ユーミンから始めよう

「夏風通信」スタートは、ユーミンです。

魔女かスーパーレディか新感覚派荒井由実登場!!

これって、デビューアルバムの帯に書いてあったユーミンのキャッチフレーズです。当時まだニューミュージックという言葉がなくて(今もないか)、ユーミンの登場以来これまでの概念でくくれない音楽をニューミュージックと呼んだわけです。その後、ユーミンはニューミュージックの女王と呼ばれます。

これまで発売したアルバムの数は、分かりませんが、やはり荒井由実時代のアルバムはユーミンの原点であり、20年という長い月日を感じさせない小さな宝石という感じがします。荒井由実時代は4枚のアルバムを出しています。左側写真がデビューアルバムの「ひこうき雲」そして「ミスリム」「コバルトアワー」、ベストアルバムの「ユーミンブランド」、「14番目の月」の4枚です。

デビューしたころの音楽シーンは、いわゆる「神田川」に代表される「4畳半フォーク」が大ブームのころでした。60年代の社会派メッセージソングの時代が東大闘争の挫折とともに、私的生活へと内にこもる中で、音楽も私的なものに変わりつつありました。そんな中で、ユーミンがデビューしたわけです。

「私の音楽は4畳半フォークではないからジーンズははきません」と宣言したユーミン。絵画のような歌詞と斬新な曲やアレンジ、そして当代随一のバンド「キャラメル・ママ」(細野晴臣・松任谷正隆・鈴木茂・林立夫)を引き連れてのユーミン。70年代初頭において、今にして思えば80年代を先取りした音楽であったと思います。

あれから20年、同世代の私としては、よくこれまで続いてきたな!というのが正直な感想です。特に歌がうまいとは思いませんが、やはり、ユーミンがデビュー当時言っていた「私の音楽はイージーリスニング」というコンセプトが、これまで飽きられずに次々と新しいファンを生み出してきたのかもしれません。

ここ数年のコンサートでは、親子連れの姿が目につくようになってきました。毎年手を変え品を変え、観客を喜ばせようとがんばっている姿に感服します。そして20年間日本のポップスシーンを駆け抜けたユーミン! 21世紀を間近に控え、そろそろ音楽界にもリバイバルや焼き直しの音楽でない新しい風が吹いてくるかもしれません。70年代を切り開いたユーミン、再び21世紀を切り開くリーダーであってほしいと願っています。

 


アルバム紹介

ひこうき雲


デビューアルバムである。1973年11月20日発売。やけに雨や雲の好きな子だなと思いました。

ひこうき雲

空に憧れて
 空をかけてゆく
  あの子の命はひこうき雲
曇り雲
恋のスーパー・パラシューター
空と海の輝きに向けて
月のまなざしがまだ残る空に
 やさしい潮風が門出を告げる
  〜中略〜
   遠い波の彼方に金色の光がある
    永遠の輝きに命のかじをとろう
デビューシングルのB面。石けんカタカタの時代(ちなみに「神田川」の発売はこの年の9月です)にこの詩は衝撃だった。そして、売れないのもしょうがないかなとも思いました。

きっと言える
ベルベット・イースター

空がとってもひくい
 天使が降りて来そうなほど
紙ヒコーキ
雨の街を
返事はいらない

デビューシングルのA面、300枚しか売れなかったそうである

そのまま


ミスリム



セカンドアルバムである。1974年10月5日発売。最高傑作アルバムと思っている。ジャケットの裏に「We Believe In Music」と記されている

生まれた街で

街角に立ち止まり
 風を見送ったとき
  季節がわかったよ
瞳を閉じて
やさしさに包まれたなら
12月の雨
時はいつの日にも親切な友達
 過ぎてゆくきのうを物語にかえる
魔法の鏡
海を見ていた午後
あなただけのもの
たぶんあなたはむかえに来ない
私のフランソワーズ
旅立つ秋


コバルト・アワー



サードアルバムである。1975年6月20日発売。ジャケットに写真でなく、イラストを使ったのは、架空のの世界を作るためだったのか

コバルト・アワー

夜明けの金星
 消えゆく空はコバルト
コバルト色ってなかなか想像つかなかった。湘南ボーイってとてもかっこよかったし、白いベレG(いすゞベレットGT)が懐かしい。アルバムタイトル曲なのに、カラオケにないので歌えない。

卒業写真

人ごみに流されて変わってゆく私を
 あなたはときどき遠くでしかって
  あなたは私の青春そのもの
ハイ・ファイ・セットのほうが有名だったかもしれない

花紀行
何もきかないで
ルージュの伝言
航海日誌
チャイニーズ・スープ
少しだけ片思い
雨のスティション
アフリカへ行きたい


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