『ナクロマ』1993年出版
第2章 支配の中の「開発」
「家族計画」の項(71-77頁)
執筆 古沢希代子

ナクロマはすでに絶版です。女性の人権についての重要な論点である家族計画の実態についての貴重な報告なので、参考のため、ここに掲載しています。漢数字は横書きのためアラビア数字にかえてあります。注は原文通りの数字で打ってあります。


「家族計画」

 東ティモールで新しい立派な建物に出会うと、それは十中八九「家族計画推進センター」である。89年に東ティモールを訪問した英国のリー議員は、立ち寄った地方の小さな町で、ほかの施設とはまったくつりあわない新築の大規模なセンターを見て驚いた。

 東ティモールでは、85年4月、世界銀行による1400万円の融資で、ディリに「家族計画センター」が建設された。この頃、すでに442村のうち183村に家族計画センターが設置されており、事業は本格化していた。「家族計画事業」は、インドネシア当局が最も熱心に推進しているプロジェクトのひとつなのである。(39)

 家族計画とは、本来、当事者たちが自発的に出産の時期や子どもの数をコントロールすることによって、母子双方の健康をまもり、福祉を向上させるためにある。家族計画を政策として推進する場合は、強制や事故を防ぐために、二つの原則が遵守されなければならない。一つは、インフォームド・コンセント(避妊方法について十分な情報を与えたうえでの胴衣)を参加者から取りつけること、もう一つは避妊方法選択における自由を保障することである。さらに国連人口基金は、家族計画を普及させるには、乳幼児死亡率低下のために基礎的医療サービスや栄養改善プロジェクトを組み合わせること、そして女性に教育の機会を与え、情報や技術へのアクセスを確保することが必要であると訴えている。

 しかし、東ティモールの「家族計画事業」にそのような実態はない。東ティモールでは、家族計画は医療・栄養改善などとは切り離され、二つの原則も無視されている。そのため、家族計画本来の意味が理解されないばかりか、深刻な人権侵害と相互不信が引き起こされている。インドネシア当局から押しつけられた「家族計画」は、東ティモール人の目には、大挙して続々と到着するインドネシア人移民を将来的には多数派にすることをねらった人口管理政策、つまり一種の民族絶滅策と映っている。

 東ティモールで採用されている避妊の方法は、コンドーム、ピル、ホルモン注射、IUD(子宮内リング)、そしてインプラント(上腕部埋め込みホルモン剤チューブ)などであるが、インドネシアの他の地域に比べて注射の割合が著しく高いのが特徴で、それは当局による強制と無縁ではない。

インドネシアと東ティモールの避妊方法の使用率(1987年)

ピル

IUD

注射

コンドーム

インドネシア

48.5

24.1

19.0

4.4

東ティモール

23.0

12.6

59.7

1.4

資料:インドネシア中央統計局「星と右傾」1988年度版

 インドネシアや東ティモールで主に使用されている注射液は、米国のアップジョン社が開発したデポ・プロヴェラである。これは酢酸メドロキシプロゲステロンを主成分とした合成黄体ホルモン剤で、1回の投与で避妊効果が3か月持続する。だが、この薬は、発癌性や催奇形性、そして不正出血、月経異常、血栓症などの副作用に関して安全性が確認されないという理由で、米国食品医薬品局から製造許可が下りなかったというものである。(40)さらに、母乳の分泌を減少させる副作用も報告されている。(41)にもかかわらず、インドネシア政府はこの薬を認可した。

 東ティモールのカトリック教会を代表するロペス師やベロ司教は、避妊注射の強制や無断投与の問題について告発してきた。

 東ティモールで看護夫をしていたというある男性によると、病院において無断で避妊注射が打たれたり、係官が村々を巡回する際内容を隠して避妊注射を行っているという訴えが多くなったのは86年頃からだという。(42)88年に東ティモールを脱出したある難民の話では、彼女の従姉は東ティモールで看護婦をしていたが、患者に無断で避妊注射を打たされていたそうである。(43)さらに、学校で女子が集団で避妊注射を打たれていたという訴えもある。リスボン在住の難民女性たちによると、87年から88年にかけてはほとんどの学校で、13才以上の女子が、3か月に1回、集団で「ある薬」を注射されていたようである。注射を担当した保健センターのスタッフが、たまたまその注射が避妊のためのものであることを発見したある学校では、その薬の集団投与は中止された。88年暮れ、州知事が問題を告発したため大騒ぎとなったある高校では、その「3か月に1回、女子だけに注射される薬」は「彼女たちが将来子どもを産むとき、その子の破傷風を予防するためのワクチン(新生児破傷風予防ワクチン)」であると説明されていた。(45)しかし、実際に新生児に破傷風の抗体を移転させるためには、妊娠中の女性が4週間間隔で2回投与を受ける必要がある。(46)彼女たちはそのような説明は受けていなかったのである。

 どこの村でどのくらいの住民が「家族計画プログラム」に参加し、どういう方法を使い、その結果出生率はどうなったのか、といったデータは、インドネシアにおいて、最も頻繁に集められ整理される統計である。プログラムにはターゲットがあり、それにそって住民が動員される。関係者にはノルマが課される。中心的に推進される避妊方法は、注射、IUD、インプラントなど、効果が確実で長期にわたるものである。

 東ティモールの女性たちによると、ある方法が強力に勧められる場合、それを拒否するのは不可能に近いという。それはたとえば、都市から離れるほど行政と軍との癒着が激しく、「非協力者」は軍にマークされるおそれがあることなどによる。実際、ある村では、おおやけに産児制限政策を批判した者が行方不明になった。(47)また、三番目の子を出産した後、インプラントを挿入することをせまられいやいや受け入れたが、その後ひどい黄疸で苦しんだという女性の訴えがあったり(48)、公務員の場合は、呼びだされて避妊方法についてたずねられ、妻にIUDの装着を勧めるよう求められるという状況が生まれている。

 東ティモールで看護夫をしていた先ほどの男性は、避妊薬の副作用で苦しむたくさんの女性の手当てを行った際、注射やピルの副作用として貧血、不正出血、ふるえなどの訴えがあったと話している。さらに、精神に異常をきたすという例にも出会った。彼によると、IUDの使用者には一般に教育を受けた女性が多く、避妊方法についての知識ももっていた。しかし、ピルや注射の使用者は、内容についてよく知らないまま受けていた場合が多いので、投与量が規定より多くても気づかないという。実際、東ティモールでは、3か月に1回行われるべき注射が、2か月に一回行われたということもあったのである。

 東ティモール人女性からの苦情のなかで共通するのは、副作用や禁忌に関する説明がほとんど行われないということであるが、それはプログラムの一方的・強制的な傾向と表裏一体である。そのために、来院する女性に無断で避妊注射を行っていたある病院では、規定では投与を禁じている妊娠中の女性にも注射を打ってしまったという事件も発生した。(49)

 これに対し、世界銀行のインドネシア担当者は「書記には一部職員の熱意から、強制の問題が発生したこともあるかもしれないが、現在はインドネシア保健省が適切な指導を監督を行っている」と述べた。(50)インドネシア保健総局は、スタッフ用のマニュアルをつくり、それぞれの方法の使用法、副作用、禁忌などを十分説明するように指導しているという。そして、東ティモールで避妊注射の使用率が高いのは、東ティモール人の多くがカトリック教徒でIUDの使用を好まないこと、交通手段の制約によってピルの常用が難しいことをあげている。(51)

 では実際に状況は改善されたのだろうか。民間のインドネシア家族計画協会は、本来の家族計画プロジェクトを行う条件がいままでに整っていないという理由で、東ティモールでの活動を断念したままである。(52)

 そして実際に、90年以降もディリ以外の地域からは被害の訴えが続いている。90年9月4日に開かれたディリ教区設立50周年記念の全国カトリック会議では、インドネシア当局による注射の強制が依然として続いているという報告が行われた。また、インプラントの装着にかかわる事故も発生している。ある女性の場合は、インプラントの装着箇所からバイ菌が入り炎症を起こしたので医者に行くと、手術のためにはジャワへ行く必要があると言われ、泣き寝入りせざるをえなかった。さらにピルの服用による事故も起きている。栄養失調状態でピルを飲みつづけて死亡した女性が出たのである。(53)91年7月にロスパロスの山村で集団検診を行ったある医師は、ピルの副作用で不正出血を訴える女性たちに会った。

 状況が比較的よいのはアイレウで、そこでは教会が結婚のセオロジーを説くときに、母性の保護とスペーシング(出産と出産の間隔をあけること)の考え方を教え、また、地域の家族計画センターもむやみに避妊具の配布を行うのではなく、同時にスペーシングをいう考え方の普及に力を入れている。(54)

 東ティモールの教会は、実際、一時的にIUDを使わないようにという指示を出したことがあるが、それは家族計画そのものを否定したわけではなく、その頃IUD挿入ミスによる事故が続発したためであった。カトリック教会は、政府のプログラムに参加してピルを飲んだ女性たちから多量出血などの副作用に苦しむ人たちが出たのをみて、みずから別のピルを配ったこともあった。(55)スアイの教会は、既成の家族計画があまりにも被害が多いので、教会主導で新しい家族計画プログラムを始めようとしている。

 たしかに、東ティモールで発生している保健・医療に関する諸問題は、技術的な改善点も多い。しかし本質は構造的な問題にある。それは、軍事占領下の東ティモールにおいて、インドネシア人と東ティモール人の間に対等な関係がないことである。だから医療ミスが発生した場合も、報復をおそれる東ティモール人は訴えを起こすことができない。現状では教会の介入しか状況を改善する方法はない。たしかに、アイレウでは、教会とセンターの関係がよいため、家族計画関連の人権侵害は発生していないかもしれない。しかし、特定の避妊法法が強制されないというようなことは、体制側の温情などによってではなく「人権」としてどの地域においても保障されるべきものなのである。

(39)インドネシアでは、69年に第一次開発五カ年計画が発足すると、そのなかで家族計画プログラムは経済開発を支えるための人口抑制策という位置づけがなされた。70年、BKKBN(国家家族計画調整委員会)が政府の公式機関になり、72年には大統領直属の機関となった。家族計画はインドネシア政府が最も力を入れている政策のひとつであり、その推進には保健省、BKKBN支部、県・郡・村落行政、婦人会そして国軍までもが動員されている。
 1989年、国連人口基金は、スハルト大統領に対し、国連人口賞を授与した。受賞の理由として基金は、スハルト政権が自発的な家族計画による人口成長率の低下と乳幼児死亡率の低下に成功したことをあげている。

(40)日米においては、乳癌、子宮癌、無月経、切迫流産などの治療用としてのみ許可されている。

(41)Nakamura, Primary Health Care in Indonesia, JICA, December 1988.

(42)1992年3月、筆者によるリスボンでの聞き取りによる。

(43)Sydney Morning Herald, October 30, 1988.

(44)1992年3月、筆者によるリスボンでの聞き取りによる。

(45)Tapol Bulletin No. 92, April, 1989.

(46)大谷明編『ワクチン学 --- その理論と実際』講談社サネンティフィック。Child Survival and Development in Indonesia 1987-1989, Masterplan of Operation Coverign a Country Program of Cooperation between the Government of Indonesia and UNICEF.

(47)カトリック系市民グループ、Peace is Possible in East Timorからの情報。

(48)1988年11月、東ティモール人難民、ジョアン・ドス・レイス氏来日の際の聞き取りから。

(49)1987年11月、東ティモール人難民、ジョゼ・アドリアノ・グスマォン氏来日の際の聞き取りから。

(50)筆者の問い合わせに対する、世界銀行第5アジア地域人口および人的資源課、クリフォード・ギルピン課長からの回答(89年4月27日付)。

(51)1989年7月、インドネシア保健省レイミナ地域保健総局長からの書面による回答。

(52)1992年3月、第7回インドネシア国際NGOフォーラムにて。

(53)90年から91年にかけて東ティモールに滞在したカトリック・シスターからの聞き取りによる。

(54)同上。

(55)88年に東ティモールに滞在したカトリック関係者からの聞き取りによる。


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