モード家の一夜

1968年 フランス

キャスト:ジャン・ルイ・トランティニャン(男)フランソワーズ・ファビアン(モード)マリー・クリスティーヌ・バロー(フランソワーズ)アントワーヌ・ヴィテーズ(ビダル)

監督:エリック・ロメール

田舎町クレルモンに引っ越した男は教会で見かけた金髪娘に心を奪われる。(12月21日のあの日、私はフランソワーズが妻になると確信した)レストランで14年ぶりにビダルと再会する男。「今は何を?」「哲学の教授をしている。君は?」「南米から戻って10月からタイヤ会社にいる」「2か月も会わなかったとは」「あまり外に出ない。一人で静かに過ごすのが好きでね」「結婚は?」「まだだ」「僕もまだだ。だが田舎の生活は独身者にはつまらん」

数学やパスカルについて話し合う男とビダル。「僕はカトリックだが、パスカルの唱える厳格主義には賛成できん。彼の論理で行くと僕は無神論者だ」「果たして物事に意味があるのだろうか。僕はいつもパスカルと同じ心境にいる」「数学的に見ると確率への期待だな」

24日に女友達の家に行くと言うビダル。「君も来るか。彼女は娘を引き取りに行くんだ。離婚しててね。素晴らしい女性だ。是非会ってほしい」「いいのか」「彼女は小児科医で、夫も医者だ。彼女は美人だ」「結婚しろ」「僕たちは日常生活で意見が逢わない。だから親友のままでいる。君が来ないと僕と彼女はセックスをするだろう」

ビダルに連れられてモードの家に行く男。僕は長いこと外国生活をしたと言う男。私は田舎の生活は好きだけどここを出ると言うモード。「町は好きだけど人間にうんざりしたのよ」僕はカトリックだと言う男に私は無宗教よと言うモード。「両親がカトリックでも宗教を捨てたわ。私は自分に忠実よ」僕も無神論者だと言うビダル。「だがキリスト教の矛盾点こそ興味深い」「弁証法は苦手よ」結婚論やパスカルや神について話し合う男とビダルとモード。

旅先で凄い美女と知り合ったら君はどうすると男に聞くビダル。「そんな経験はない」「僕は二度ほどあった。それはわが人生最高の思い出だ。旅先では罪悪感がなくなる」「僕は反対だね。そのようなことはなかった」「これから起きる。もしそうなったら君は女と寝るよ。もし今夜モードのように美しい女が君をその気にさせたとして」「君は酔ってる。飲み過ぎたんだ」

キリスト教徒は結婚まで純潔なのとモードに聞かれ、話のネタになるのはまっぴらだと答える男。「僕のキリスト教観と女性関係が別問題だ。まったく異質だ。女の尻を追いかけるより数学をする方が神から遠ざかる行為だ。数学は神に背くもので無益だ。知的な暇つぶしであるがいい趣味ではない。なぜなら抽象的で非人間的だからだ」雪が降って来たので帰ると言うビダル。

ビダルが帰り、男とモードは宗教論をかわす。「ところでなぜビダルは帰ったんだ」「虚勢だわ。彼は私に恋してる。私は彼を苦しめてる。仕方ないわ。好みじゃないもの。なんとなく成り行きで彼と寝た。私は男の好みがうるさいの。あなたを連れてきたのは私を試すよりも、私を軽蔑し憎むための口実だったと思う」「僕が言いたいのは人生の選択と言うのは女性と寝るとか言うことではない。もっと総体的な生き方の問題だ」

結婚論や夫婦論をかわす男とモード。「私を軽蔑する?」「まさか。あなたはカトリックじゃないし、他人の信条に踏み入るつもりはない。でもなぜ離婚を?」「性格の不一致よ。夫は立派な人で今も尊敬してるけど、どうしてもイライラするの」「……」「私には恋人がいて、夫にも愛人がいたの。彼女はあなたみたいな道徳家でカトリック。彼女は夫に夢中だった。私は彼女を憎み、二人を別れさせようとして、結局二人は一緒にならなかった」「あなたの恋人は?」「私は運のない女なのよ。最高の人だったけど交通事故で死んでしまった」男はモードと一夜を過ごすことになる。

翌日、思い切ってフランソワーズに声をかける男。「いい口実が見つからないけど、君と知り合いたい」「慣れてるみたいね」「こんなこと僕の主義じゃないんだ」「主義を破るの?」「時々ね。それだけの価値がある時しか破らない。本当は主義はない。主義を重んじすぎて機会を逃したくない」「価値があるかしら」「運にまかす」「運まかせの人に見えないわ」「先週は教会に来なかったね」「用事があったの。特別よ」「じゃあ、明日は昼食を一緒にどう?」「そうね」

それから親密の度を深める男とフランソワーズ。「君のことを昔から知っていたような気がする」しかし男に恋人がいると言うフランソワーズ。「今も続いているのか」「最近別れたの」「愛してるのか」「愛してた」「誰だ」「あなたの知らない人」「捨てられた?」「もっと複雑よ。結婚してたの」「……」

「あなたを愛してるわ。でも愛した人のことは忘れないものよ。つい最近再会したの。でももう会うことはないわ」「フランソワーズ。僕はいつまでも待つよ。打ち明けてくれて嬉しかった。僕にも負い目があった。これで対等になれる」「相手は独身でしょう」「実は君に会った朝もその女性の家から出てきた。彼女と寝た」「その話はやめましょう」

海水浴にフランソワーズと息子を連れて行った男はモードと再会する。「会うとは思わなかった」「変わらないわね」「あなたも」フランソワーズと息子をモードに紹介する男。「会ったことがあるわ。結婚おめでとう」「フランソワーズ、先に行っててくれ。僕はすぐ行く」彼女だったのねと男に言うモード。「彼女の話はしなかった」「金髪でカトリック。私、よく覚えているわ」

「あなたの家へ行った晩の翌日に知り合った」「彼女、私のことを?」「いや」「隠してるのね。蒸し返すのはやめるわ。もう遠い過去。あなたは全然変わらない」「君もだ。なのに何もかも遠く感じる」「いろいろなことはあったわ。私、再婚したの」「おめでとう」「でもうまくいかないの。ダメだわ。私は運が悪いのね。行って。奥さんが気にしてるわ」

モードに五年ぶりに会ったとフランソワーズに言う男。「知らん顔をしたくなかった。いい人だし。君と会った時、僕は彼女の家から出てきた」

(何もなかったと言いかけて、妻の当惑が僕の秘密を知ったからではなく自分の秘密への不安だと気づいた。何もかもわかった。今になって。だから反対のことを言った)

「僕の最後の火遊びさ。こんなところで会うとはね」「おかしいわ。でもどうせ遥か昔のことだわ。もう忘れましょう」「そうだ。昔のことだ。泳ごう」男とフランソワーズは息子を連れて海に向かうのであった。

★ロロモ映画評

田舎町クレルモンに引っ越した男は教会で見かけた金髪娘に心を奪われる。(12月21日のあの日、私はフランソワーズが妻になると確信した)レストランで14年ぶりにビダルと再会する男。「今は何を?」「哲学の教授をしている。君は?」「南米から戻って10月からタイヤ会社にいる」「2か月も会わなかったとは」「あまり外に出ない。一人で静かに過ごすのが好きでね」「結婚は?」「まだだ」「僕もまだだ。だが田舎の生活は独身者にはつまらん」

数学やパスカルについて話し合う男とビダル。24日に女友達の家に行くと言うビダル。「君も来るか。彼女は娘を引き取りに行くんだ。離婚しててね。素晴らしい女性だ。是非会ってほしい」「いいのか」「彼女は小児科医で、夫も医者だ。彼女は美人だ」「結婚しろ」「僕たちは日常生活で意見が逢わない。だから親友のままでいる。君が来ないと僕と彼女はセックスをするだろう」

ビダルに連れられてモードの家に行く男。ビダルが帰り、男とモードは宗教論をかわす。「ところでなぜビダルは帰ったんだ」「虚勢だわ。彼は私に恋してる。私は彼を苦しめてる。仕方ないわ。好みじゃないもの。なんとなく成り行きで彼と寝た」結婚論や夫婦論をかわす男とモード。「なぜ離婚を?」「性格の不一致よ。夫は立派な人で今も尊敬してるけど、どうしてもイライラするの」男はモードと一夜を過ごすことになるのであった。

この映画は信仰心のあつい男が二人の女と知り合って、どちらを取るかインテリらしくいろいろ悩んで、結局自分の直感を信じて結婚するという話のようでありますが、ロロモのように50歳過ぎての独身男にはこの男の悩みが世間離れしているというか都合よすぎるように感じて、こんな感じにモードとフランソワーズに巡り合うこともないし、また二人の女がこんなに簡単になびかないと思い、どうもその辺の都合よさがいかに映画とはいえ鼻につくわけです。

そして映画ではパスカルだのカトリックだの恋愛論だのが交わされますが、要するにそれはフランソワーズの恋人がモードの夫だったと言うオチを面白くするためのカモフラージュのように感じ、そんな論争が退屈なほどオチが鮮やかに見えるという構造にしており、そんなオチだのみの映画と言うのは数多くあり、そういうのは得てして途中が退屈にならざるを得ないというジレンマに陥りますが、この映画もそういうジレンマに陥っているわけです。

でもこれだけ映画の中でパスカルについてあれこれ言われると、パスカルについて知りたくなりますが、彼が有名なのは「人間は考える葦である」と言う名台詞ですが、これは人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超えることもできるというパスカルの哲学者としての宣言表明でありまして、人間に無限の可能性を認めると同時に、無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている含蓄のある言葉で、人間は無限でもあり有限でもあるという面白い存在であることをたった10文字でパスカルは示してくれたとされますが、なぜ葦なのかロロモにはちょっとわからないわけです。

そんなパルカスは1623年にこの映画の舞台となるクレルモンで徴税の仕事をする行政官を父として生まれます。パスカルは幼少の頃から天才ぶりを発揮し、10歳にもならない頃に、三角形の内角の和が180度である事を自力で証明して見せたと言われています。パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住。パスカルは家庭で英才教育を受け、自宅には当時の一流の数学者や科学者が頻繁に出入りし、彼は様々な知識を吸収し、16歳の時に「円錐曲線試論」を発表。17歳になって父のために機械式計算機の製作に着手し、2年後に完成させます。

成人したパスカルは社交界に出入りするようになり、人間についての考察に興味を示し、紳士を意味するオネットムという表現を用います。30歳になるとキリスト教を擁護する書物の執筆の着手や、様々な思索のメモ書きを残しますが、体調を崩したため、その書物を自力で完成させることができませんでした。パスカルは神の存在は哲学的に証明できる次元のものではないと考え、確率論を応用した懸けの論理において、神の存在は証明できなくとも神を信仰することが神を信仰しないことより優位であるということを示そうとしたそうですが、その辺の思考回路となるとロロモの範疇を越えてしまうわけです。

1662年には「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車というシステムを着想し、パリで創業。これまで、馬車と言えば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず、パスカルの実現したこのシステムは今日のバスに当るもので、世界で初めての公共交通機関となりましたが、パスカルは体調をさらに崩して。乗合馬車の創業6ヶ月後に、39歳の若さでなくなったわけです。

日本でパスカルと言えば「考える葦のおっさんだろう」と言うイメージしかなく、ロロモもそう思っていたのですが、この映画のおかげでそんなただの哲学者でなく数学的思考をベースにした思索家という極めてユニークな人物だったとわかり、彼がバスを発明したというのはバス会社に勤めていたロロモにはなんとなく嬉しくなりますが、彼は日本で言えばどんな人物にあたるのだろうと考え、時代的に見て平賀源内と新井白石を足したような人物なのかなと考えますが、全然違っている気もするのでありました。(2014年3月)

得点 38点

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