モハメド・アリ かけがえのない日々

1996年 アメリカ

監督;レオン・ギャスト

喚くアリ。「アフリカが故郷だ。アメリカは糞喰らえだ。アフリカは黒人の故郷なんだ。アフリカの兄弟たちの前で試合をする。アフリカに着いたら兄弟と楽しむ。KOするぞ。俺の動きは奴には速すぎるんだ。俺は王者を引退させる。ヘビー級の王者をだ。フォアマンをぶっ倒して世界を驚かせるんだ。怪物のような強敵を滅多打ちにしてやる。リストンを倒した時もそうだった。俺を殺すかのような勢いがあった。奴のパンチはフォアマンより強かったぞ。今の俺はリストンを倒した時より強くなっている。顎の骨を折られたり負けたこともあった。でも今回は特別な練習をした。ワニとのレスリングやクジラとの大格闘だ。刑務所でプロレス修行もした。寝室の電気を消すとき、暗闇になる前に寝床に。俺の動きは速い。王者のフォアマンも俺には勝てない。奴は王者になったことを後悔してる」

アリは怖がっていたと思うと言う作家のノーマン・メイラー。「試合が近づくにつれ不安に。フォアマンをけなして、自分の強さや速さやボクシングのうまさをアピールした」

喚くアリ。「フォアマンの動きはミイラに似ている。彼は確かにフレージャーやノーマンをKOした。でも怖くなかないさ。なぜ恐れるんだ。あんたはフォアマンが勝つと思うか」

アリの引退が来たのかもと語るABCスポーツのH・コーセル。「フォアマンに勝てると思えないのです。若くて強く、そして恐れを知らないフォアマン。相手を3ラウンド以内で倒してきた。そんな彼を相手に奇跡は起こりえない」

喚くアリ。「俺のパンチを見たければまばたきは不要だぜ。まばたきしないように指で目を開けてないと」

アリは最高のファイティング・マシンだったと言う映画監督のスパイク・リー。「彼はハンサムで話がうまく面白い人物でカリスマ的であり猛烈に強かった。彼は徴兵拒否で王座を剥奪され、刑務所に入った。彼の政治とスポーツへの考え方は他の黒人選手と違い、選手生命への悪影響を全く恐れなかった」

アリはアメリカで人気を失ったと言うアリの伝記作家のトーマス・ハウザー。「彼が所属したイスラム国家は急進的な黒人組織だったのです。それに加え、彼が徴兵された時、拒否したため社会の怒りを買ったのです」

王はアフリカに帰り王座を取ると語るアリの副トレーナーのD・B・ブラウン。「これが原点。これは神の行いであり映画ではなく原点だ。映画は虚構の世界だが、我々の行動は筋書きのないドラマ。アフリカでの試合は通過点。いつも戦ってきた。出獄してすぐ王座への挑戦権を。こんなことをしたのはアリだけだ。確かに神の行い。ボクシングは神のスポーツ。アリは預言者だ。倒せるわけないさ」

喚くアリ。「アフリカで試合する訳は1000万ドルのファイトマネーだ。フォアマンに500、そして俺に500。イギリスもアメリカも試合開催を望んだ。でもファイトマネーが半額」

国の財政状態が厳しいのにザイールのモブツ大統領は1000万ドル出したと語るハウザー。「試合によってザイールの国際的知名度を高め、大統領自身の知名度も上げるためだった」

アリとの勝負は大変な試合になりますかと聞かれるフォアマン。「そうなるかもしれない」「アリはファイトマネーで公共の病院を建てると言った。あなたは公共のために使う予定はありますか」「彼は自分用の病院を」「負ける気は?」「しないさ」

サハラ砂漠の上空だとはしゃぐアリ。「アフリカの航空会社の飛行機で乗員は皆黒人だ。こんな素晴らしい解放感は初めてだ。アメリカの黒人にとっては意外なことだ。アフリカと言えばターザンとジャングルだけ。彼らはフランス語も話す。俺より偉いんだ」

アフリカで世界戦が開かれて嬉しかったと話すアーチストのマリク・ボウエンス。「ついに世界がアフリカに目を向けたのだ。私はアリの政治姿勢に注目した。アメリカはベトナムで戦っている時、アリは「俺にベトコンと戦えと言うのか」と言った。「彼らは俺に何も危害を加えてない」と。当時のアメリカにこんな人がいるとは意外なことだった」

喚くアリ。「ザイールの人口は?2200万か。フォアマンのファンは?俺のファンは?2200万か?」

フォアマンは知らなかったと言うボウエンス。「アリと同じ黒人だとは思っていなかった。黒人でもフォアマンはアメリカそのもの。シェパードを連れてきた。ベルギー人が警察犬にしていた犬で嫌悪感が」

アフリカは文明のゆりかごで我々には古里だと言うフォアマン。試合はザイールの首都のキンシャサで行わると語る作家のジョージ・プリンプトン。「ザイールは旧ベルギー領コンゴ。もうすぐ雨季で試合を早く行う必要があった。私はコンゴという国名が好きだった。ザイールという名に威厳を感じない」

モブツ大統領はアフリカのスターリンだと言うメイラー。「写真が至る所に。独裁者と言うのは実に醜い顔をしている。モブツは典型的サディストの顔に見えた。モブツは極端な合理主義者でスタジアムの下に留置場や独房や処刑室を数多く作っていた。試合が決定する前、ザイールの犯罪率が上昇した。白人の観光客まで殺されたのだ。そこでモブツはキンシャサの犯罪者たちを一斉に検挙し、スタジアムの下にある留置場に入れたのだ。そこで犯罪組織のリーダー100人を殺したと言われている。それでとにかく安全な町になった。試合の取材陣がいる間、世界で一番安全な町に」

喚くアリ。「奴は牛。俺は闘牛士。奴は恐れている。逃げたがっている。俺はリングで踊る。奴が手探りで前に出てきたところを、俺の鋭いジャブで思い切り突いてやる」

フォアマンは追いつめを練習したと言うメイラー。「相手をロープやコーナーに追い詰める戦法だ。フットワークがよくないとできない戦法だが、大柄な彼のフットワークは実に軽快だった。彼の練習を見ると大抵の記者はアリの負けを予想した」

しかしフォアマンは練習中に目尻を切って、世界戦に日程は延期になる。

喚くアリ。「フォアマンをぶっ倒すつもりだったんだ。夢が6週間遠のいたぞ、奴は怖がってる。ここは俺の古里だから。フォアマンは腰抜け野郎だ。黒人の代表じゃない。アフリカの黒人を見習え」

我々はアリを応援したと言うボウエンス。「フォアマンは俺はアリより肌の色が黒いのに何故だと言った。確かにアリは肌の色は薄いが、人間的で信用できる人物だった。我々にとっては解放運動の援護者だったのだ」

喚くアリ。「俺は自分の名声のために戦わない。床で寝ている貧しい兄弟のために戦うんだ。王座を奪い、裏通りでアル中と語り合ったり、ヤク中や娼婦とも話をしたい。フォアマンの強烈な右なんか怖くない。近づいて打つぞ。俺には神がついている。俺はこの一戦で兄弟たちを自由にしてやる」

ヘビー級の世界タイトルマッチは他のイベントと違い凄い興奮をもたらすと言うハウザー。「1974年、午前4時に試合は始まった。アメリカで午後10時に放映するためだ」

アリの控室は葬儀場のようだったと語るメイラー。「アリがたまらず言った。「どいつもこいつもなぜ暗い顔をしてるんだ」アリが上がるのはリングでなく絞首台のようだった。皆、アリが負けると思い恐れてた。プライドの高いアリは逃げずに滅多打ちにされ死ぬのではと恐れていた。しばらくしてアリは「徹底的に踊って翻弄してやるぞ」と言った。皆は涙を浮かべて、踊りまくれと言った」

モブツは試合会場に来なかったと言うプリンプトン。「暗殺されるのを恐れていたのだろう」

第1ラウンド、アリの右リードパンチに戸惑うフォアマン。右リードパンチは右ストレートをジャブのように打つことだと言うメイラー。「右リードは危険なパンチで、大事な試合で使われることはない、つまりフォアマンは動きが遅いから右リードも使えるとアリはフォアマンを侮辱した。この作戦にアリは迷ったに違いないが、フォアマンは逆上して冷静さを失った」

第2ラウンドに入り、アリはロープを背負い始める。「フォアマンはアリが足を使うと思ったに違いない。だがアリは常にロープを背負った。この時点で皆勝負はついたと思った。ブロックはしていたが、猛攻撃は容赦なく続き、ダウン寸前に見えた。まるで子供の喧嘩のように見えた。アリはロープに追い詰められ、その間、常に口をきいていた。接近して話しかけた。フォアマンは強烈なパンチを打ち続けたが、アリは大したパンチじゃないと言い続けた。フォアマンは完全に逆上してパンチを打ち続け、5ラウンドの途中で完全に打ち疲れた」

アリは突然右を打ったと言うプリンプトン。「フォアマンの顔から汗が噴き出していた。魔法の力が働いたかのようであった」8ラウンド、フォアマンをノックアウトするアリ。アリは眠れる象のようだったと言うボウエンス。「眠っている象には何をやっても怖くない。だがひとたび目覚めると全てを踏みつぶす」

アリが勝つとは思わなかったと言うメイラー。「試合が終わってすぐモンスーンの雨が降り始めた。土砂降りの雨の中でみんな踊っていた。アリの勝利にニュースが伝わったのだ。アリは地元の代表団と会って言った。アメリカの黒人より君たちのほうが素晴らしい。たとえどんなに貧しくても君たちには威厳がある。我々が失ったものを決して失わないでほしいと。私はこれを聞いて、アリは政治家になれると思った」

喚くアリ。「やらなくてはいけないことが沢山ある。売春や麻薬やギャングとかの問題。教育問題も。皆ルーツを知らない。白人が俺たちを白人と同じように教育したから。俺たちには独自の知識がない。団結させるのも大変だ。黒人は頭の中が白人になってる。それを再洗脳して正しく教育しないと。黒人固有の歴史や名前や言語を。白人に依存しない黒人社会を作りたいんだ」

アリはその後22試合を戦ったと言うプリンプトン。「名勝負もあったが、喜劇のような試合もあった。彼は返り咲いてから体にダメージを受けた」

アリは体の悪いことを皆に教えたと言うリー。「彼は自分の存在を信じ、神の代理であると信じている。今の若い世代は何も知らない。歴史的な出来事や事件がいろいろある。若者はアリを知っているが、知っているだけだから怖い。アリの功績を若者は知るべきだ。本当の英雄はごくわずかだから」

アリがハーバート大の卒業式に招かれたと言うプリンプトン。「彼は失読症であったがスピーチの前に私と草案に目を通していた。そんなアリがスピーチをした。素晴らしいスピーチだった。卒業生は感動し、誰かが「即興で詩を」と言った。みんなシーンとした。英語で一番短い詩は「微生物の古代記」の中にあり、「アダムは男だった」という詩だ。だがアリの詩は「俺。俺たち」。たった二つの単語だ。実に意味の深い詩だと思う。「俺。俺たち」アリは大した人物だ」

★ロロモ映画評

カシアス・クレイは1960年のローマ五輪のボクシング競技のライトヘビー級に出場し、金メダルを獲得。1960年10月29日にプロデビューしますが、プロ転向直後にイスラム国家の信徒であると公表し、リングネームを現在の本名である、モハメド・アリに改めます。1962年11月15日に元世界ライトヘビー級王者のアーチー・ムーアと対戦。試合前に、控え室の黒板に「ムーアを4ラウンドにKOする」という予言を書いてリングに向かい、その予言の通り4ラウンド目に3度ダウンを奪ってKO勝ちします。

1964年4月25日に世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦。当時史上最強のハードパンチャーと評価されたリストンに対しアリは絶対不利と言われ、賭け率は7対1でリストンが優位でしたが、アリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と公言。試合は一方的なものとなり、6R終了時にアリのTKO勝ちとなり、試合後アリは正式に本名をカシアス・クレイからモハメド・アリへと改名します。

アリはアメリカが本格参戦したベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のまま世界ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間のブランクを作り、黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返します。王座剥奪後の1971年3月8日にジョー・フレージャーに挑戦し、初めての敗北を喫しますが、1974年10月30日、フレージャーに代わり王者となっていたジョージ・フォアマンにKO勝ちを収め、王座に返り咲きます。

この挑戦試合はアフリカのザイールの首都キンシャサで行われ、当時、一般には全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最高のハードパンチャーと目されたフォアマンを破ったため、「キンシャサの奇跡」とも呼ばれています。この試合でアリは、ロープにもたれながら相手のパンチを腕でブロックし、自分では打ち返さずに、防戦一方になっていましたが、フォアマンの体力を消耗させて、最後の一発で逆転する作戦をとり、アリはこの戦法を「ロープ・ア・ドープ」と名付けたわけです。

ということで1961年生まれのロロモは1970年代のアリの動きをリアルタイムで追っかけており、この「キンシャサの奇跡」をテレビ中継で見た者としては、これはたまらないドキュメントフィルムとなっており、まさに究極の有言実行と言うか発言とともに自分のテンションもあげていくと言うアリのスタイルは当然熟知していますが、改めてこうして彼のマシンガン・トークを聞くとやはり凄いと言うか何とも言えない感慨を覚えるわけです。

試合はアリの勝利となりますが、フォアマンは盛んにアリにパンチを繰り出すが何故か効かなかったのが、不思議に思えたのですが、フォアマンは練習中に目尻を切って、世界戦に日程は延期になり、それで調整に失敗したのか、または暑さのためにバテたのか、アリの発言に惑わされて肩に力が入りすぎてしまったのか、と思いますが、フォアマンは後に何か薬のようなものを飲まされたと言っており、その辺の真相は闇でありますが、とにかく言えることはあの試合がキンシャサで行われなかったらフォアマンは勝っていただろうと言うことであります。

この試合がアフリカのザイールで行われたことはかなり重要でありまして、当時のザイールの大統領であった独裁者のモブツのことも語らないといけないのですが、このアフリカとアメリカ黒人と人種差別とかの思いがごった煮になって、そこにジェームズ・ブラウンやB・B・.キングやスピナーズらのアメリカ黒人音楽とアフリカの黒人音楽が絡み合って、その黒いパワーが映像からみなぎっており、こういう黒い世界では表面は真っ黒だが心の中では白さのあったフォアマンは飲み込まれてしまったと言う構造になりますが、とにかくこの黒いパワーは我々の黄色いパワーとは全く異質であると言うことがひしひしと感じられるわけです。

この試合がアリのピークであり、その後も彼は22試合を行って引退。引退後のアリの肉体パーキンソン症候群と言われる状態となり、復帰後にボクシングスタイルを変えたアリは多数のパンチを頭部に受けたことが、この症例の原因になったのかどうかは不明ですが、アリの肉体は急速に崩壊していき,ロボットのような動きしかできないアリの姿や,ほとんど聞き取りがたい言葉を発するアリの像がテレビで流れるようになります。

そして1996年に最も人種差別がひどかったとされるアメリカ南部のジョージア州アトランタで五輪が行われ、7月19日に開会式を迎えます。この開会式では聖火台の点火者は当日まで秘密にされていましたが、女子水泳選手のジャネット・エバンスが、点火台まで聖火のトーチを運び上げた時に、アリが登場。アリはエバンスからトーチを受け取り、病気のため震える手で点火用のトーチに点灯。そして1960年のローマ五輪で金メダルを得て帰国直後に、レストランで黒人である事を理由に入店拒否され、メダルを川に捨てたというエピソードが紹介され、改めてアトランタの金メダルが彼に贈られたわけです。

これは黒人と白人の間の溝が埋まったというアメリカ社会の認識なのか、もう黒人と白人の間の争いはやめようと言うアリのメッセージなのかわかりませんが、震える手で必死でトーチをかざすアリの姿には感動を与え、この映画で紹介される「俺、俺たち」の詩といい、やはりアリは大した人物だと言わざるを得ず、彼が病魔に侵されたことでかえって彼の凄さが増すと言うのは喜ぶべきことではありませんが、我々は彼の生き様に何かを得なくてはいけないとこのドキュメントを見て思うのでありました。(2014年9月)

得点 93点

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