週刊墨教組 No.1304 2000.12.15

ズトラースト ヴィッチェ!(こんにちは)
   キエフの子ども達との交流報告@

 一九八六年四月二十六日、旧ソ連邦ウクライナ共和国にあったチェルノブイリ原発事故は、世界中の人々を震え上がる大事故でした。放射能汚染におびえながら暮らしているキエフの子ども達に、少しの間だけでも汚染の不安のない環境で過ごさせたいという、キエフの子ども民族舞踊団の方々の願いを知り、一九九一年十八人の子ども達を招待しました。堤小で交流が行われ、健康診断を受けることもできました。
今年、十年ぶりに招待しようというとりくみが進められて、実現するに至りました。滞在は十一日間、下町の各地で交流や公演が行われました。
 墨田区では、十一月二十一日に、墨田区長への表敬訪問の後、立花小学校で子ども達同士の交流会が持たれました。その日の夕方からは、曳舟文化センターでウクライナ民族舞踊の会が持たれました。この会には、墨田区長も時間を割いて顔を出されました。歌あり、踊りありの素敵な会になりました。
一行は、十一月二十六日に成田空港を立ち、無事帰国したという連絡を受けました。大勢の皆さん方のカンパとご協力に心から感謝します。

ズトラースト ヴィッチェ!(こんにちは)
キエフの子ども達との交流 報告A


ようこそ立花小へ
 十一月二十一日(火曜日)、午前十時前に、立花小の校庭にマイクロバスが到着した。「先生、バスが入って来たよ。」授業中だったが、我がクラスの五年の子ども達の何人かが気がつき、声を発した。半年前から準備をして待っていた、ウクライナ共和国の首都キエフから、十八人のお客様が、立花小学校に見えたのであった。
 午前九時に、墨田区役所に表敬訪問をして、区長や教育長や室長などにあいさつを終えて、立花小の交流会に直行して来られたのだった。二時間目の授業を終えて、図書室の方に出向くと、ウクライナの民族衣装で着飾った子ども達を囲むように立花小の職員が、あいさつを取り交わしている最中であった。「ズトラースト ヴィッチェ」とこの日のために習い覚えたロシア語を交えながら自己紹介をしている職員もいた。私も「オーチン プリヤートナ(お目にかかれてうれしいです)ラズリシーチェ プリトスター ヴィッツア ヤーエノモト(はじめまして、私は榎本です)」とあいさつをしたら、拍手が起きたので、何とか通じたらしい。この日は、実行委員の方々や通訳の大学生が五人も参加してくれた。和やかな雰囲気の中で、互いにあいさつを交わした。はなやかな子どもたちの民族衣装が場を盛り上げてくれていた。

下町実行委員会とは
 十年前、この民族舞踊団は、ソ連邦の時代に堤小学校にやって来ている。「チェルノブイリ汚染・元気を出してキエフの子に」(朝日)と当時の新聞が一行の来日を報じている。「チェルノブイリ原発事故による汚染で気持ちが暗くなっている子どもたちを、日本に連れて行って希望を持たせてやりたい」という大人たちの願いを、「脱原発下町ネットワーク」が受け入れたのであった。区労連をはじめ、「ネットワーク」を構成するいくつかの市民団体を中心にして、「チェルノブイリ救援!キエフの子ども達との交流をすすめる下町実行委員会」が結成され招待することができたのである。

受け入れる意味
 あれから十年たち、再びキエフから子ども達を招待しようという話が持ち上がり、どこかの学校で受け入れてほしいという依頼を受けたのであった。今年の二月頃の事だった。次年度から始まる総合学習の国際理解教育とつなげたら、学校ぐるみ、中味のある教育実践ができるのではないかと、立花小の職員に図ることにした。十一月二十一日という日にちはすでに決まっていた。学芸会や連合音楽会などの行事が立て込んでいる時期であったが、日程を調整して受け入れることを決定した。
「交流」は、国際理解教育の生きた教材になるはずである。
@ウクライナ共和国のキエフの子ども達との交流を通じて、遠く離れた外国から見えたお友達との友情を深める機会とする。
A地球上には、様々な人種・民族・国家があり、共に平和を求めて生きている事を知る。また、それぞれの国には、いろいろな文化が作られ、その中で個性のある遊びや踊りなどが生まれて来たことを知り、お互いに発表の場とする。
Bソ連という国がなくなり、それぞれの共和国が独立国家として歩み始めたことを知る。ソ連邦時代に、チェルノブイリ原発事故が起き、放射能を浴びた子ども達が今でも苦しんで救援を求めている実情に、学年に応じて関心と理解を深める機会とする。

 このような目標を立て、課題をそれぞれ考えて取り組んでいくことにした。その結果、次のような課題になった。
六年 チェルノブイリ原発事故と原子力発電の問題点
五年 ウクライナ共和国と日本を比べてみたら(人口・面積・言葉・気候など)
三・四年 日本の国の紹介
一・二年 スポーツ交流(昔の遊びなど)

 このような事前の準備をした。また、当日の全体会の各学年の出し物である歌や踊りも練習して、暖かく交流をしようということにもなった。

本格的な練習
学芸会も終わった十一月上旬から、本格的な練習準備に入っていった。まずは、その国の言葉を少しでも覚えて、関心をもってもらおうということから、始まった。かんたんなロシア語のあいさつを全児童に配布して、児童集会の折に、練習などした。「こんにちは」や「ありがとう(スパシーバ)」や「さようなら(ダスビダーニャ)」などというロシア語が、いろいろな場所で聞こえていた。職員室でも時々ロシア語の会話が飛び交い、笑い声が起こっていた。

本番の日に
 その日が、いよいよ来たのだ。事前に保護者と地域に案内しておいたので、体育館にいる人はかなりの数にふくらんでいた。緊張した全校児童が迎える中で、四年・五年の花のアーチの下を、校長が先導して十八人の招待者が入場して来る。八才から二十二才までの十五人の踊り手と三人の大人の引率者が体育館の正面に座る。「うわあ、大きい。」とため息のような声が、時々聞こえる。
 代表委員会の二人の司会の進行にしたがって、開会のあいさつは、一年生の代表。つづいて学校長のあいさつとキエフ舞踊団団長ライサさんのあいさつが、通訳の高橋さんの声を通して日本語とロシア語にそれぞれ訳される。キエフ代表児童のあいさつで、会場全体が柔らかい雰囲気に包まれる。
各学年の出し物で、場面はいよいよ自然に佳境に入って行く。
一・二年 『墨田音頭』は途中から他の学年やキエフの子ども達も、輪の中に入り打ち解けた雰囲気が醸し出される。
二・三・四年 合奏『踊る大捜査線メドレー 』は連合音楽会に発表したばかりの演奏なので、子ども達も堂々として自信を持って演奏していた。
五・六年 『ソーラン節』は町会で借りたハッピを着て、力強く踊った。一学期の運動会の出し物であったので、子ども達も再び発表の場を得て、伸び伸びとしていた。
遊びクラブと五・六年有志による『昔の遊び・剣玉』の紹介。「もしかめ」から始まり、「世界一周」「ヨーロッパ一周」「ウグイス」「灯台」などという難しい技を気持ち良いようにこなし、会場から拍手をもらう。

魅せられた踊り
 休憩の後、いよいよキエフの子ども達の民族舞踊の踊りに入る。アコーデオンの伴奏で、民族衣装をまとった子ども達の踊りに、全員の目が一斉に吸い込まれるように注がれていく。それは、日本では聞けないウクライナのリズムとしぐさで見事に演じられていく。指先から足先まで、練習によって研ぎ澄まされた華やかな中にも、息の合った踊りにだった。三十分近くの時間は、あっという間に過ぎていった。
 最後は、立花小の児童と職員による全校合唱『イッツ ア スモールワールド』。ディズニーランドでおなじみの歌なので、キエフの子ども達も楽しそうに聞いていた。終わりは、おみやげとして剣玉と折り紙で作った動くおもちゃのへびを差し上げた。キエフからは、団長さんから子ども達の描いた絵をいただいた。締めくくりとして、児童代表委員会の菊入君が最初と最後にロシア語を交えて、見事に終わりの言葉を述べ、午前の全体会の幕を閉じた。

各クラスとの交流
給食を食べた後の午後からは、各クラスへ二〜三人ずつきていただいての交流会になった。ドッヂボールやハンカチ落としや椅子取りゲームなど、体を使って遊ぶゲームを楽しんだ。各クラスに通訳の方に来ていただいたが、その必要を感じないくらい子どもたち同士は、自然に打ち解けていった。午後の一時間はあっと言う間に過ぎていった。
 天候にも恵まれて、校庭に全校児童と父母と教職員が集まった。花のアーチをくぐってマイクロバスまでの道を見送った。何人かの児童は、別れがたく固い握手を交わした。感激のあまり涙ぐんでいる高学年の児童もいた。

交流集会を終えて
たった一日の出会いであったが、立花小の児童にも、ウクライナ共和国の児童にも、心に強く残る出来事であった気がする。この日のために、さまざまな形でテーマを決めて、子ども達はウクライナ共和国への関心を広げて来た。チェルノブイリ原発事故を調べて行く中で、世界中で何度も事故が起きていることを知る。日本でも、最近茨城県東海村の原発事故により、二人の日本人がなくなっている。 チェルノブイリでは、事故後、現地に入って処理をした関係者が既に何万人もなくなっている事実も知る。今なお放射能を浴びて、悲しみを背負って生きている子ども達が大勢いることも、しっかり伝えていかなければならない。このような悲劇が二度と起きないような世界を作ることが、人種・民族・国家を越えて共に実現すべき大切な課題であることを、子ども達に考えさせなければならない。

これからの国際交流
 何人かの児童が、住所と名前を書きあっていた。「キエフは、緑の多い自然の美しいところです。ぜひ、将来キエフにいらっしゃってください。」と、団長のライサさんは、締めくくりのあいさつをなさった。この子ども達が、将来に向かって交流を続けていけば、本当の国際交流になる。
この日の夕方、曳舟文化センターでのキエフの児童の民族舞踊を見る会に参加してくれた立花小の親子が五十人前後いた。そこでも、それぞれ別れを惜しんでいた。二日後の荒川区のお別れ交流会にも、どこで連絡を取ったのか八人の六年生の姿があった。国際交流を肌で感じた、貴重な体験をそれぞれの子ども達の心に残し、今回の企画が無事終わることが出来た。
(文責 立花小分会)