美味しんぼ第7巻「大地の赤」
仕事中の姿を撮影したいということで、カメラマンの荒川が東西新聞文化部を訪れる。そこで荒川はバリバリ働く田畑の姿に一目ぼれする。荒川は自分の「働く人の写真展」に田畑を招待する。「私は人間の一番美しい姿は働いている時だと思います。だからいろんな職場の人の写真を撮りました」「机の前にしがみついているのは絵にならないと思うけど」「とんでもない。人の心を感動させるのは外見的派手さではないんですよ。どれだけ一生懸命働いているかなんです」
料理する人の写真もたくさんあった。荒川は山岡に質問する。「私は寿司が好きで、寿司職人の仕事の様子を写真に撮りたいと思っていますがいいのが撮れないんです。肉眼では気にならないんですがレンズを通して見ると握る姿がなぜか美しくないんです。レンズは冷静で誤魔化しがききませんからね。肉眼で見逃していた物まで暴いてしまうんです」とりあえずガイドブックに紹介されたる店に行く事にする山岡たち。
ます高級そうな「寿司八」に行くが、荒川はしっくりこない。続いて「鳩寿司」に。店の主人は常連を相手にするだけで、山岡たちの相手をしない。「握るところを写真に撮っていいですか」「お断りします。うちは寿司を売ってるんで見世物やっているわけじゃないですから」主人は握った寿司を小僧に運ばせる。激怒する山岡と荒川。「出よう」「出ましょう」「寿司を握る姿が美しいとかどうかという以前の問題だ。自分で寿司を客の前に置かずに下働きに出されるなんて」「寿司は職人が素手で握った物を食べる側が素手で取ってそのまま口に入れる。裸のふれあいを通じて心が通い合うところに寿司の素晴らしさがあるんだ。握った人間が客の前に心をこめてどうぞ、と出したときに初めて寿司に心がはいるんだ」
今度は浅草の「みやこ寿司」に行く山岡たち。その主人の握りっぷりを見て、感激する荒川。「美しい。初めてだよ。握る姿が美しいのは」その秘密は寿司の握り方にあった。「ここの親方はごはんをちぎらないわ」「ほかの人はみんな酢飯をタネに乗せてから酢飯をちぎって捨てたぞ。食べる物なのにちぎっておひつに捨てる動作が物凄く汚らしくいやな感じを与えるんだよ」
「寿司ダネが厚かったり、大きかったりする物は酢飯を小さく、タネのうすい物は酢飯を大きく、というのが寿司のきまりだよ。そうすることで出来上がりはみんな同じ大きさになるんだ。だが問題は酢飯の量の加減をどこでするかだ。ここの親方は左手でタネをもつと、右手がひとりでにそれに合った分量の酢飯をつかんでいるんだ」「ほかの職人はそれが出来ないからあらかじめ多めに酢飯をとってタネにつけてから初めて余分な分量がわかるからそこで酢飯を捨てるわけだ」「結局、不必要に酢飯をいじくり回すことになり、ふっくらと充分に空気をふくんだ形に仕上らない」「だから、他の職人のは姿が美しくないだけじゃなく、味も落ちるんだ」
荒川は上機嫌になり、田畑の働いている写真をパネルにして、田畑にプレゼントするのであった。
カメラマン荒川は懇意にしている落語家の快楽亭八笑の落語に山岡たちを招待する。「千早ぶる」を披露する八笑。高座のあと、八笑をかこんで豆腐料理屋でいっぱいやることに。その店でアメリカ人が店の板前に注文をつける。「うちの豆腐がニセモノだと」「これはトウフじゃない」「外人なんかに豆腐の味がわかってたまるか」八笑が仲裁を買ってでる。「もめごとの原因は何なんだ」
「この外人がうちの豆腐にケチをつけたんだ」「本物のトウフはこんな味ではありません」「じゃあ、本物の豆腐を食べたことがあるのかよ」「あるさ」「どこで」「ロスアンゼルスだよ」「あほらしい。ロスアンゼルスの豆腐かよ」しかし山岡は外人の味方をする。「日本よりロスアンゼルスの方に、本物が多いんじゃないかな」八笑師匠も外人の味方を。「お宅の豆腐は美味くないよ。数年前と味がガラリと変わっちまった」
山岡は外人に質問する。「ところであんたは」「私はヘンリー・ブラックと申します。仕事は料理研究家です。これ私の書いた本です」「ザ・ブック・オブ・トウフ」「豆腐の本じゃないか」「今アメリカではトウフが凄い人気なんです。栄養食品として素晴らしいことにアメリカ人が気づきトウフはロスアンゼルスのスーパーマーケットで売られています」「豆腐のステーキにアイスクリーム。豆腐のサラダはいけそうだね」「トウフの本場日本でどんなトウフ料理があるのかそれを勉強したくて来たのです。このお店が素晴らしいと書いてあったので食べにきたのですが」
山岡たちは次の日、「みやこ豆腐」に一堂を連れて行く。豆腐作りが始まる。「きれいな大豆」「うちのは国産の無農薬栽培の大豆を天日で乾燥したものを使っています」「それにここの店は水が違う。百メートル以上の深さからくみ上げた地下水なんだ」「その大豆を砕いて水と一緒に煮ますが、大豆は煮るとすぐ泡が立つんです。だからこの段階で消泡剤を入れる豆腐屋が多いんです。うちはそんなものは使いません。そのかわり吹きこぼれないように監視しながら煮ます」
「煮あがったらそれをこして、豆乳とおからに分けるんです。この豆乳ににがりを加えます。天然のにがりは使えないので、にがりの主成分の塩化マグネシウムを使います」「どうして天然のにがりは使えないんですか」「にがりというのは塩を作るときに一緒にできるんです。でも最近日本の海は汚染がひどいから天然のにがりを使うのは危険なんです」「しかし、多くの豆腐屋は塩化マグネシウムも使わない。天然にがりの成分だと豆乳が固まるのに時間がかかり、豆乳自体も濃くなければならないんだ。この店では60キロの大豆から何丁の豆腐ができますか」
「420丁ですね」「ところが多くの豆腐屋で使っている硫酸カルシウムという凝固剤を使うと同じ大豆から1500丁の大豆ができる。さらにグルコノデルタラクトンという凝固剤を使うと3000丁も出来るんだ」「同じ量の大豆を使ってそんなに沢山作るんじゃ、水っぽくて味も香りも貧弱な豆腐になってしまうな」「しかも短時間で固まるからね。天然にがりの成分を使うと固まるのに時間がかかるんだ」
重しをして形がしっかりしたら出来上がり。「色がクリーム色ね」「大豆の色がクリーム色だから当たり前なのよね」「豆腐は出来たてが一番美味しいんです」「この豆腐は醤油も薬味もいらない」豆腐料理屋の板前はあまりの美味しさに愕然とする。「今まで俺が豆腐と思っていたのは何だったんだ」「まず材料が違う。ひどいところになると丸の大豆を使わず、脂のしぼりかすの大豆を粉にした大豆粉を使う。しかもほとんどが消泡剤を使い、さらにニガリを使わず凝固剤で固めるんだ」「アメリカ人のブラックさんが本物の味を知っているなんて」「アメリカは豆腐に関しては後進国だからね。教わったとおり真面目に作っているからだよ」
そしてブラックは八笑師匠に気に入られて弟子入りし、快楽亭ブラックと名乗るのであった。「落語界も本物はアメリカ人ということになるかもね」
富井副部長の提案で千葉に鯛を釣りに行く事になった東西新聞文化部。千葉に向かう電車の中で高価な釣り道具を自慢する連中と出会う。「素人で鯛釣りなんて無謀だよ。はっはっは」なんとその連中とは同じ船宿で同じ釣り舟であることがわかった。うんざりする文化部。磯料理の店に行くとそこにも連中がいてうんざりする。とりあえず鯛の活き作りを注文する。「脂が乗っているね」「マグロのトロみたいね」山岡は「この鯛は」とつぶやく。
連中は酔って大騒ぎ。「あなたたち、よおく味わっておけよ。明日はおたくたち釣れっこないんだから。美味しいねえ。我々は美味しい鯛を明日はたくさん釣るんだから」山岡は冷淡に言い放つ。「魚のことなんか何もわからん山猿たちが馬鹿騒ぎしているだけだ。明日、同じ船に乗るらしいな。丁度いい。本物の鯛を釣ったことも食べたこともないんじゃないの」
次の日になりいよいよ釣り開始。酒を飲みすぎた連中はグロッキー。栗田の竿に鯛がかかるがあと一息で糸が切れてしまう。「口惜しい」「心配ない。ここまで上げておけば。あれが鯛なら」海面に魚が浮く。それは鯛であった。「どうしてこの鯛は逃げないで上がってきたの」「浮袋が体の中でふくらんで内臓を押し出したんだ。深いところから急に浅いところまで引き上げると水圧が急に減るから、浮袋がふくらんでしまう。こうなると魚は水面に浮かび上がるしいかないのさ。鯛は深いところに棲んでいるということの証明なんだ」
山岡は船をイケスに回す。「これは何」「鯛の養殖場だ。今では市場の半分以上が養殖なんだ」養殖の鯛と釣り上げた鯛を比較する事に。「養殖の鯛は色が黒いわ。栗田さんが釣った鯛はきれいな桜色なのに」「栗田さんの釣った鯛は深海に棲んでいる。一方、養殖の鯛は逃げないように網で囲まれていていつも海面に近いところに棲んでいる。問題は紫外線です。養殖の鯛は紫外線を受けて日に焼けて黒くなってしまう」
山岡は連中に説明する。「俺があんた達を魚のことをわかっていないと言ったのは、昨日活き作りに出てきた鯛の色を見て、養殖の鯛と気づかなかったからさ。それに味も違う。天然の鯛は海の底にいるエビや白身の魚を食べるから美味い。しかし養殖の鯛はハマチと同じようなエサを与えられる。せまいところで大量のエサを与えて促成飼育をするからブロイラーと同じだよ」