南京1937

1995年 香港

キャスト:シン・ハン(成賢)早乙女愛(理恵子)リュウ・ルーイン(書琴)チェン・イーター(天遠)ワン・スーペイ(小陵)タオ・ザール(根発)チャン・クオビン(石松)久保恵三郎(松井)

監督:ウー・ツーニウ

「1937年7月7日、盧溝橋の一発の銃声から勃発した日中戦争は20万の日本軍が中国に侵攻した。12月13日、首都南京が陥落したが、その混乱の中で日本軍は30万の中国人を虐殺、2万の婦女子を凌辱、城内の建造物の3分の1を破壊する暴挙を起こした。この南京大虐殺は広島の原子爆弾投下、アウシュビッツのユダヤ人収容所ガス室と並んで、第二次世界大戦の三大惨事と言われている」

上海で医師をしていた成賢は、上海が戦争状態となったために妻の理恵子と息子の小陵を連れて生まれ故郷の南京に行くが、南京のあまりの惨状に茫然とする。南京は安全と言ったじゃないのと成賢を責める理恵子。「日本軍の爆撃で家も焼かれてしまった。こんなことになるとは」「私たちは難民キャンプに行くの?」「僕らは難民じゃない。私は医者だ」「でも泊まるところがないと」「私の友人がこのあたりにいるはずだ。彼を探そう」

友人で工場を経営する根発と再会する成賢。「成賢。久しぶりだな」「実は泊まるところがなくて」「君の家のことは知ってる。遠慮しなくていい。私の家に行こう」「一人じゃないんだ」「忘れてた。子供たちはどこにいるんだ」理恵子を見て、日本人かと成賢に聞く根発。「ああ」「奥さんは?」「過労で死んだ」「彼女は妊娠している。君の子か」「ああ」「この時勢に何を考えている。日本人と結婚するなんて」「……」「まあいい」小陵に俺を覚えているかと聞く根発。「根発おじさんだよ。一緒に行こう」大丈夫なのと聞く理恵子に心配ないと言う成賢。「彼は私の親友だ」

小学校の教師の書琴に小陵を編入させたいと言う成賢。「わかりました。すぐに連れてきてください」「ありがとう」話し合う日本兵。「南京を完全に包囲したな」「南京を攻略したらやりたい放題だぞ」「女もいっぱいいるぞ」「命の洗濯。やらなきゃ」台湾から転属してきた石松を見てあいつはよく働くなと言う日本兵。「あいつは台湾人か」「台湾は日本の領土だから、あいつは日本人だ」「日本人でよかったな。はははは」南京には十万を超える中国軍が立てこもっていると言う松井司令官。「これを攻撃し一人残らず殲滅しなければならない」

日本軍は南京に対し攻撃の手を加える。連絡士官の天遠に南京はどうなるのと聞く書琴。「日本軍を撃退できるの」「私の使命は南京を守ることだ」「南京を放棄したりしないの。金持ちたちは皆南京から逃げてるわ」南京は戦場になると言う天遠。「君はここから逃げたほうがいい」「あなたのことが心配だわ」「心配しなくていい。僕は軍人だ」理恵子に日本軍がすぐそこに来てますと言う書琴。「お子さんを連れて逃げてください。学校は間もなく閉鎖されます」「ありがとうございます」

珍珍の祖父に南京は大変危険ですと言う書琴。「珍珍を連れて疎開してください」「私は逃げない。日本人が何だと言うんだ。南京が陥落すると言うのか。南京は六朝時代からの古都だ。洪武帝が明王朝を設立した都です。破壊されるのを黙って見てろと言うのですか」「……」「私は絶対この家を離れない。私は清の科挙の試験に合格して最高の権威を持った人間です。蒋介石委員長が逃げ出しても私は逃げない。愛する都の最後を見届けたい」

毎月多くの負傷兵が病院に運ばれると理恵子に言う成賢。「戦況は非常に悪い」「あなたは南京が安全と言ったじゃない」「殺されたり奴隷にされることはないだろう」「家に閉じ込められて生きている喜びはないわ」「それは君が日本人だからだ」「あなたは日本語がわかるから大丈夫よ」「私は中国人だ」「お腹の子は何人なの。ここ数日暴れているわ。何を言ってるか聞いてみて。日本語なの。中国語なの」「戦争はイヤだ。早く平和になってほしいと言っている」

南京政府と日本大使館が合意し南京国際救済員会と国際赤十字が設立した南京安全区に南京市民が押し寄せる。1937年12月10日、日本軍の南京攻撃が始まり、13日に日本軍は南京を占領して勝鬨を上げると、無差別に南京市民を殺戮し、10万人の中国兵を捕虜にする。

飯を食わす必要はないと捕虜を虐殺する日本兵。捕虜だけではないと言う松井。「南京には数十万の市民が残っている。諸君、南京はシナの首都である。もしもわが軍が厳しい処置を取るならシナ全土の抗日運動に決定的な大打撃を与えることになるだろう」1937年12月18日、日本軍は草鞋峡で中国人5万7千人を虐殺する。

生まれてくる子のために君を日本大使館に連れていくと理恵子に言う成賢。「私は小陵を安全なところに連れていく」「イヤよ。私はあなたのそばを離れないわ」「難民キャンプには中国人しかいない」「私も中国語を話せるわ」成賢らは難民キャンプに向かうが日本軍の検閲を受け、成賢は日本人になりすまそうとするが小陵が中国語を喋ったために、成賢は連行されてしまう。元気な赤ちゃんを産んでくれと理恵子に怒鳴る成賢。

安全区に着いた理恵子と小陵を迎える書琴。「大丈夫です。あなたの御主人は日本語が喋れます。きっと釈放されます」「ありがとうございます」首を吊って死ぬ珍珍の祖父。いつになったら機械の修理が終わると根発に聞く日本兵。「お前たちが南京から出ていったらだ。お前らに使う電気などない」

日本兵に射殺される根発。料理の仕込みをする成賢にさすがに日本人の嫁さんを貰っただけのことはあると言う石松。「なかなか手際がいい」「私は医者です」「何の医者だ」「医者の使命は人の命を救うことです」成賢に逃がしてやると言う石松。「私は台湾人だ。台湾は日本に占領され、台湾人は日本人とみなされた」

成賢を逃した石松は日本兵に虐殺される。安全区に現れ書琴を抱きしめる天遠。「また逢えると思わなかった」「なんとか生き延びることができた。これからも逢いに来るよ」安全区に現れ理恵子を抱きしめる成賢。「あなた」「理恵子」

安全区に押しかける日本兵たち。「ここは国際法で守られた安全区です。軍隊が入ることはできません」「心配するな。我々は武器を持っていない。我々が必要なのは洗濯女だ。軍隊には女がいるんだよ」強引に安全区に入り女漁りをする日本兵。成賢は暴行を受け、書琴は輪姦される。ショックで女の子を出産する理恵子。駆けつけた天遠に子供たちの面倒を見てくれと頼む成賢。「私は妻の面倒を見る」子供は何人なのと成賢に聞く理恵子。天遠は書琴や小陵や珍珍や赤ちゃんを連れて消えていくのであった。

★ロロモ映画評

1937年11月、第二次上海事変に投入された松井石根司令官率いる上海派遣軍は首都南京に攻め上ります。12月9日、松井は中国軍に対し無血開城を勧告しますが、中国軍が開城勧告に応じなかったため、12月10日、日本軍は進撃を開始し、12月13日に南京城に入城。13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の敗残兵・便衣兵の掃討で大規模な残虐行為が行われたと言われており、この残虐行為を「南京大虐殺」と歴史的に呼ぶわけです。

ここで問題となるのは大虐殺でどれくらいの人が死んだかということでありまして、中国側論者はなどは「30万人を超えている」と主張。しかしこれらの数字には、いずれも科学的根拠が一切なく、日本側の学者からは支持されていません。「10数万人以上ではないか」と言う意見は日本の識者から出され、都留文科大学名誉教授の笠原十九司は中国軍総数を約15万人と推計し、約5万人が国民政府軍に帰還、1万人が戦闘中に死亡、1万人が撤退中に逃亡、残り8万人が日本軍による殺害と推計。ただし「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない」と断言しています。

また「虐殺は1万人程度じゃないか」と言う説もあって、南京戦史編集委員の板倉由明は中国軍総数を5万、そのうち戦死者数を1万5000人、捕らわれて殺害された者を1万6000人、生存捕虜を5000人、脱出成功者を1万4000人と推計し、その上で虐殺数を8000人と推計。市民に対する虐殺は、城内と江寧県を合わせた死者総数1万5500人とし、このうち虐殺に該当するものを5000人と推計し、兵士と市民の虐殺数の合計は1万3000人と推計しています。

また「そもそも虐殺はなかったんじゃ」と言う説にあって、亜細亜大学教授の東中野修道は「ゲリラ兵、投降兵の殺害については戦闘行為の延長であり戦時国際法上合法で虐殺に分類しない。日本兵による犯罪行為も若干はあったが大規模な市民殺害は当時の史料では確認できない。しかも、南京大虐殺があったとされる3ヶ月後には南京の人口が5万人増えているという記録があり、大規模な市民殺害があれば人口が増えるはずがないので、百人単位の虐殺もなかった。埋葬記録などの死体数に関する資料は捏造・水増しであり、史料により確認できる死体は虐殺に該当しない」と主張しています。

ということで真偽のほどがはっきりしない南京大虐殺は多分永遠にはっきりすることはないだろうと推測されますが、この映画では「30万人を超えている」論を土台としており、日本軍を悪魔の化身として描いているために日本での公開に際しては右翼団体による上映への抗議や妨害行動があったそうですが、ロロモはある程度の虐殺はあっただろうと思いますが、戦争では虐殺の境界線はなかなか難しく、全ての戦闘行為が虐殺とも言え、これが虐殺であれは虐殺ではないと言うのは少し虚しい気もし、この映画を観終わったあとはそんな虚しさに包まれてしまうわけです。

南京と言えば「南京大虐殺」のことを連想してしまうのは気分がブルーになるので、ここでは「南京玉すだれ」のことでも考えて気分をハッピーにさせる必要がありますが、これは演者が竹製の小型のすだれを持ち「さて、さてさてさてさて、さては南京玉すだれ」と歌って踊りながらすだれを変化させて釣竿、橋、しだれ柳、旗などに見立てるという日本の伝統芸能であります。

この大道芸が現れたのは江戸期になってからで、名前から南京発祥だと思われますが、どうやら日本発祥で、本来は「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」と称されており、「唐人にも阿蘭陀にも二つとない小さな玉すだれ」という意味で付けられ。大国である明の大都市であった南京の名をつけることで、すだれの希少性を強調し芸の価値を高める意図があったと思われるわけです。

この南京玉すだれの芸は昭和の時代では正月番組などで見かけましが、平成になってからほとんど見かけることがなく、これを売り物にしている芸人が今もいるのか不明でありますが、ロロモは正直な話、この芸を見て感心したことは一度もないのですが、画期的な南京玉すだれ芸人が現れて、その芸で南京に乗り込んで平和の使者になってほしいものだと思うのでありました。(2014年10月)

得点 25点

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