白い壁画

1942年 東宝

キャスト:高田稔(幸田)入江たか子(奈里子)立花潤子(加奈子)月形龍之介(椎名)花井蘭子(はつ子)

監督:千葉泰樹

医学博士の幸田は旅行のために妻の奈里子とその妹の加奈子を連れて沖縄にやってきて、新聞記者の取材を受ける。「ご滞在の予定は」「未定です。黒水病の資料がそろい次第、台湾に渡りたいと思います」黒水病は原因不明の難病で原因も治療も伝染するかもわかっていない状態であった。地元の医師から沖縄本島では黒水病はもうないと聞かされる幸田。

「ただ本島から280キロ離れた西表島ではまだあるそうです。そんな辺鄙な土地ですから満足な医療施設はありませんが、篤志家の医師がいまして」「ほう。そんなところで開業してるんですか」「開業というより一種の社会奉仕ですな」「土着の方ですか」「いいえ。全然他府県の方です。椎名次郎とか言いましたな」「椎名?そういう名前で、十年前に脳腫瘍のトレパラティオンをやって問題になった人がいましたが」

椎名次郎がこちらにいるらしいと奈里子と加奈子に語る幸田。「君たちのお父さんと昔、トレパラティオンで論争した人さ」「まあ、ここに椎名さんがおられるんですか」「いや、ここじゃないんだか、西表島に椎名次郎という医者がいるんだよ」

椎名次郎はお父様が亡くなる前まで助手をしていた方よ、と加奈子に言う奈里子。「加奈ちゃんは小さかったから覚えてないわね」「それでトレパラティオンって何なの」「脳腫瘍の手術をする時、頭蓋骨を切りぬかなければならないの。そのことよ。たまたま椎名さんの担当患者にそういう人がいたのね。それが女の人だったの」

トレパラティオンをした椎名を責める奈里子。『その患者の方は偶然私と同じ年でした。私がその患者だったらトレパラティオンを希望しなかったと思うの』『患者のために残された手段は一つしかなかったんです』『そのまま死んでしまった方がどれほど望ましかったでしょう。21歳の乙女が自分の頭蓋骨を土瓶の蓋のように開けたり閉めたりするなんて。その人は取り返しのつかない姿で死んでいきました』『奈里子さん。僕はあなたのお父さんと見解を異にしましたが、今でも医者の信念として恥じていません』『あなたは人間としての感情を失ってしまってるんですわ』

それから椎名は学界から去って姿を消してしまったと語る奈里子。「もう十年になるわね」「椎名さんはお姉さまのことが好きだったのね」黒水病のことを聞くために椎名に会いに西表島に行くと奈里子に言う幸田。「君はどうする」「私は行かないほうがいいと思うの」「僕は君が当時椎名君とどういう関係か知っている。僕に気兼ねしなくてもいいんだよ」「そんなつもりはないんですけど」

西表島で黒水病などの治療に取り組む椎名であったが、彼自身も病魔に侵されていた。島では古い迷信が残っており、ハブに噛まれても祈祷で治すのだという有様であったが、椎名はほとんど歩けない状態でも治療を行っていた。台湾に向かう途中で幸田と加奈子は西表島を訪問して椎名と会う。私は黒水病ですと幸田に言いノートを渡す椎名。

「これは私の闘病日誌です。黒水病の臨床記録としてはいかなるものよりも厳密なものだと自負しています。研究といっても御覧の状態ですからはなはだ杜撰なものですが、私自身の病気が深刻なところまで来ておりまして、私にはもう研究する時間と体力がないのです。先生、この記録を持ち帰って研究の参考にしてください」「ありがとうございます」

幸田と加奈子は西表島を出立する。椎名が喀血して倒れているところを小学校教師のはつ子が発見する。台湾行きの船に戻り、椎名に君のことは言えなかったと奈里子に話す幸田。「あの人の学術に対する献身的な情熱に圧倒されて。考えてみればそれでよかったと思うんだ」「……」

はつ子にあなたのご厚意は大変うれしく思うと語る椎名。「だが所詮僕はもうダメなんです。この脈を診てください。ひどく停滞しているでしょう。ほら止まったでしょう」「先生。治ってください」「はつ子さんは25でしたね」「あら、それは去年でしたわ」「そうですか。あなたとは随分長いつきあいですね」「私が学校に奉職してからですから、もう六年になりますわ」「そんなになりますか。はつ子さん。僕が何故この島に来たか聞いてくれますか」「ええ」「僕はこの島に来る前に大きな外科教室の助手をしていました。その先生に娘さんがいたのです」

僕は手術を決行したために何もかもダメになったと語る椎名。「そのお嬢様のお気持ちはどうだったのですか」「僕は今でもその手術について間違いだったと思いませんが、お嬢さんの気持ちを得るためには方法を誤ったわけです」「その方、よほど美しい方だったんですわね」

台湾行きの船は暴雨風に襲われ、船に乗っていた人たちは西表島に漂着する。病身を押して懸命に漂着者の治療をする椎名はその中に奈里子の姿を見出す。この方は幸田博士の奥さんだそうですと椎名に言うはつ子。奈里子が意識を取り戻した瞬間に倒れる椎名。

椎名を見舞いに行く加奈子。「先生。私だけはやっと歩けるように」「とんだ災難でしてたね」「先生こそ私たちのために。おかげで姉の方はだいぶ元気になりました」「そうですか。幸田先生もご心配なさることはないようで」「ありがとうございます。姉がよろしくと申してました」「不思議な御縁でしたね」「姉は先生にいつも悪いめぐりあわせをもたらすので心苦しいと申してました」「そんなことはありませんよ。僕はこの島に来て不幸だとは思いません。医者としても人間としても十分に生きがいがあったと思ってますから」

発作を起こしながら加奈子に語りかける椎名。「ある絵描きが真っ白な壁に真っ白い空間を描いた。その絵は誰の眼にも見えなかったかもしれぬが、それでもその絵描きは満足でした。お姉さんにそうお伝えください」椎名は死に、幸田は椎名の研究を引き継ぐことを固く誓うのであった。

★ロロモ映画評

この映画は戦前の沖縄を描いた映画ですが、残念ながら白黒映画なので沖縄の美しさを表現できないようであり、遭難のシーンは特殊監督が円谷英二ということで注目したのですが、どうもあっさり終わり、舞台となる西表島はイリオモテヤマネコで有名な島ですが、それが発見されたのは戦後の話なので、この映画には当然まったく出てこないということで、どうもロロモにはあまり食指の動かない映画でありますが、この映画のタイトルは「白い壁画」でありして、ロロモは壁画からラスコー洞窟の壁画を思い出すわけです。

ラスコー洞窟は、フランスの西南部のヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟ですが、先史時代の洞窟壁画で名高く、1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見されます。洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあり、これらは一万5千年前の旧石器時代後期のクロマニヨン人によって描かれたことが判明したわけです。

材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っており、顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられるわけです。かつては大勢の観客をこの洞窟内に受け入れていましたが、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖。現在は壁画修復が進む一方、一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は非公開とされているわけです。

ということで普通の人には見ることのできないラスコー洞窟壁画でありますが、クロマニョン人もまさか今頃になって現代人に騒がれるとは思ってもいなかったと想像され、ロロモも築40年を越すURの壁に何か描いてやろうかとふと思ったりしますが、手先の不器用なロロモはもちろん絵もヘタでありますが、幼稚園か小学校低学年の頃に怪獣の絵を描いて褒められた記憶がほんのかすかに残っているのでありました。(2013年2月)

得点 12点

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