底から崩壊させるような法案が通過していきました。この国はどこへ行こうとしているのか…。
 暗い時代、危機的状況の中で迎える今年度の教研集会です。全体会の講演は、評論家の佐高さんにお願いしました。

 佐高信さんは、一九四五年山形県酒田市生まれ。慶応大学法学部卒業(在学中は慶応の雰囲気になじめず他大学の「盗聴」に精を出し、久野収・丸山真男・中村哲・唐木順三・神島二郎などに学ぶ)。後、郷里で五年半高校教師をするが、教師と教育のあり方をめぐり学校管理者、日教組と対立。再度上京し、経済誌「ビジョン」の編集者になる。一九七七年、「ビジネスエリートの意識革命」を出版(後に「企業原論」と改題し、「現代教養文庫」に収められる)。
 八十二年に評論家として独立し、政財界はもちろん、ジャーナリズムから社会全般に及ぶ、切り口の鋭い辛口評論で注目を集める。魯迅・むのたけじの個として独立した思想に大きな影響を受け、同郷の藤沢周平を始め、文化人との交流も広い。四年間で一〇〇〇冊読破すると言う読書家である。この夏は、「盗聴法」「国旗・国歌法制化」に反対し、集会呼びかけ、国会前座り込みの激励など精力的に活動。
 おもな著書に「逆命利君」「日本官僚白書」「大蔵省分割論」「人生の歌」「日本に異議あり」「『民』食う人びと」「筆刀直評」「時代を読む」「中坊公平の人間力」等多数。

 反動の嵐の中を自分の足で立ち、歩き、抵抗を続けている佐高さんに元気をもらえたらと思います。職場の皆さんをお誘いの上、多数ご参加ください。

九九教研集会テーマ
子ども・生活・地域にせまる反戦平和・反差別・解放の教育を
―歴史の大きな曲がり角のなか
今こそ「一人の子も切りすてない教育」を―


週刊墨教組1254号 1999.10.19

日教組養護教員研究会に参加して

養護教員部 

 むの たけじ氏の記念講演とソーシャルワーカーの山下英三郎氏の話を聞きたくて、日養研に参加した。

「歴史を学ばねばあやまちを繰り返す」
 第一日目、「戦後教育について証言し、提言する」と題した講演で、むのたけじ氏は戦前から戦後の教育の見直し、そして現代の教育について話をされた。
むのたけじ氏は言われた。「一九三八年、国家総動員法が発令されたが、その時代と今は何と酷似していることか。次から次へ危険な法案が大した反対運動がないまま成立している。あの時代も『何を言ってもしょうがない。まさか戦争までは行かないだろう』というムードがあり、流れに乗らないと時代おくれになるという意識があり、いつのまにか自分を見失っていった。」
 八四歳とは思えない元気な張りのある声で、「今、国の内外で起こっているいろいろな状況に対し危機感を抱いている」「歴史を学ばねば、再びあやまちを繰り返す」と教育の大切さを訴えられた。
 講演を聞いて、すごい人がいるものだな、歴史をかいくぐって生きて来た人というのは重みがあると、ショックをうけた。物言わぬ教員、教育現場になってしまったらますます大変なことになるという思いでいっぱいになった。

学校に違和感持つ不登校児
 第二日目、四つの分科会に分かれた研究会が持たれた。わたしは第四分科会「子どもをめぐる問題」に参加した。次のようなことが話し合われた。
 今の教育のシステムに子どもたちが不適合をおこしている。その結果、不登校の子どもたちをたくさん生みだしてきた。今、子どもたちにどうアプローチすべきか。今まで「いじめ」とか「体育の授業がきらい」とかはっきりした理由が不登校の理由になっていたのに、なんとなく学校に違和感を感じる、学校に居場所がないといった不登校が増えている。地域、子どもたちの間が疎遠になっていて子どもが変わってきている。しかし、学校は子どもの変化に応じて変わろうとしていない。もっともっと変わるべきではないか。では具体的にどのように変わるべきか。クラスの人数をもっと少人数にする、忙しさを見直す、一人ひとりと向き合った教育をめざす等やるべきことが沢山あるのでは・・・。

「スクールカウンセラー」の問題点
 多くの地区で突然、「スクールカウンセラー」の予算がつけられ、おろろされてきて、現場は混乱している。スクールカウンセラーの位置づけも各校まちまちで、時間も週二日午前中だけといった不定期なもの、身分も不安定、どのように活用していいかわからないといった学校も多い。カウンセラーの方たちも同じ思いと思われる。
 「心の教室」相談員については、学生であったり地域の人であったり、退職校長であったりとさまざまで、「やっています」というポーズのために設置されたようなもの。問題点が多すぎ、話にならない。
 スクールカウンセラーに問題の解決を期待するのはまちがいだ。そもそも学校の中で必要だろうか。等、根本的な問題まで議論された。
 山下英三郎氏は「上からのおしつけは反対であり、何の解決にならない」としながらも、「ソーシャルワーカーなどは必要と思う。もちろん彼らに問題解決してもらうのではない。学校、子どもたち、親たちに問題解決は当事者だと言い続けている。しかし、糸口をみつけたりして解決の手伝いはできる」と言われた。

保健室登校の実態
 保健室登校が多い。今やっと組織的にとりくみが始められようとしている。しかし、まだまだ養護教員だけでかかえているところが多い。保健室登校自体が子どもの意志であるより、ともかく学校に行かせるという親の願いにより、とりあえず保健室へでも行ってというケースが多い。近年では、教員の側の理解が進み、さすが親や子どもたちに無理やり学校へ来るようにという理不尽な要求はなくなった。しかし学校は行くべきものという学校信仰からはなかなか抜けがたく、保健室登校はその一環である。いろんな点から保健室登校の問題点は多い。
 地域とのつながりということに関連し、不登校の子どもたちをかかえる親の会といった組織でいっしょに活動しているという報告があった。また学校で不登校の親同士の話し合いを企画しているという報告もあった。

 以上、全国のさまざまのとりくみの実践報告や、それらをめぐる討論があり、不登校の多さにあらためて驚かされると同時に、公教育のありかたの問題点を感じおおいに触発された二日間でした.