東ティモールからの証言
住民投票後の騒乱と難民キャンプでのレイプ

フランシスカ・ソアレスさんのケース

 フランシスカ・ソアレスさんは2000年12月、東京で行われた日本軍の第二次大戦中の性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」と平行して開催された現代の紛争下における女性に対する暴力の国際公聴会で証言台にたった東ティモール人女性です。
 1999年9月の住民投票後のインドネシア軍と民兵組織による殺戮・破壊・暴力の嵐の中で、インドネシア軍兵士や民兵によって暴行されました。こうした女性は他にもたくさんいたと思われますが、日本で公に証言をしたのは彼女が初めてです。


 私の名前はフランシスカ・ソアレス(Francisca Soares)です。生まれは東ティモールのエルメラ(Ermera)で、今はディリ(Dili)郊外のタシトル(Tasitolu)に住んでいます。

郡庁に連行される

 1999年9月13日、私は2人の子ども(8人いるうちの)と、インドネシア軍兵士と「ダラ・メラ(Darah Merah: 赤い血)」という民兵組織のメンバーによって、エルメラの郡庁に連行されました。そのインドネシア軍兵士たちは、エルメラの軍司令部に所属するヒラリオ二等軍曹(Hilario)の部下たちでした。私の息子、フランキー(Frankie)は抵抗し、そのため足を銃で撃たれました。彼らは「これはCNRT(東ティモール民族抵抗評議会という独立派組織)をくじくためだ」と言ってあざ笑いました。また彼らは、私の夫もすでに撃たれたと言いました。私は息子を病院に連れていこうと思いましたが、彼らはそれを許しませんでした。
 私の夫は、私が捕まる前日の9月12日に、私と子どものところを訪ねてきていました。民兵とインドネシア国軍の脅迫のため、夫は3人の子どもと一緒に山に逃げ、東ティモール民族解放軍(Falintil: ファリンティル)の第4地区の部隊のもとに避難していたのです。夫はエルメラのCNRTのメンバーで情宣担当でした。エルメラの民兵組織「ダラ・メラ」はインドネシア軍がつくり資金を提供していたもので、インドネシア内の自治案に賛成するよう人々を脅迫していたのです。夫はCNRTに入って独立のために闘っていました。

兵士によるレイプ

 9月13日夜9時半、私はヒラリオによってレイプされました。ヒラリオは45才になる東ティモール人で、エルメラのインドネシア軍司令部所属の二等軍曹です。その夜、ヒラリオは私に近づき、私の夫について聞き始めました。私は怖くて夫がCNRTのメンバーであるということを否定しましたが、彼は夫の活動をすべて知っていると言いました。ヒラリオは私に一緒についてくるように言いましたが、私は断りました。すると彼は古い一枚のござをもってきて地面におきました。私はてっきり床の上に寝ている子どもたちのためにもってきてくれたのかと思い、それを敷きました。私自身は怖くてござの上には寝ませんでした。彼は私に疲れたなら寝るようにと言いました。私は寝ようとは思いませんでしたが、彼はわきに手榴弾とナイフをおき、私に彼のわきで寝るよう命令したのです。私たちの近くには他の女性たちもいたので、私は困惑し、怖くなりました。彼が強く言い続けたので、私も最後には彼のわきに行って横になり、抵抗しませんでした。生き延びたかったからです。

「難民」にさせられて

 翌日、私と2人の子どもはグレノ(Gleno: エルメラ県の町)に連れていかれ、そこで一夜をあかしました。そしてその翌日、私たちはみな軍の「ヒノ・トラック」に乗るよう命令され、アタンブア(Atambua: インドネシア領西ティモールの国境近くの町)に連れて行かれました。
 アタンブアでは、私と私の子どもたちはテノ・ボート(Teno Bot)というところに入れられました。民兵がテントを張り、私は子どもたちと一緒にそこに住むよう言われました。民兵とその家族たちが私たちの周りに住んでいて、私たちはそのテントに11月8日まで住むことになりました。
 昼間は、私と子どもたちはとても暑いので木の陰に行って過ごしました。民兵たちがいつもそばにいて、私たちが遠くへ行くのを許しませんでした。私は子どもたちのそばにいて一緒に遊びました。
 私は誰とも連絡をとることを許されませんでした。私と連絡をとろうとしていた私の家族も怖くてなかなか連絡をとってこれませんでした。私の娘のベリニャ(Belinha)のボーイフレンドの義理の父は民兵でした。そのボーイフレンドが野菜をくれたときは、それで料理をつくりました。お米はエルメラからもってきたものが多少ありました。

兵士たちに次々とレイプ

 アタンブアにいたとき、私は輪姦されました。実行者はSGI(合同諜報本部)という秘密治安組織のメンバーで「マタン・ブブ(Matan Bubu: 腫れ目)」というあだ名のマヌエル(Manuel)(38)、同じくSGIのメンバーでジュリアォン(Juliao)(38)、警察で働いていたミグエル・セイシャス(Miguel Seixas)(38)、警察の一等軍曹ヴァレンテ(Valente)(40)、そしてヒラリオです。

国連の帰還プログラムで

 私の夫は赤十字を通じて私をさがしていました。東ティモールの家族から手紙が来ている者はその名前が掲示されました。私はその名簿を見ようと思いましたが、民兵が十分に見る時間を与えてくれませんでした。
 私の家族が、私が帰還希望を出したかどうか聞いてきました。私は出していないと答え、さらに甥や夫には、私の名前を出さないように伝えて欲しいと言いました。
 あるとき、(難民帰還用の)トラックが突然、事前の連絡もなくやってきて、私と私の子どもたちはそれに乗るように言われ、東ティモールに連れて行かれました。
 (その日)トラックは町の中心にある地方警察署まで人々(難民)をピックアップに行ったのですが、そこで私の夫と甥が待っていたのです。そこで彼らが私と私の子どもたちの名前も帰還者希望名簿に載っていると、(帰還プログラムを実施している)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に言ったのでした。
 私は11月9日に夫と再会できました。ベリニャ、エドガル(Edgar)、フランキーとは1月6日に再開できました。それは私が「暴力に反対する東ティモール人女性の会」(ETWAVE)に連絡をとり、彼女たちがUNHCRと一緒になって子どもたちをクパン(Kupang: 西ティモールの中心的な都市)まで追いかけてくれた結果です。

その後

 私はETWAVEによって医師のところに連れていかれ、子宮の痛み、膣のうずきと傷の治療を一ヶ月間受けました。
 私は今、夫と子どもと一緒に暮らしています。私の夫は、私がレイプされたのは彼がCNRTのメンバーだったことが理由だと知っているので、私を支援してくれています。私はレイプの犯人を裁判にかけてほしいと思います。そして正義を回復してほしいと思います。


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