「青春を返せ」裁判をささえる愛知の会の資料
判決要旨を読んで  東北学院大学教授・浅見定雄
(「青春を返せ NO.14  『青春を返せ』裁判をささえる愛知の会 1998.5」から)
「青春を返せ裁判」の役割と展望
全国霊感商法被害救済弁護士連絡会事務局・弁護士・山口 広
(「青春を返せ NO.14  『青春を返せ』裁判をささえる愛知の会 1998.5」から)

判決要旨を読んで

東北学院大学教授・・浅見定雄

(「青春を返せ NO.14  『青春を返せ』裁判をささえる愛知の会 1998.5」から)

 これは最初に「判決要旨」を読んだときの感想です。その後東京で、弁護士の諸先生はじめ大勢の皆さんのご意見を聞いてしまいました。そうでなくても、もし判決の全文を読めば、もっと違った考えが浮かぶかも知れません。しかし幸か不幸か、私のところにはまだ判決全文が届いていません。というわけで、私の最初の感想を大体そのまま書いてみたいと思います。
 判決要旨を読んですぐに思ったのは、この裁判官たちは宗教とかマインド・コントロールのような「こころ」の被害を理解する能力(心の痛みへの想像力)をまったくかいているのだろうか、ということでした。
 まず、統一協会が「勧誘」のみか「教化」の段階でも「教団名、教祖名でさえ言わなかった」という詐欺行為について、「それは道義的な問題は別として違法とまでは断定できず」と言っています。これが物品販売等の商取引だったら、会社名や社長名を偽るのは明らかに「違法」な詐欺行為なのではないでしょうか。原告の皆さんは、まさにこのような偽りの結果として、いろいろな物品を買わされたり献金させられたりしたのです。またかけがえのない人生の何年かを棒に振らされたのです。
 次にマインド・コントロールについて、判決要旨は次のように言っています。「(被告統一協会が)原告に対して薬物を使ったり、物理的、身体的な強制力を用いるなど違法な手段を用いた事実を認めるに足りる証拠はない。」(わずか2ページほどの「要旨」の中に3回も同じような表現を繰り返している!)
 私たちはだれも、統一協会についてこんな主張をしていません。これはマインド・コントロールの話ではなく、ずばり「洗脳」の話ではありませんか。この判決は、原告が主張もしていない「洗脳」を持ち出して、それを否定してみせている。たぶん名古屋地裁の裁判官の方々は、統一協会についてもオウム真理教の「洗脳」以外を考える能力がなく、また勉強心もなかったのです。
 もういちど言いますが、商取引や金融機関の犯罪で、巧みな詐欺師は、「薬物を使ったり、物理的、身体的な強制力を用い」たりはしません。彼らはみな、ひたすら「舌先三寸」で相手をその気にさせるのです。それこそが詐欺の本質です。そしてその時の話の内容が、経済事件では言葉巧みな儲け話であり、統一協会では「因縁トーク」のような「宗教的言説」、「宗教上の言説」なのです。ところがこの判決は、この「因縁トーク」やインチキ「難民救済募金」が「違法の評価を受けるかどうかは」なんと「個別の事案」だと言います。詐欺かどうかの判定をするのに、詐欺師が何を言ったかは問題にしないというのですから、何とも呆れた話です。
 そもそもマインド・コントロールとは、最近は次第に多くの心理学者も認めはじめているとおり、まさに薬物や物理的、身体的な強制力を用いずに、本人には納得ずくと思わせながら、その心を操るテクニックのことです。だからこそそれは、ある意味では、すぐそれと分かる「洗脳」よりずっと悪質なのです。それを「社会常識に反したと見るべき特段の事情はない」と弁護するのですから、もしかして名古屋地裁の裁判官がたは、場合によってはご自分や家族も、この程度のことはしてもいいと思っておられるのでしょうか。自分自身は「社会常識」から出来ないようなことを、他人事なら平気で容認する――日本国の裁判官がそんな人々だと私は思いたくありません。「いわゆるマインド・コントロールは・・・原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」と自身をもって断定する前に、裁判所は西田公昭先生をきちんと証人に採用し、その二冊のご本(そのうち一冊は最新の博士論文を一般向けにしたもの)を尋問によって論破する義務があったと思います。
 実はこのことと関連して、昨年一〇月二〇日の東京地裁判決が「慰謝料」の部分を認めなかったことが気になっていました。宗教的教えの形をとったマインド・コントロールの犯罪性・非人道性を裁判所にどう立証したらいいのかについて、弁護士・カウンセラー・心理学者の間でもっと詰める必要がありそうです。
 さいわい、原告の皆さんは全員控訴して頑張って下さるとお聞きしました。ご苦労さまですが、私たちも一生懸命支援をつづけますので、よろしくお願いいたします。
 私個人は、ずいぶんいろいろな裁判にかかわってきました。自分自身、「幸福の科学」というカルトの「被告」として二年半ほどつきあわされた経験もあります。また平和運動やヤスクニ問題や在日韓国人の人権問題などでは、一つのことに二〇年以上もこだわり続ける必要もありました。そんな経験から思うのですが、長い戦いほど、軽やかに、そして自分の平凡な日常生活を犠牲にせずに、戦っていく知恵が必要です。正しい戦いには、自身と誇りと、そして時にはユーモアをもって、対処していきたいと思います。


「青春を返せ裁判」の役割と展望

全国霊感商法被害救済弁護士連絡会事務局・弁護士・山口 広

(「青春を返せ NO.14  『青春を返せ』裁判をささえる愛知の会 1998.5」から)

【青春を返せ訴訟のメインテーマ】
 東京でこの裁判を起こすかどうかで議論している時、こんな意見がありました。
「だけどさー、暴力団の親分にさそわれて組み入って覚醒剤の売人やってた若い衆が、暴力団相手にこの手の請求できるかよ。」
「○○党や××派にさそう時だって、最初から入ろうとは言わないぜ。何かのことで学生運動にさそっといて、そのあとじんわり入会勧誘するんだぜ。デモや集会で舞い上がったところでさそうよ。」
 結局この裁判のメインテーマのひとつは今でもここにあると思います。
 まず、暴力団の場合は入った後の酷使や違法活動の点は統一協会と似ていますが、決定的なちがいは入会する時に、どんな組織に入り、入ったら何をすることになるかをさそわれる側が認識しているか否かです。その点で言えば、ヤセ薬だとウソをついてシャブを射ち、中毒になったところで売春させられる女の子についての法律論は、統一協会やオウムの違法な勧誘と似ており、「青春を返せ」と暴力団に訴訟提起してもおかしくないと思います。
 次に、○○党や××派など政治団体への勧誘。まず、入った後にノルマ化された酷使や違法活動がシステム化されているか否かの違いが決定的です。勿論、査問制度の下でノルマ達成を義務化したうえに、違法な秘密活動をさせた場合には情況は統一協会と似てきます。しかし、それでも、ウソや脅しをシステム化してさそい込み、システム通りに酷使し、違法活動をさせる行為と、結果としてこうなったという場合とでは決定的ちがいがあります。
 宗教であること、入会したらたいへんな義務があることなど大切な情報をかくし、ウソをつくことや、霊界での恐怖をことさらあおってぬけにくくすることが、マニュアル化されていること。その結果入会した若者をホームに入れて生活や情報、感情など全ての面で管理して組織の指令通りに動くことを義務化し(アベル・カインやアダム・エバの教義を利用する)、非人間的な活動に長期間従事させ、あまつさえ霊感商法等の違法な活動を義務として実践させる(そこでも万物復帰の教義を利用する)こと。組織の活動や論理を疑うこと、怠ること自体が罪であり地獄で永遠に自分そして氏族を苦しませることになると畏怖させるので、統一協会を自ら脱会することが極めて困難であること。
 我々は、このような入会時のウソと脅し、入会後の管理と違法活動、脱会しにくくするシステム、この全てをスッキリ、ハッキリ主張、立証する必要があるのだと思います。この点において、名古屋判決を見る限りではいずれも極めて不十分な認定で終わってしまいました。

【マインドコントロール論と訴訟】
 判決を読む限りでは、マインドコントロールということばがひとり歩きしているように思います。
 我々はマインドコントロールだから違法といっているのではありません。前に述べたとおりの「入口、トンネル、出口」(入会、ホーム生活、脱会)での重大な問題を裏付ける事実を積み重ねて立証することによって、初めて違法性ありと主張しているのです。
 裁判所はこの点曲解して、マインドコントロールはそんなに効果があるもんじゃないと思うから、違法とは言えないと述べています。
 どんなマインドコントロールだったのか。つまり何故Aさんはこの世的には違法だと判っていながら大儀のために霊感商法をしなければならないと思うに至ってしまったか。この点をきっちり考え直して、裁判官に判らせる工夫と努力が必要だなと痛感しました。
 その意味で、社会的キャンペーンとして、一般に理解を求める際には、マインドコントロールということばは、とても便利ですし、今後も活用できますが、訴訟活動においてはことばに頼らないようにしたほうがよいと思います。
 裸の事実を整理して提示していく努力が必要なのだと思います。

【宗教的決断】
 名古屋判決ではこのことばがよく出てきます。原告は宗教的決断をしたのだから、その決断についての司法の介入は抑制的であるべきという意識が見えてきます。また、勧誘する側の統一協会の活動の自由を尊重するべきということは正面から判決文で述べています。
 しかし宗教的決断と経済的決断とはどう区別されるのでしょうか。
 統一協会に入るか否かという決断はその人の人生を決定づける重大な決断です。百万円の壷を買う異常に重大なことです。一生かかって返すことになるマイホームの購入契約よりもっと大切なことでもあるでしょう。そんな重大な決断をするにあたって、勧誘される側の信教の自由に名古屋判決は全く配慮した様子がありません。商品購入にあたって売主がウソをついたり、脅した場合には、厳しい売主側の責任を認める裁判所が、何故「宗教的決断」というマジックワードで尻ごみしてしまうのか。宗教的活動であればウソや脅しが認められるということではないはずです。本件は、さそわれる側の冷静且つ正しい情報に基づいて(つまり自由意思で)自らの宗教を選択する権利と、勧誘する側の布教の権利との利害調整の局面での判断です。
 物を売る側と買う側の利害調整の局面以上にあるいはそれと同様の公正さが求められるのではないでしょうか。
 九七年四月一六日に言い渡された献金事件の奈良地裁判決ではこう述べています。 「以上を全体として総合的に判断すれば、被告の献金勧誘のシステムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を減退させて献金させるものといわざるをえず、違法と評価するのが相当である。」
 この判決文の「献金」を「献身」と読みかえて、何の不自然さもありません。

【Aさんがんばって】
 原告の皆さん、弁護団、そして杉本牧師をはじめとする多くの裁判を支えて下さった皆様に改めて心から敬意を表します。とりわけこの裁判を丸八年間中心になって闘ってきたAさん。本当にごくろうさまです。でも、名古屋地裁のへんな判決のおかげで、また大きな目標ができちゃいました。永いつきあいになりますが、助言しあい、批判しあって、情報を密に交換しつつがんばりましょう。それに、その過程であってもいいから、自然に親しみ、人生を楽しもうね。


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