以下の陳述は、非自治地域の独立・非植民地化の実現を管轄する国連の委員会で日本の全国協議会が行ったもので、東ティモールにおける女性への性的暴力についてのまとまった報告として、世界の注目を浴び、引用されているものです。


東チモールに自由を!全国協議会
1996年7月23日
国連非植民地化特別委員会での陳述

陳述は古沢希代子、ジーン・イングリスによって準備され、スーザン・エインビンダーによって発表された。

議長、および委員のみなさま

 日本全国の13の草の根団体から構成される東チモールに自由を!全国協議会はこの栄えある委員会に陳述を行えることを名誉に思います。この陳述において、同協議会は、占領軍兵士があまねく駐留していることによって引き起こされている東ティモールの女性の切迫した問題、とりわけ性暴力の問題についてみなさまに関心を寄せていただきたいと思っています。

 紛争地域および軍事占領下の領域における女性に対する性暴力は、昨年の北京での第4回国連世界女性会議で議論された切迫した問題のひとつでした。NGOフォーラムと政府会議の両方で、性的虐待からの女性の安全は、占領軍がはいってくると同時に保障されなくなってしまうものだということが、十分に明白になりました。同時に、北京NGOフォーラムと政府会議は、この問題に取り組むという国際社会の決意を示し、政府会議が採択した行動綱領は、当委員会をはじめとした国際機構がとるべき具体的な方策を列挙しています。ここでは、東ティモールで起きている性的虐待の典型的形態を簡単に説明したのち、北京行動綱領にもりこまれた関連の勧告、およびこの栄えある委員会によって考慮されてはどうかと思われる提案に、注意を促したいと思います。(1)

レイプ

 インドネシア軍兵士によるレイプは、どの証言によっても、東ティモールではきわめてふつうのことであります。インドネシアの人道団体である「東ティモール人擁護のための合同委員会」のある報告にとりあげられた2つの事例は、レイプがいかに占領軍の女性の住民に対する組織的な戦略であるかということを示しています。

 1994年1月12日、ブア・ナラク村の「A」さんは、彼女の村からロイ・フノ村へ行くのに通行証をもっていなかったという理由で408大隊の中隊長に逮捕されレイプされました。中隊長は彼女が通行証を提示できないということからゲリラであると決めつけたのです。

 1993年10月30日にも軍の要求にしたがわないことの報復としてレイプ殺人が行われています。事件は405大隊の兵士たちが、ビケケ県ベロイ郡ワイ・モリ村でのパーティーに、無理やり少女たちを連れていこうとして村の家々を回って歩いたことから始まりました。兵士のトラックに入れられるのに抵抗した二人の少女は次のような運命をたどることになりました。まずルワ村の「B」さんは血が出るまでなぐられ、家族のいる前で裸にされました。同じ村のジョアナ・ソアレスさんはブルロリのオヌ・ララン地区で輪姦された上、刺し殺されてしまいました。(2)

 占領地域におけるレイプ犯が罰せられないままでいることは、あらゆるところで切実な問題となっています。東ティモールのレイプ被害についてリドレス(補償・救済)を受けるのがむずかしいという状況は、ディリのウィラフサダ陸軍病院で試験室技師として働いていた東ティモール人、ジョアン・アントニオ・ディアスさんが語ったケースがよく示しています。彼は、兵士にレイプされ、それを訴えたロスパロス地方の16才の少女について語っています。少女は裁判で提示する証拠のためにウィラフサダ陸軍病院に検査に行かなければなりませんでした。試験室での検査では、彼女が(レイプ前は)処女であったことが示されましたが、検査を指示したまさにその医師は法廷への報告の中で、彼女が処女でなかったと述べ、彼女の証言を損なったのです。(3)

 ディアス氏はじめ日本で東ティモール人たちが証言したその他のレイプの事例は、抵抗運動に参加していると非難された男たちの妻や娘がレイプされるというパターンを示しています。レイプは夫のいる目の前でなされることもあります。ルカス・バヤサの妻がそうでした。この事例の場合、夫は妻がレイプされるのを見た後精神的に不安定になり、妻の方はレイプ犯の子を産みました。

 昨年(1995年)の夏、インドネシア兵によって性的暴力の被害をうけた女性たちが何人が、東ティモールの中で面接に応じました。(4)

 ロスパロス地方のある村に住む「A」さんは、面接のとき、妊娠6か月でした。612大隊の「W」という二等兵にレイプされた結果だということです。彼女によると、その兵士はM16銃をもって彼女の家に押し入り、彼女を襲撃しました。抵抗すると両親を撃つと脅迫し、両親に対しては手を出すと撃つと言いました。兵士はその後何回かやってきました。その結果、彼女は妊娠しましたが、兵士は12か月の任期がきれるとインドネシアにもどってしまい、子どもの責任をとろうとはしませんでした。

 面接に応じた「H」さん(30才)は2才と7才の二人の子どもがいましたが、いずれも511大隊に属する二人の異なる兵士のレイプの結果だということです。いずれの兵士も子どもに対して責任をとっていません。

 ある村で面接に応じた男性の「X」さんは、その村ではインドネシア兵に性的虐待を受けた女性が50人にものぼると語りました。彼自身の妹、「B」さん(25才)もインドネシア兵にレイプされ妊娠し、その子を出産したということです(面接のとき10か月でした)。(5)

 同じ村の他の6人の女性(「C」さん、20才、「D」さん、35才、「E」さん、35才、「F」さん、37才、「G」さん、29才、「H」さん、30才)は1990年にインドネシア兵によって誘拐されたことがあります。彼女たちは抵抗ゲリラの支持者のふりをして、インドネシア軍のために情報収集をし、ゲリラの隠れ家に案内するように命令されました。彼女たちはまたその兵士たちの性的奴隷とされました。これらの話をしてくれた「C」さんは、1990年以来こうしたことを強要されており、また今も家にやってくる兵士たちの性的な相手をさせられていると語りました。兵士たちは、彼女がこれを断れば、「フレテリンに協力している」とみなすと言いました。

「現地妻」と「慰安婦」

 占領軍兵士たちによる性的虐待としては、さらに、いわゆる「現地妻」として、そして、かつての日本帝国軍の表現をかりていうところの「慰安婦」として女性を使っているという実態があります。今月、東チモールに自由を!全国協議会は、オディリア・ヴィクトルさんという東ティモール人女性を招き、女性に対する性的虐待の問題について講演してもらいました。(6)

 彼女は、彼女自身の姉がインドネシア兵の「現地妻」とされ、また兵士たちの「性的奴隷」とされた女性たちの悲劇的な経験について語りました。

 インドネシアの侵略のとき、オディリアさんの姉はすでに結婚しており、出産間近でした。彼女の夫は森に逃げ、彼女はディリにのこりました。インドネシア軍は彼女をある家に連れていき、そこに1年間閉じ込めて、性的奴隷としました。同じ家にほかに3人の女性がいて、みなインドネシア兵の相手をさせられていました。その家は、カカオ・リドゥン通り、現在の機動隊の司令部の前に、今でもたっています。

 1977年、彼女の姉はアグス・コレックという名前のインドネシア空軍将校の「現地妻」にされ、のちに子どもを産みました。このインドネシア人将校は自分の国に妻がおり、6カ月間の任務がおわるとオディリアさんの姉と当時まだおなかの中にいた子どもをおいて、インドネシアに帰っていってしまいました。

 オディリアさんの姉がそのインドネシア人将校の現地妻として住んだ家は、彼女のとなりの家でした。しかし、姉は決して自分の家にもどってくることも、家族が彼女を家に連れ戻そうとすることもありませんでした。こうした状態におかれた女性は逃げればいいではないかと思われるかもしれません。しかし、オディリアさんは、「慰安婦」として選び出された女性たちは一般に教育の水準も低く、脅迫に対して非常に弱いということがあって、難しいということを指摘しました。それに実際のところ、住民の動きを四六時中監視している私服の諜報部員があちこちにいて、逃亡するのが難しいという事情もあると彼女は言います。隣近所のうちだれかが諜報活動の協力者になっているかもしれないのです。オディリアさんは、現在ディリの通りで汁そばの屋台をひいている人たちの中には軍人が大勢いると言っています。「もし姉が逃げようとしたら、つかまっていたでしょう」と彼女は言いました。

 彼女の姉の悲劇はこれだけではありません。彼女が「現地妻」の状況から解放されたとき、彼女の夫が森からもどってきたのですが、彼の家族が姉のことをインドネシア人に身を売ったなどと非常に悪く言ったのです。夫の方は真実をわかってくれましたが、彼ら夫婦は決してその後一緒に暮らすことはありませんでした。

 オディリアさんは、女性が無理やりインドネシア兵の性的奴隷とされているのは、ディリにかぎったことではないと証言しました。彼女は、1994年に身を隠していたアイレウ県のある村で、性的奴隷とされていた女性を何人か目撃しました。彼女たちのところには、ほとんど毎晩、入れ替わり立ち替わり、インドネシア兵がたずねてきていました。インドネシア兵は彼女たちにお金ではなく、軍が支給する缶詰の食糧を与えているということです。彼女たちは、たとえ兵士たちがインドネシアにもどっても、交代する者たちに、これこれの女性がこういう役をつとめていると伝えていくため、決して逃れることができないのです。(7)

 さらに町や村に残されているゲリラの指導者たちの妻は、しばしばインドネシア当局から強いられて、インドネシア人や別の東ティモール人と一緒に住んでいます。もし夫が抵抗運動のなかで重要な地位をしめていればなおさらです。それは森のなかにいる夫との連絡を監視するためであり、ティモール人社会のなかで彼女たちを「不貞な」妻として孤立させる目的でなされています。つまり、これは敵の団結と士気を弱めるためのインドネシアの「軍事戦略」の一環なのです。

 オディリアさんは、あからさまな性的奴隷の事例は、外国人がよく出入りするディリ以外の町や村の方が多いと証言しました。しかしディリですら、彼女によれば、バリデ地区のマスカレーニャスといわれるところには、インドネシア兵専用の売春宿となっている家が何軒かあり、昼夜わかたずインドネシア兵が出入りしているということです。これらの売春宿はインドネシア軍が運営しています。民間人は行くことができません。それらはふつうの売春宿とはちがっていて、客が訪問するたびにお金を払うようにはなっていません。女性たちはそこで暮らし、兵士たちの絶えざる監視下におかれています。女性たちは近所から集められています。兵士たちがどこかの家へ行って、女性や家族をおどして連れてくるのです。

 オディリアさん自身はどうだったのでしょうか。彼女がオーストラリア大使館に亡命をもとめた動機は何だったのでしょうか。昨年の秋、抵抗運動にかかわっていたと疑われた若者たちに対する弾圧がふきあれていたころ、オディリアさんのいとこが逮捕され、2週間にわたって拷問を受けました。そのいとこによれば、軍はオディリアさんがティモール大衆女性組織(OPMT)に関係していることを知っており、オディリアさんを近いうちに捕まえてレイプするつもりだと語ったのだそうです。これが、彼女がジャカルタのオーストラリア大使館に亡命をもとめる決意をした理由です。

行動綱領

 こうした背景にてらしあわせ、北京女性会議で採択された、「武力その他の紛争下、または外国占領下の状況に生きる女性たちを守るため」の行動綱領にある関連する戦略を思いだしてみましょう。(8)(9)

 レイプに関しては、政府、国際機構などは、「レイプなど、女性に対する非人間的かつ品位をおとしめるような処遇の組織的実行については、戦争の意図的な手段と認識し、非難すること、..... こうした虐待の被害者に対し完全な支援が行われることを確保するための措置をとること.....を促」されています。(10)

 さらに行動綱領は、「武力紛争遂行におけるレイプ」のもつ国際法上の深刻な性格を再確認することを呼びかけ、「女性と子どもをこうしたことから守るために必要なあらゆる手段を講じ、責任あるすべての関係者を調査し、処罰し、実行者を裁判にかけるためのメカニズムを(強化する)」ことを呼びかけています。(11)

 綱領はまた東ティモールでよくみられるような、「強制売春、およびその他のわいせつな攻撃または性的奴隷制の形態」といった組織的なレイプの形態についてもとくにふれており、そうした女性に対する「戦争犯罪」をおかした「すべての犯罪者」を訴追し、「犠牲者となった女性に完全な救済・補償」を行うようよびかけています。(12)

提言

 議長、および委員のみなさま

 すべての国連の機関の中で、非植民地化特別委員会は、非植民地化の過程にある地域にすむ女性の状況にもっとも直接的な責任をもつ機関であり、東ティモールをふくむそうした地域において行動綱領の実施を実現するためにうごく責任をもっています。

 当委員会は(1)非自治地域の女性に行動綱領の内容について情報提供し、女性たちがつかう現地の言語でそうする義務、(2)軍、警察、準軍組織による女性に対する暴力を、犯罪者をさばき、暴力から女性を守る具体的措置をとることを究極の目的として、調査する義務があります。以下に述べる5つの具体的な方策が、現実的かつ適切な出発点となるでしょう。

1)東ティモールにおける赤十字国際委員会の活動強化を提案すること。とりわけ女性たちがとくに弱い立場におかれている遠隔地域に事務所を開設し、犠牲者となった女性のためのシェルター(避難所)を提供すること。(13)

2)ディリに国連の人権監視事務所を設置するという、国連人権高等弁務官の提言を支持し、その事務所が女性にたいする暴力のケースを扱うよう提案すること。

 非植民地化特別委員会はまた、国連加盟国に、上記の2つの施設の実現について政治的、財政的支援を求めることもできるでしょう。(14)

3)当委員会はインドネシア政府に対し、1993年の国連人権委員会で採択された決議で求められながら、まだ実現していない訪問、つまり、恣意的拘禁に関する作業部会、強制的・非自発的失踪に関する作業部会による視察、拷問に関する特別報告者による訪問を勧告することもできるでしょう。委員会はまた、これらの作業部会や特別報告者がその調査に女性に対する暴力の項目をふくむよう提案することができるでしょう。

4)当委員会は、今月はじめにディリに開設されたインドネシアの国家人権委員会の支部事務所に関して、インドネシア政府に次のことを提案することができるでしょう。すなわち、国家人権委員会は大統領令によって設立されたため、政府は委員会の活動と予算に対し裁量的権限をもっています。国家人権委員会の任務と運営については法により明確化される必要があり、人権侵害事件にすみやかに対応できる独立性と能力が保証されなければなりません。そうした保証があってはじめて、国家人権委員会は女性に対する暴力のケースをとりあつかうディリ事務所内の部門をもつべきであります。

5)最後に、当委員会は国連事務総長と東ティモール問題に憂慮する国々がすべての関係当事国と平和交渉をおこない、停戦、軍の撤退、地域の非軍事化といった問題を緊急の課題として実現するための具体的なアジェンダをつくりだすよう、うながすべきでありましょう。

ありがとうございました。

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(1)今年3月に開かれた全東ティモール人包括対話で採択されたコンセンサス声明は、東ティモールの人権状況改善、とりわけ女性の保護のための施策をもとめていることも注目すべきことである。

(2)この報告はまた、インドネシア兵の行動を目撃した4人(名前が提示されている)が、その野蛮な行為を隠ぺいする目的で殺されたとも書いている。合同委員会はこれらの人権侵害についての報告をフェイサル・タンジュンインドネシア国軍総司令官に提出し、措置をとるよう求めた。この報告は1994年にインドネシアと東ティモールを訪問した日本の国会議員団にも渡された。

(3)ディアス氏は1994年日本各地の集会や外務省担当者たちとの会見でこれらの人権侵害について証言した。

(4)証言した女性を報復から守るために、彼女たちの名前や村の名前、犯罪者の名前などはふせてあるが、もともとの証言は女性に対する暴力に関する特別報告者、ならびにその他の関連する国連専門家に提出されることになっている。

(5)シメネス・ベロ司教は、ポルトガル議員団の訪問を前に東ティモールで激しい弾圧が行われている状況について書いた1991年9月7日付の報告の中で、非嫡出子(インドネシア兵を父親とする)の問題が東ティモールでは深刻だと述べている。

(6)オディリアはこの1月に(ジャカルタの)オーストラリア大使館に亡命要請し、ポルトガルへ亡命した。彼女の証言は4月の国連人権委員会でも行われ、この7月、日本の国会議員、外務省担当官らに対しても行われた。

(7)性的搾取のために特定の女性を村の中で隔離するというこのやり方は、女性たち自身の中に分裂をもたらすという不幸な結果を招いている。「性的奴隷」とされた女性たちは、「性によって金品をえている女」ということで、他の女性から同情心や支援をえられない。

(8)政府、国際機構、地域機構が求められているまず最初の行動が自決権の再確認であることは注目に値する。

(9)「行動綱領」147項(a)

(10)同上(d)

(11)同上(e)

(12)同上(f)

(13)この点に関して、日本政府の担当者がこうした施設にたいする資金提供に関心を表明したことを述べておくことは適切なことと思われる。(1996年7月、東ティモール問題を考える議員懇談会のスタッフに対してなされた発言)

(14)日本政府はそうしたセンターに対しても資金提供する用意があると述べている。議員の団体である東ティモール問題を考える議員懇談会は、政府に対しインドネシアが上記の施設を受け入れるよう働きかけることを求めた。日本政府は、東ティモールでの和平への努力を支援するために、3月の全東ティモール人包括対話のため10万ドルを拠出している。


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