涙くんさよなら

1966年 日活

キャスト:ジュディ・オング(ジュリー・クリプトン)山内賢(健)和田浩治(浩治)杉山元(信一)木下雅弘(行夫)太田雅子(雅子)伊藤弘子(葉子)岡村文子(はま)本郷淳(御前)伊藤寿章(猪又)新井麗子(峯子)細川ちか子(向坂夫人)三崎千恵子(たま)スパイダース ジョニー・ティロットソン

監督:西村昭五郎

アメリカ首都ワシントンの郊外に住むジュリー・クリプトンは父が死んだと突然知らされる。話し合うジュリーの父の戦友たち。「ジュリーをどうする」「彼女は母親に会いたがっている。母に会わせてやるべきだ」「しかし十八年も前の話だ。今でも葉子は東京で芸者をやっているだろうか」「わからん。しかしジュリーは探すだろう。彼女は日本語もペラペラだ」「金はどうする」「募金したらどうだ」「慈善団体が日本の芸者を探すための金を集めてくれるわけがない」「慈善団体に金を出させる名案があるぞ」

でかでかと書きあげる日本のマスコミ。<探してちょうだい。私のママを。哀れなジュリー、涙で訴える。戦争の落し子、ジュリーは、父を失ったショックで唖になった。ジュリーを日本へ。続々寄付募る>ジュリーは日本に向かう飛行機の中で、ジョニー・ティロットソンと同席になるが、ジョニーに喋れないと手振りで言う。日本側の慈善団体の代表がSATテレビ社長猪俣の妻の峯子ということで、SATテレビが日本でのジュリーの母探しの特番を組むことになり、御前という有能だが暴れん坊をその担当にする。

日本の慈善団体や御前たちはジュリーを待ち受けるが、ジュリーは母のいた「山岡」という料亭に行く。山岡の女将のはまの息子の健は浩治、信一、行夫という仲間と、ヤング・アンド・フレッシュというエレキバンドを結成していた。健に手紙を見せるジュリー。「私は以前ここにいた葉子の子供です。父が死んでショックで口がきけなくなりました。母を探して一人でワシントンからやってまいりました。母の居場所を教えてください」健たちはジュリーの可愛さに夢中になる。むくれるバンドのマスコットガールの雅子。

葉子は十五年前に京都に行ったと健たちにいうはま。山岡に現れ、葉子の行方を知らんかという猪俣。「家内も婦人慈善団体の会長をしとるだろう。そこでわが社も全社をあげて、日米愛の架け橋として、ジュリーの母探しを」「ちょっと待ってください。葉子をここから追い出したのはどなたでしたっけ」「う、うむ」「アメ公の子を産むようなふしだらな芸者を追放しろと言ったのは、あなたじゃなかったですか」「それはだな」

「社長さんは葉子に言い寄ってふられた。そしてあんたの奥さんが葉子に焼きもちやいて、葉子を追っ払えと運動した。愛し合ってたクリプトンさんと泣きの涙で別れさせられ、ジュリーちゃんとも別れさせ、京都に追っ払ったのは、いったい誰なんですか。社長の奥さんじゃないんですか。それが今さら母を探せだ、慈善だのと、ヒューマニズムですか」「う、うむ。客に向かってなんて言い方だ」

夫にジュリーはどこにいったんですとがみがみ言う峯子。役員たちに日米愛の架け橋はどうなると怒鳴る猪俣。インチキのヒューマニズムなんてお断りだよ、と健たちに息巻くはま。「マスコミがなんだい。インチキ野郎め。貴様なんかに葉子が探せるもんかい」ほんもののヒューマニズムは報酬なしに奉仕することだと言う健たちは、俺たちがジュリーの母親を探すと決心する。はまは京都の祇園の島の家という茶屋に行けと言う。「そこの女将のおたまさんが、葉子の行方を知ってるはずだ」

ダットサンに乗って京都に向かう一同。その車にジュリーが乗っていることを知った御前たちは、ダットサンを追跡する。浜松に着いた健たちは兄貴分バンドのスパイダースで出会う。転んだ外人の少年をジュリーが助けるのを目撃する雅子は、あなたは母を探しているのは本当だけど、唖は嘘ね、とジュリーに言う。「さっき、子供を助けたとき、英語で話してたじゃないの」「……」「周囲の同情を買うために唖の真似をしてるんでしょう。慈善団体の寄付を受けて」「……」「健たちはあなたのために真剣になってるのよ。それを騙してもいいの」「……」

ジュリーの唖はインチキよという雅子に、焼きもちやくのはいい加減にしろと取り合わない健たち。しかしスパイダースの正章はジュリーは唖じゃないと言う。「僕らには打ち明けてくれた。ジュリーの父親の戦友がひと芝居打ったのさ。彼女、悩んでたぜ。君たちに本当のことを言えなくて」雅子は御前たちに声をかける。「あんたたち、ジュリーを追いかけてるんでしょう。いいこと教えてあげるわ。ジュリーの唖はインチキよ」「本当か」「日本に帰る寄付を集めるため、唖だなんて言って同情を買ったのよ」ははははと笑う御前たち。「みんな騙されているんだ。社長も社長夫人も慈善団体も」

ジュリーを捕まえる御前たち。「あんたは日本の純真な若者を騙している。それでいいのかね」「……」ジュリーなんかほっときなさいよ、と健たちに言う雅子。「あの子はあんたたちを騙していたのよ」「あの子が唖かどうかはどうでもいいんだ。あの子はたった一人でお母さんを探しているんだ。俺たちはそれを助けたいだけだ。雅子、それが嫌なら、お前はここから東京に帰ってもいいんだぞ」「……」

あんたはこれからある屋敷に行くとジュリーに言う御前。「そこにはいかにも親切げなおばさまたちがいる。慈善家というありがたい連中だ。そいつらに会ったら、ぺらぺらとまくしてたててやれ。度肝を抜いてやれ。あとは俺たちが悪いようにはしねえ」「そんなことしたら、おばさんたち怒るわ。きっとお母さんにも会わしてくれない。あんたたちはお母さんに会わせてくれないの。なりたくもない唖の真似をして、やっと日本までやってきたのに」

そこに現れた健たちは御前たちをボコボコにして、ジュリーを奪い返す。健、と叫び、健に抱きつくジュリー。「喋れるようになれたじゃないか」「最初に健ってことないよな」「妬くなよ、浩治」わざと殴られるのもつらいもんだぜと御前に言う仲間たち。「まあ、お前が殴られろと言うから黙って殴られたがよ」「あいつらのパンチはきいたぜ」ジュリーにごめんなさいと謝る雅子。「あなたが唖でないと言いふらしたりして」「悪いのは私よ。私が嘘ついてたんだもん」

京都で葉子に言う向坂夫人。「今、ジュリーちゃんの母や言うて、名乗り出ることは簡単や。そやけど、田辺さんのメンツはどうなります。芸者やったことは知ってても、アメさんとのことは知らへん。今や関西財閥で押しも押されもせん田辺幸二郎の令夫人が、アメさんと子までなしたことが知れたら、どうなります」「……」「あんたの気持ちはようわかります。でもジュリーちゃんと会うて、あんた何ができるの。田辺のうちに引き取れます?」「……」「ここは見んふりするのが一番や。ジュリーちゃんはアメリカに帰ってもらうんや。島の家のおかみさんにはわてが電話します」

島の家にやってきたジュリーに、葉子は死んだと告げるおたま。お墓はあるんですか、と聞く健。向坂夫人に頼まれて、ジュリーにあんたは死んだと言ったが、あんたはそれでほんまにええんか、と葉子に聞くおたま。「あんた、ほんまに会わんでええんか」「おかあさん、もう言わんといて」「そうか。じゃあ、ジュリーちゃんをうちの墓に連れて、案上、言うて聞かせるさかいに」

おたまは自分たちの家の墓に葉子が眠っているとジュリーたちに話す。墓の前で涙するジュリーは、自分を見つめる葉子に気づく。あれがお母さんですと言うおたま。「行きなはれ」「ママ」しかし葉子は向坂夫人に連れられて、車に乗せられる。ママ、と叫んで車を追うジュリーは、去っていく車を泣きながら見つめる。

話し合う健たち。「お母さんにはお母さんの生活があるんだよ」「そんなことないよ。親子は親子だ」「あんなのおふくろ失格だよ」「ジュリーのお母さんの悪口はよせよ」「ジュリーのおふくろにだって幸せになる権利はあるんだよ」「会うくらいならいいだろ」ジュリーに踊ろうという雅子。スパイダースのサウンドに乗って踊るジュリーと雅子。ジュリーはアメリカに帰ると健たちに告げる。「今度のことはさっぱりやり直したいの。アメリカに帰って皆に謝るわ。今度は自分で働いて、日本に来るわ。私、一人ぼっちじゃないもの」「そうだよ、ジュリー」

羽田空港でインタビューを受けるジュリー。「日本の印象はどうでした。お母さんに会えましたか」「見つかりました。だけど、ママは死んでいました。でもジュリーは悲しくありません。日本で健ちゃんたちに会えたからです。お体裁じゃなくて、本当の心でぶつかりあえば、みんなは理解しあえる。そして世界中が手をとりあっていけるってことを私は知ったんです。私はアメリカに帰ったら、大威張りで皆にこのことを話したいと思います」また日本に来てくれという健たち。「ありがとう。きっと来るわ」

向坂夫人は葉子の手紙をジュリーに渡す。<あまりのショックに言葉もありません。ママはなんて言って詫びたらいいのでしょう。ママはママである資格を失いました。是非もう一度日本に来てちょうだい。いいえ、今度はママが迎えに行きます。何者にも恐れない強い人間になって。ママは物凄く感動したことがあります。ジュリーちゃんが車を追っかけてママと叫んだことです。ジュリーちゃんは唖じゃない。ちゃんと喋れたんです。よかった。ママは嬉しい。ジュリーちゃん。ママを許して>

アメリカ行きの飛行機の中で、ジョニーと再会するジュリー。「また、あったね。ママは見つかったのかい」「ええ、見つけたわ」「おや、喋ってるね」「そう、私は日本で言葉を見つけたの」「そいつは素晴らしい。僕も日本で言葉を覚えた。聞かせてあげようか」「お願いするわ」ジョニーは「涙くんさよなら」を歌う。

「涙くん、さよなら。さよなら、涙くん、また会う日まで。君は僕の友達だ。この世は悲しいことばかり。君なしではとても生きていけそうもない。だけど僕は恋をした。素晴らしい恋なんだ。だからしばらくは君と会わずに暮らせるだろう。涙くん、さよなら。さよなら、涙くん、また会う日まで」「涙くん、さよなら。さよなら、涙くん、また会う日まで。君は僕の友達だ。この世は悲しいことばかり。君なしではとても生きていけそうもない。だけど僕のあの娘はね、とても優しい人なんだ。だからしばらくは君と会わずに暮らせるだろう。涙くん、さよなら。さよなら、涙くん、また会う日まで」

★ロロモ映画評

アメリカ首都ワシントンの郊外に住むジュリー・クリプトン(ジュディ・オング)は父が死んだと突然知らされる。話し合うジュリーの父の戦友たち。「ジュリーは母親に会いたがっている」「しかし十八年も前の話だ。今でも葉子は東京で芸者をやっているだろうか」「ジュリーは探すだろう。彼女は日本語もペラペラだ」「金はどうする」「慈善団体に金を出させる名案があるぞ」

でかでかと書きあげる日本のマスコミ。<探してちょうだい。私のママを。哀れなジュリー、涙で訴える。戦争の落し子、ジュリーは、父を失ったショックで唖になった。ジュリーを日本へ。続々寄付募る>ジュリーは日本に向かう飛行機の中で、ジョニー・ティロットソンと同席になるが、ジョニーに喋れないと手振りで言うのであった。

こうしてジュリーは喋れないふりをして、日本で知り合った健(山内賢)ら若者とともに、母探しの旅を始めますが、その道中でさまざまなことがあり、アメリカに戻りますが、ジョニー・ティロットソンと再会します。「また、あったね。ママは見つかったのかい」「ええ、見つけたわ」「おや、喋ってるね」「そう、私は日本で言葉を見つけたの」「そいつは素晴らしい。僕も日本で言葉を覚えた。聞かせてあげようか」「お願いするわ」ジョニーは「涙くんさよなら」を歌ってこの映画は終わりますが、青春映画らしいさわやかな終わり方でロロモは満足するわけです。

この映画で重要な役割をしたジョニー・ティロットソンですが、ロロモがジョニーで思い出すのがジョニー大倉でありますが、それではジョニー大倉が在籍したキャロルのベスト10を発表。10位「最後の恋人」、9位「ヘイ・タクシー」、8位「やりきれない気持ち」。7位「彼女は彼のもの」、6位「憎いあの娘」、5位「ルイジアンナ」、4位「番格ロックのテーマ」、3位「ファンキー・モンキー・ベイビー」、2位「夏の終わり」、1位「涙のテディー・ボーイ」となるわけです。

この映画が公開された1966年にロッテで活躍した平井光親が生まれています。東福岡高校から愛知工業大に進学。愛知大学リーグで通算65試合出場、217打数88安打、打率4割6厘、9本塁打、50打点。首位打者1回、最優秀選手1回、ベストナイン5回受賞し、1988年のドラフト6位でロッテオリオンズに入団。入団2年間で15安打しか打てませんでしたか、3年目の1991年に打率3割1分4厘で首位打者を獲得。1998年にも打率3割2分をマークしリーグ2位となりますが、2002年シーズンで引退したわけです。

ということで彼は1991年に首位打者となりますが、オリックスの松永裕美と激しいデッドヒートを繰り広げます。松永は10月6日に全日程を終了して484打数152安打打率3割1分4厘0毛で、その時点で平井は342打数108安打で打率3割1分5厘8毛で松永を上回っていましたが、この時点での打席数は383打席であり、シーズンの規定打席に20打席不足していました。

ロッテは残り7試合を残していましたが、平井は最初の4試合で17打席に立ち9打数3安打4四球4犠打で乗り切り、打率を3割1分6厘2毛とややアップ。残りの3打席で2打数無安打なら打率3割1分4厘4毛で平井が首位打者、3打数無安打なら打率3割1分3厘6毛に後退し、松永が首位打者という状況で迎えたシーズン128試合目の10月16日のダイエー戦で、1回裏に先頭の西村徳文が塁に出ると平井は代打で登場して送りバントを決め、事実上首位打者を確定させ、残りの2打席は凡退して規定打席にちょうど到達し、3割1分4厘4毛で首位打者となったわけです。

規定打席ギリギリでの首位打者は1975年の太平洋・白仁天外野手、1981年阪神・藤田平内野手に次いでプロ野球史上3人目。トータル111安打は、1976年の太平洋・吉岡悟内野手の118本より少ない2リーグ制以降の首位打者最少安打数ということで彼はリーグ史上一番スケールの小さな首位打者となったわけです。

それでも首位打者は首位打者と言うことでありまして、松永が全日程を終えたあとも頑張って打率を下げなかったのが送りバンドでの首位打者につながったので、それなりに価値のある首位打者でないかとロロモは評価しますが、ロロモは最近は首位打者の基準となる打率よりも出塁数を打席で割った出塁率を重視すべきではないかと盛んに思うのでありました。(2012年12月)

得点 20点

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