パソコン通信が残した物
 最近になってパソコン通信が元気が無い。老舗のPC−VANがBIGL OBEとかで、アスキーとかEYE−NETとやらもパソ通は止めるらしい。 ASAHI−NETもその中の一つでIBM系のPeopleというネット とパラレルコンファレンスというシステムで相互乗り入れをしていたが、5 月一杯でそれを止めて一旦全ての会議室を閉鎖して再開するらしい。
 何でも接続時間の95%はインターネット利用で、残りがパソ通利用の分 らしい。このようにプロバイダーと併設のパソ通の会議室の管理は煩雑なこ とだろうと考える。ASAHI−NETは会員に限りインターネットから最 新の20メッセージが読めるサービスを開始すると言うが、どうやらパソ通 の掲示板はインターネットのおまけになってしまった感がある。私などはも う10年くらいパソ通をやって来てその変遷には驚きを覚えている。以前だ ったら到底考えられないような非常識なメンバーが場を荒らしては喜んで去 って行く姿を多く目にするからだ。実名公開のネットの表でこんな具合だか らきっと裏ではメールのやり取りなどでかなり酷いことが行われているとさ え感じる。会員同士の誹謗中傷合戦に会議室の世話役が音を上げて、事務局 に泣きついたりされて主催者がいちいち仲裁に入るというのも変なものであ る。そのための世話役であろうが、これだけ急速に広がると適切な世話役と いうのは多くない、「何もしないのが最良の世話役」と言われるのももっと もと思ったりする。
 それで、パソ通って何だったんだろうと、ふと考える。最初っからインタ ーネットに接した方には、Net-Newsのローカル版ぐらいな感覚なのだろうか。 メーリングリストがあれば十分ではないかとか考える方もいるだろう。でも、 黎明期のパソ通は苦労も多かったけどそれなりに繋がりも強かったようだ。 本当の初期は音響カップラー300bpsという信じられない環境もあった。 実際私が始めたのは1200bpsで8ビットマシンだった。漢字変換さえ ままならず、単漢字変換で作ったデータを自前のマクロで送り込んで掲示板 に表示されたときの喜びは大きかった。今の人は32ビットだ、Windo wsだ、28800bpsの環境が目の前にあってネット毎の専用の接続ソ フトが用意されていていながら、うまく繋がらなければ「どうして繋がらな いのか」とネットに対して質問攻めにするのが「流行り」らしい。こういう 人に限り「ちゃんと設定通りにしていて自分に間違いは無い」と言われる。 でも同じことをして繋がってい人が五万といることはご存知無いらしい。そ ういう人は文句を言わないので、存在自体が分からないと見える。
 同様のことが最近のパソ通の荒廃にも共通して言えると思う。回りが見え ないのである。自分さえ楽しければ誰かが傷ついていようとどうでも良い。 早く言えば「一人よがり」であって他への気配りは皆無。ここで叩かれても 次へ行くさ、という雰囲気がそこここに感じられる。場を荒らしてさっと去 って行く。そんな奴だから後のことなど構わない。自分の影響力が大きいこ とを示すにはその場が閉鎖されるくらい壊滅的な打撃を与えられないと気が 済まないらしい。ネットゴロと間違うばかりの奮戦をする人もいるが、何が 楽しいのだろうか。大抵は古参のメンバーとかに袋叩きにされるのだが、そ れを差別だ、いじめだ、と今度は弱者を装い仲間を引き連れて来る。こうい う場になると必ず現れるお節介妬きがいて、仲間うちでは笑える存在となっ ている。
 パソ通のもめ事について書こうとしたのでは無い。パソ通が何を残したの かを考える場であったことを思い出しました。失礼。まず自分にとってのパ ソ通を考えると、そこで多くの人と繋がったことは既に書いたが、それ以外 にも何か残ったかを考えると、パソコンが埃かぶらず済んだとか、インター ネットにすんなり馴染めたとか、自分をとりまく環境の問題が大きかったの か、くらいしか思いつかない。やはり、パソ通の残したものは人と人の繋が りが大きいように思う。今、パソ通をしてなくとも郵政省メールで繋がって いる人がいるとか、めったにボード上に現れないのにオフの日にはいるメン バーとか、不思議な付き合いもある。インターネット時代になって全世界が 同じネット上に繋がっていると言ってもその繋がりはパソ通には及ばないだ ろう。やはり、人と人を結びつける力は同じ会議室で気心知れてやり合った 仲でないと生まれないだろう、というのが持論である。意外なことにボード 上で激しい人が会って実際に話すと穏やかな人だったり、と文字だけでの応 酬には誤解を与えやすいことも多いようだ。
 最近、パソコン通信上で知り合い(あるいは別の場で知り合い、パソ通で 連絡を取っていて)結婚された方が4組も回りにいて、驚いています。それ ぞれのカップルが何らかの障害を乗り越えてのゴールインで、単純な幸せ物 語では無いようですが、地域・世代を越えての付き合いの一つの形がこれら の方々に共通していてパソ通の威力だなとも感じました。
 結局、結論は「パソ通は今後も人と人の繋がりを作り続けるだろう」とい うことで、生き残るものと思います。形は変わろうと、ですね、きっと。

続く
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