<性奴隷制>

東ティモールにおける日本軍性奴隷制(第5回)

日本軍性奴隷制を裁く〈女性国際戦犯法廷〉ハーグ判決(その1)

古沢希代子

 


「女性法廷」の最終判決は天皇と日本軍高官の責任を認め有罪とした。また、被害者をその前歴や被害の様態で差別せず、性奴隷制という概念を植民地や占領地の女性たちの人権を無視してその性を組織的に搾取する暴力のシステムとしてとらえ直した。判決では初めて東ティモールでの被害も認定された。

東京からハーグへ

 2000年12月、「日本軍性奴隷制を裁く〈女性国際戦犯法廷〉」が東京で開催され、日本軍による性奴隷制と集団強姦の被害者がアジア8カ国から64名出席した。この「女性法廷(以下このように略す)」は、ベトナム戦争における米軍の人道に対する罪を追及した「ラッセル法廷」以後最大級の民衆法廷となった。
 もちろん「女性法廷」は一種の模擬法廷でありその判決に法的拘束力はない。しかし可能なかぎり忠実に実際の裁判の手続きをふんだ。旧ユーゴ戦犯法廷のマクドナルド前所長をはじめ国際人道法・人権法の権威である「裁判官」たちが、被害者の証言、各国の法律家からなる国別「検事団」の「起訴状」や「証拠書類」、そして日本政府や被告の主張を代弁する「アミカス・キュリエ」の説明をもとに、審理を行ない、2001年 12月にオランダのハーグで最終判決を下した。

最終判決(於ハーグ)

 「判決」は、天皇と9名の日本軍指揮官を、第二次世界大戦前と大戦中の日本軍による性奴隷制に関して〈人道に対する罪〉で有罪とし、日本政府の賠償責任を認定した。さらに判決は、被害者たちに正義をもたらすために、日本政府、旧連合国、国連などへの勧告をつけた。なぜここに旧連合国が入っているかというと、かつての東京裁判が性奴隷制を独立した訴因として取り上げなかったことに責任を感じてほしいからだ。勧告はまた、歴史認識をめぐる昨今の政治化した対立を克服するために、多国間「真実和解委員会」の設置も提案している。 

〈証言〉の意味

 「東京法廷」で証言した東ティモール人はマルタ・アブ・ベレさんとエスメラルダ・ボエさんだ。彼女たちのほとばしる怒りと正義を求める決意は「傍聴者」(聴衆)を感動させた。ふたりはハーグ判決にも出席した。彼女たちは、自分たちが被った不当な暴力に対し〈怒り〉という重大な認識とその認識を表現する明確な〈言葉〉を獲得した先駆者である。
 フェミニストの精神科医で『心的外傷と回復』の著者であるジュディス・ハーマンは〈証言〉という行為の私的な意義と公的な意義について次のように述べている。
 〈証言〉の私的な意義とは〈自己の回復〉だ。
 被害者は言葉にすることによって自分の経験を「ナラティブ(narrative)」 (物語、筋)として「フォーミュレート(formulate)」 (系統立てて提示)する。その過程で奪還されるのはいわれなき暴力によって剥奪された「認識」の力であろう。
 一方、〈証言〉の公的な意義は〈社会的アイデンティティの回復〉だ。
 「証言」には加害者と被害者の間の権力関係をかえるという政治的意味がある。つまり、被害者を沈黙させておくことで成立していた加害者の優位が被害者の発話と告発によって揺るがされ、両者の間の力関係が転換していく。さらに、「証言」には犯罪が認定され加害者が処罰される道をひらく審判的意味をも持つのである。この過程で奪還されるのは、希薄になった他者への信頼、そして社会とのつながりであろう。
 何度も何度も語ることによって自分の体験をピッタリと説明する〈言葉〉を獲得すれば、それはその人が生きていく「杖」にもなる。
 東ティモールの抵抗運動を率いてきたシャナナ・グスマォンは、大統領選挙のキャンペーン中に「おばあさんたちが証言をするのを見るのは悲しい」と発言した。「そうか話せるようになったんだね。よかったね。偉かったね」とは言わなかった。むしろ暗に「しゃべらないでほしい」と言っているようにもきこえる。シャナナは性暴力を受けた女性にとって「証言」が何を意味するのかまったく理解してないようだ。2000年暮、「女性法廷」の現地チームは、日本から帰国すると、シャナナの妻、カーツイ・グスマォンに面会して、シャナナに「おばあさんたち」に会ってねぎらってほしいと伝言した。しかしいまだにこの面会は実現していない。

被害者たちからハーグへ

 ハーグでは最終判決の前に、国別の被害実態に関するVTRプレゼンテーションと検事団による起訴状の説明が行なわれた。東ティモールの調査チームは2001年9月にディリで会合を持ち、ハーグで何を伝えるべきか検討した。その結果、「法廷」に対して証言を提供してくれた多くの被害者・目撃者のなかから、おもにボボナロ県の被害者たちの生の声をビデオで紹介することになった。すでに東京で証言を行なっているアボ・マルタとアボ・エスメラルダには犯行の現場でより詳細な説明をしてもらった。
 以下はハーグで上映したVTRプログラム「Avo Speak Out:アボ(おばあさん)たちは訴える」の内容である。これはアボ・マルタとマロボの温泉までたどりついた連載第3回の続きでもある。


Avo Speak Out
by Studio REMEMBER
December 2001



映像:東ティモールの地図

音声(ナレーション)東ティモールのボボナロ県から日本軍性奴隷制の5人のサバイバーが東京で開催された「女性法廷」のために証言を行なった。これからその中の 4人がそれぞれの体験について語る。

〈マルタ〉
映像:マロボ温泉
ナレーション:マロボにある有名な温泉の近くに日本軍の慰安所がある。
問:日本軍の兵士たちはここで入浴したのですか。マルタ:そう、彼らはここで入浴した。
問:毎日ですか。
マルタ:昼も夜も彼らはこの温泉に入りにきたよ。
ナレーション:この温泉を少しのぼったところに石造りの建物がある。慰安所として使われた建物だ。
マルタ:集められた女たちはボボナロ、マイライ、ハウバ、オブロ、マロボ、ライフン、ヌヌルタナン、マガヌチュ出身だった。みんな慰安婦にされた。女たちはたくさんいた。
問:あなたは昼も夜もここにいたのですか。
マルタ:私たちがここにいたのは夜。日中は日本人と働きに出た。道路や建物をつくるためだ。
問:夜はどうしていたのですか。
マルタ:夜はここで寝た。
問:誰と寝たのですか。
マルタ:外国人だ。
問:それは誰だったのかもっとはっきり言って下さい。
マルタ:外国人が誰かだって。日本人だよ。彼らはオアト村から私たちをここへ連れてきた。それでここで寝ることになった。
マルタ:中に入ってみよう。私がいたところ(私の部屋)に案内するから。
問:この中にまだ部屋があるのですか。どこかあなたの部屋ですか。
マルタ:(正面入口から一番奥の小さな部屋にたどりつく)ここだよ。
問:この部屋には何人の女性たちがいたのですか。マルタ:数人だよ。
問:いっしょに他の女性たちもいたのですか。
マルタ:同室だったのは、ソセロエ、ブイライ、ラウリンダ、そしてソセマウだった。彼女たちは私より年上だった。みんな病気で死んだ。彼女たちは慰安婦にされて、そして家に戻った後一ヶ月もしないうちに亡くなった。
問:あなたはどこで寝ていたのですか。
マルタ:(入り口左手の場所をさして)ここだよ。
問:日本軍は報酬を払いましたか、お金はどうですか。
マルタ:払わなかった。
問:米やとうもろこしで支払ったりはしなかったのですか。
マルタ:そういうものももらわなかった。食べ物は家から運んだんだよ。日本軍は何もくれなかったんだ。
問:日本軍は食べ物も支給しなかったのですか。
マルタ:本当にくれなかった。服もお金もくれなかった。私たちはただ働きさせられたんだ。私たちはボボナロで家を建てたけど、お金はもらえなかった。
問:慰安婦としての報酬はなかったのですか。
マルタ:何もなかった。
問:食べ物さえも支給されなかったんですか。
マルタ:なかった。
問:だったらどのように食べ物を手に入れたのですか。
マルタ:母が家から運んだんだよ。
問:お母さんは怒りませんでしたか。
マルタ:怒るだって。どうやって母が怒れるんだ。女たちはみんな同じ境遇だった。日本人はある者に何かをあげることもあるが、他の者には何もやらない。そいういう時に憎みあえっていうのか。日本軍は平等に物を与えたりしないんだ。自分たちで食糧を調達した。それで食べることができたんだ。もしあなたがそうしなかったら、あなたの娘は何も食べる物がないんだよ。
問(ふたたび外で):ここで日本軍とティモール人(男性)はいっしょにいたのですか。それとも日本人だけでしたか。
マルタ:日本人だけだった。
問:ティモール人(男性)はいなかったのですか。
マルタ:いなかった。ティモール人(男性)はボボナロにいたがここへはこなかった。

〈エスメラルダ〉
ナレーション:(東京での交流会の場面)エスメラルダさんは彼女が習った日本の歌を今でも憶えている。彼女は日本の兵士を喜ばすためにこの歌を歌わなければならなかった。
エスメラルダ:その頃はここにうちの畑があった。私がここでキャッサバを掘って皮をむいていると、シマムラ(シモムラ)という名の日本人が3名の部下を連れてやってきた。私はナイフを持っていた。彼は「おじょうちゃん、ナイフを貸してくれ」といった。それから彼はキャッサバを掘って皮をむきだした。彼は「あんたの名前は」と尋ねた。私は「ボエ・マリ」と答えた。次に「あんたの父親の名は」ときかれた。「父の名はセラン・ラエ」だと答えた。次に母の名前をきかれ、「イリ・タエだ」と答えた。次に兄の名前をきかれ、「マウ・ペル」と答えた。彼はすべての名前をメモに取った。そして今度は「あんたの村長はレト・ゲンかフラシルか」とたずねた。私は「レト・ゲンではなくタレアスだ」と答えた。次に王の名前をきかれた。「それはマウ・タレだ」と答えた。そんな風に私は答えさせられた。
   その夜彼らは私の家にやってきた。4人のティモール人とひとりの外国人とマウ・タレ王だった。
エスメラルダ:(別の場所で)その日本人の家はここにあった。私の家はむこうのバブル・オコスのマビルキルにあった。
問:この家は誰の家だったのですか。
エスメラルダ:その日本人のだよ。名前はシマムラといった。彼の部下もみんなその川の近くに住んでいた。
エスメラルダ:日中は自分の家にいて夜はここにいたんだ。
エスメラルダ:(別の場所をさして)ここにはカワノの家があった。彼の部下もみんなあっちにいたよ。シモムラが最初にやって来て、次にハラク。ハラクが去るとカワノがやって来た。
問:慰安所の女性たちはどこにいたのですか。
エスメラルダ:(指さしながら)彼女たちはあそこにいた。あそこに小さな川があるだろう。その向こう側に彼女たちは連れていかれた。
問:そういった女性たちを収容する家はいくつありましたか。
エスメラルダ:ふたつの家がまるごと使われた。女性たちはサブライ、ホルサ、タポの出身だった。サブライ出身の女性は多かった。彼らはみんな亡くなった。私のふたりの姉妹(親戚の)、ひとりは私より年上でひとりは私より年下だが、彼女たちもそこへ連れていかれた。(付記:彼女たちは後に野外で殺されているのを村人に発見された。性器には何かで切り裂かれたような傷があった。)

〈マダレーナ〉
マダレーナ:私はまだ子どもだった。メンスもまだなかった。そんな私を日本軍の兵士がレイプしたのだ。・・朝起きると私は血に染まっていた。・・日中は外に働きに出た。夜になると兵士がやってきて私たちを奪った。

〈イネス〉
イネス:私の名前はイネス・デ・ジエススです。ずうっと昔、彼らは私を働かせるためにやって来た。日中私たちは(外で)働いた。夜は部屋に閉じこめられて外に出ることはできなかった。・・・そこで彼らは私たちをレイプした。レイプしたんだ。動物のように。
問:日本軍はあなたたちに何か与えましたか。
イネス:いいえ。
問:お金は。
イネス:全然。
問:食べ物は。
イネス:いいえ。
問:ではどうやってなべ物を手に入れたのですか。
イネス:食べ物は自分たちで調達した。彼らは食べ物をくれなかった。
問:着るものは。
イネス:服なんてなかったよ。
問:本当に何も与えなかったんですね。
イネス:何も。
イネス:私は病気になった、病気は重かった。(前かがみでお腹をおさえながら)こんなふうになった。私はちゃんと立つこともできなかった。

〈エルメネジルド〉
ナレーション:彼は(当時)バウカウの伝統的な王(リウライ)だった。彼や他のティモール人の男性たちは日本軍に協力することを強制された。
エルメネジルド:ここは私の家があった場所だ。私たちが山に逃げている間に日本軍が私の家を慰安所にかえてしまった。彼らはバウカウ、オッス、ジャワから女性たちを連れてきた。中国人の女性もいた。ひとりの中国人男性が慰安所の管理をしていた。家は多くの部屋に仕切られた。・・・(日本の軍人で記憶にあるのは)バンバ、ミハラ、イマグマの名前だ。
問:司令官は誰だったのですか。
エルメネジルド:イマグマだ。・・指揮官たちはオフィスに寝泊まりしていた。彼らは女性がほしい時ここに来る必要はなく、女性たちがあちら、つまり司令官たちの建物に出向いた。下士官たちは女性を得るためにここへ来た。・・(どのように女性を集めたかについて)日本軍が王たちにそうするよう強制した。
ナレーション:エルメネジルドは数枚の日本軍将校の写真からイマグマを特定した。その人物の実際の名前はヤマグマで、彼はバウカウの警備隊長だった。

 「性奴隷制」というと鉄格子のはまった監獄をイメージする人がいるかもしれない。しかし、日本軍に占領された東ティモールは島全体が監獄のようなものだった。まわりを日本軍の兵隊とその「協力者」に囲まれ、物理的に逃げ切れる可能性は小さいし、万が一逃亡に成功しても、親兄弟が報復されるかもしれない。だから、アボ・エスメラルダのように自分の家から軍人の家にかようといった性奴隷の形態もでてくる。これはインドネシア軍の占領支配で発生した女性への性暴力の構造とかさなるものがある。さらにふたりが東京法廷で強調したことは、女性たちは昼は屋外で肉体労働、夜は兵士や軍人の性の相手をさせられることで、肉体を酷使されられたことだ。アボ・マルタは言う。「動物のように扱われた。でも動物だって夜はやすむだろう。私たちはそれすら許されなかった」「日本軍の兵士も母親から生まれたのだろうに、なぜ同じ女性にこんな扱いができるのだろうか」。日本軍はオーストラリア軍を駆逐した後すぐに制海制空権を失い、物資の補給が途絶えたので、約12,000人の日本兵は現地住民の労働力を使って自給自足をすることになった。そこでは、慰安婦たちは報酬どころか、食料さえ支給されないという事態が発生した。
 判決の事実認定はこういった占領地の特殊事情を十全に理解するものだった。★

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