季刊・東ティモール 1号(October 2000)

ンドネシア軍における忠誠と誠実
Loyalty and Integrity in the Indonesian Armed Forces

米国外国地域将校協会雑誌、2000年春号
U.S. Foreign Area Officers Association Journal, Spring 2000

ロバート・クレベリン(少佐)
Major Robert Creveling



 インドネシア軍兵士はなぜ東ティモール、アチェ、パプア、マルクなどで理不尽な行為に関与し、学生を誘拐し殺害したりするのか。インドネシア国軍兵士を動機づけている上官への絶対的服従の教義「戦士の誓い」「7つの誓い」について、インドネシアの幕僚校に学んだアメリカ人将校が報告する。

はじめに

 多くの西洋人オブザーバーにとって、インドネシア軍の一見不合理でプロフェッショナルでない行動を理解するのは容易なことではない。彼らは学生活動家を誘拐し、アチェやティモールで人権侵害をおかしたと自ら認め、バニュワンギ(東ジャワ)での「ニンジャ」殺人からアンボンでの人種的暴動にいたるまで、インドネシア全土において「挑発行為」に関係しているとうわさされる。こうしたインドネシア軍の行動を西洋の読者たちが解釈し、予測する一助とするために、インドネシア軍の文化について述べようと思う。インドネシア人将校の思考様式を理解する鍵は、誠実さや忠誠心についての彼らの考え方を理解することにある。この2つの概念についての彼らの態度をよく示している例をふたつ、ひとつは仮説的なもの、もうひとつは実際のものだが、あげるところから始めたい。

インテグリティ

 まず、あなたが合衆国将校高等課程で小グループを指導する教官だとしよう。あなたのクラスの生徒のひとりがインドネシア人で(ありえないことではない。アグス・ウィラハディクスマは同課程の修了者だ)、倫理学について指導で、生徒に「インテグリティ(誠実)」についてできるだけ簡潔な定義を書くよう求める。
 解答をめくって見ながら、あなたは幹部候補生の基礎課程であなた自身が習ったのと同じ定義がそこにあるのを見て、驚くことはないだろう。「簡単で間違ったことではなく、難しく正しいことをすること」「法律と上官の法的命令にしたがうこと」「常に真実を語ること」など。しかし、突然、あなたはインドネシア人生徒が書いた定義に目がとまる。解答には「統一、治安、安定」と書かれている。
 あなたはこの謎めいた解答について生徒に問いただす。すると彼はインドネシア軍が直面している最大の課題は、人の住む7000個の島と数百の地方語を話す多数のエスニック集団からなる広大な群島の統一と一体性(インテグリティ)を維持することだと答えるのだ。さらに「インドネシア共和国の統一」はパンチャシラという国家哲学の5原則のひとつであり、「治安と安定」は教義上、国家の開発の前提をなすものだ。開発は、また国の解体に対する「抵抗力」となる。こうして、「インテグリティ」について合衆国将校たちは「正直さ(オネスティ)」の周辺をめぐる解答を与えるのに対し、インドネシア人将校は、インドネシアの将校は西洋人にはなかなか理解しにくい反応を示すことになる。それというのも、インドネシアの国軍はインテグリティのもうひとつの意味(統一)を強調しているからだ。

忠誠 

 私はインドネシア陸軍幕僚校(Seskoad)を1999年5月に卒業したが、その3日前、私のいたクラスの175人の生徒は家族や教師たちとのフォーマルなパーティーを楽しんだ。私が驚いたのは、このパーティーに特殊部隊のバンバン・クリスティオノ少佐がいたことだ。彼は1997-98年の学生活動家誘拐・拷問・失踪事件についての軍事裁判の被告になっており、すでにその課程からはずされていたからである。彼は作戦の黒幕だったことを認めていたが、控訴中であったためパーティーへの参加を許された。
 バンバンが私のクラスメートたちから暖かい歓迎を受けていたことに私はとまどった。もしアメリカ人将校が同様の罪で有罪判決を受けたとしたら、同僚の将校たちから仲間はずれされることは明らかだったからだ。何人かのインドネシア人将校にこのことをたずねた私は、彼らがみなバンバン少佐をスケープゴートとしかみなしていないことがわかった。彼は単に上官の命令に従ったにすぎない。そして、活動家が国家的統一を脅かしていると心から信じて一人で作戦を計画したのだと主張することで、上官たちを救ったのだ。こうして、インドネシア人将校たちの目には、バンバンのやったことは上官の命令に従い、上官への忠誠を示していたわけで、受け入れ可能なものなのだ。命令が合法だったかどうかは、不安定を引き起こした活動家たちを取り締まるというその目的からすれば、さほど重要ではない。不安定は、当然の理として、インドネシア共和国の統一を脅かすものだからだ。

歴史的な基礎

 インドネシア人将校の統一と忠誠の解釈についての発展過程を理解するには、インドネシアが1945年に独立して以来のいくつかの歴史的出来事を検討してみる必要がある。インドネシア国軍は日本の天皇が1945年8月14日(原文のまま)、日本の敗戦を宣言したとき、人民によって自発的につくられた軍隊だとの認識がある。この独立をめざす戦士たちが、スカルノ大統領とハッタ副大統領に迫って、1945年8月17日、インドネシアの独立を宣言させた。一方、インドネシアを第二次大戦前に植民地としていたオランダは、再びインドネシアを支配しようと試みた。独立闘争は4年続き、国連安全保障理事会が停戦とインドネシア人捕虜兵士の釈放、当時インドネシア共和国の首都とされたジョクジャカルタの返還をオランダに勧告したことで、終結した。
 この独立闘争期のスディルマン将軍のずばぬけたリーダーシップこそ、まちがいなくインドネシア国軍の自己認識に唯一にして最大の影響を与えたものだ。1948年12月19日オランダが(インドネシア共和国の首都)ジョクジャカルタに攻め入ったとき、スカルノ大統領をはじめハッタ副大統領と何人かの閣僚はオランダにつかまってしまった。オランダの攻撃に先立って、スカルノ大統領とスディルマン将軍はジョクジャカルタを離れてゲリラ戦に転じることを合意していたにもかかわらず、スカルノ大統領たちが町を出ようとしなかったからだ。スディルマンは、そのとき病気で危機的な健康状態にあったにもかかわらず、スカルノ大統領の投降せよとの命令に背き、森に退却して、オランダ軍に対する大々的なゲリラ戦を指揮した。また彼は今日の国軍の領域管理機構の基となった軍による統治システムをつくりあげた。
 したがって、国軍の見解としては、インドネシアがオランダの植民地主義から解放されたのはスディルマンの背信行為であったということになる。背信行為について、国軍は自らを「政府の道具」ではなく「国家の道具」だと弁明する。つまり、軍は、文民指導部の命令が国家的統一、ないしは国家主権をあやうくする場合、彼らを無視することをむしろ義務と考えるのだ。ビルフェール・シンギは国軍に関する著作において、インドネシア軍エリートは彼らこそが国の守護者であり、憲法と国家哲学であるパンチャシラ(建国の5原則)の守護者であると確信していると指摘しているが、その通りなのだ。ナスティオン将軍は「文民政府が無能に陥ったとき国軍が共和国を救った経験が3度ある」と論じている。それは1948-49年のオランダによる攻撃のとき、1957-58年各地で反乱が起きたとき、そして1965年の共産党によるクーデターのときである。したがって、組織としての国軍はまずもって国家とその統一に忠誠を誓うものであって、文民のリーダーたちに対してではないのだ。

教化

 国軍の思考様式に対するスディルマンの影響について、1999年5月10日、バンドゥンにある陸軍幕僚校に学ぶ将校たちの前で、スバギオ陸軍参謀総長はこう演説した。
 「現在のような不確実な時代にあって、軍指導部を活性化させるべくいる諸君は、スディルマン将軍が課した任務を肝に銘じてほしい。それは『あらゆる問題に直面し、あらゆる変化の最中にあって、唯一変わらない共和国の国家的機構は、国軍である』ということだ。」
 スバギオはさらに言葉を足し、「変わらない」という言葉の意味は、まず、インドネシア国軍は人民の軍隊であること、独立をめざす戦士の軍隊であること、そして人民の中から生まれ、人民の中にあって、人民のために闘うということだと説明した。「変わらない」という言葉の第二の意味は、闘うということ、すなわち1945年8月17日に独立を宣言し、1945年憲法とパンチャシラに基礎を置くインドネシア共和国統一国家を守るという、精神と決意とをもった軍隊だということだと述べた。陸軍幕僚校における指導も、国軍は文民政府ではなく国家の道具であることが繰り返される。この学校には「闘争部」(Department of Struggle)があり、生徒に義務意識と民族主義を教え込む役割を担っている。
 スディルマンの国軍の不変の役割についての見解のほかに、西洋人がインドネシア国軍を理解しようと思ったら知っておくべき2つの倫理規定が存在する。ひとつは「戦士の誓い」(Sumpah Prajurit: Soldier's Oath)というもので、すべての兵士は次の規則に従わなければならないとされる。

 政府と法とパンチャシラ国家哲学に忠実たること。
 1.軍規に忠実たること。
 2.インドネシア共和国国軍に対して完全に責任を負い任務を遂行すること。
 軍規律を重んじること、すなわち上官の命令と決定には、内容の是非を問うことなく忠実に従い、上官に忠誠をつくし献身すること。

 もうひとつの規則となるものは「7つの誓い」(Sapta Marga: Seven Pledges)というもので、これは次のようなものである。

 1.われわれはパンチャシラに基礎をおく単一インドネシア共和国の市民である。
 2.われわれは愛国者であり、国家哲学の保持者、守護者であり、責任を有し、降伏を知らない。
 3.われわれは唯一神を信仰し、正直、真実、正義を擁護するインドネシアの騎士である。
 4.われわれはインドネシア国軍の兵士であり、インドネシアの国家と国民の守護者である。
 5.われわれインドネシア共和国軍兵士は規律を重んじ、われわれの指導部に忠実に従い、兵士の行動規範と誓いを高く掲げるものである。
 6.われわれインドネシア共和国軍兵士は、勇気をもって任務を遂行し、国家と国民のために常に身を捧げる覚悟である。
 7.われわれインドネシア共和国軍兵士は、言ったことを実行し、「戦士の誓い」を実践する。

 この2つの教義が今もって関連性があることは、8月17日のみならず、毎月の17日に、幕僚校で生徒として私が参加した独立記念パレードにおいて示されている。生徒たちは憲法前文、パンチャシラ、戦士の誓い、7つの誓いをこうした式典においては暗唱することになっている。さらに、1998年12月、ウィラント将軍が私のクラスで行った演説では、国軍の不変の役割についてスディルマン将軍が言ったこと、戦士の誓い、7つの誓いはインドネシアの危機を乗り切るのに彼らの導き手となるものだとして全員が内面化し実践すべしとされたのだった。

帰結すること

 国軍がこうした教化を行っていることの重要な帰結は、それが将校たちに違法な命令への無批判な追従を求め、なおかつ彼らの行動は国家の統一を守り安定と国家の発展に寄与するものだとの合理化が行われることだ。しかし実際には、戦士の誓いにしたがってすべての命令を実行することで、「国家の道具」どころか、将校はそれぞれの司令官(上官)の道具になってしまう。なぜ、こうなるのか。それは1982年5月の「自発的軍務に関する法案」が、戦士の誓いや7つの誓いにしたがわない兵士、つまりは上官の命令にしたがわない兵士は、その命令が合法・違法を問わず、軍法会議にかけられると規定しているからだ。改革派将校たちが、軍がその基本的役割から逸脱し、スハルトの権力維持の道具になりさがったと批判していたのは、この点をさしてのことだった。
 またこれによって、兵士がなぜ学生活動家を誘拐し、拷問し、殺害するような命令も聞いてしまうのか理解できるだろう。活動家は社会不安をあおり、不安定をつくりだし、国家の統一と発展とをあやうくするからだ。さらにこれで、文民政府の意向に反して、インドネシア軍が東ティモールの統合派に武器を与え、訓練し、支援していたことも説明されよう。ティモールで自治についての投票が行われれば、アチェやイリアン・ジャヤなどの地域の分離主義運動を加速し、国家的統一をあやうくする。スディルマン将軍だったら、そうした文民指導者の危険な命令には従わなかっただろうというのだ。
 インドネシア軍が国家存続のためとしてとる行動がこうした軍の教化の結果であり、インドネシア独自の分離主義の歴史にあるものだということは理解されたと思うが、一方で、それではなぜ不安定をあおり国家の解体を招きかねない「挑発行為」に軍が関与しているのであろうか。これには2つの説明がある。
 ひとつは、辺境の地で社会不安を扇動した上で「救済」に駆けつけ、国軍が国家の統一を保持する崇高な役割を身をもって示せる機会をつくるためだという説明だ。例えば、現役・退役の両方にまたがって、多くの将校が、国会における国軍の役割は国家の統一を守る上で決定的に重要だと考えている。この数年、国会における国軍用の割り当て議席は前回の選挙で100議席から75議席に減り、1999年の選挙では35議席に減った。また国軍は、いわゆる職能ポスト、例えば州知事、市長、県長、その他政府・国営企業の要職といったポストを減らしている。したがって、国軍将校は、今も昔も、国家の統一のために、いわば誠実さゆえに、国軍とその二重機能の重要性を示せることを期待して、不安を作り出しているのだ。当然ながら、国軍の「挑発者」たちは関わっていることを秘密にする。もし暴露されれば、人々は国軍の維持どころか、力の削減を求めてくるだろうから。
 もうひとつの説明は、国軍兵士の挑発行為への関与は、国家への忠誠心ではなく、兵士のパトロンへの忠誠、そして自己保存のためだというものだ。例えば、1998年5月のジャカルタ暴動の際、私のクラスにいたある首都管区司令部の情報将校は、国軍兵士が関与しているという欧米メディアの報道を肯定していた。メディアは特殊部隊元司令官でスハルト大統領の娘婿、プラボウォ中将がウィラント大将を失脚させ、自分が代わって国軍総司令官兼国防相につくためにやったことだと報道していた。また特殊部隊の離脱者たちがバニュワンギのニンジャ(覆面殺人部隊)事件などその他の挑発行為に参加していたことを認めている。もしそれが真実なら、彼らの動機は、プラボウォやスハルト元大統領の法的な追及を行わないよう政府に警告を発していると考えられる。スハルトは今もって多くの国軍兵士から父親として尊敬されているのだ。
 一見風変わりなこの分析は、ネイルス・ムルダーという30年間に渡ってインドネシアと東南アジアの文化を研究してきた文化人類学者の見解に一脈通じるものを見いだす。彼は次のように書いている。
 「家の外の世界は競争の場であり、人は名誉と権力を求めて競っている。またそこでは武勇は讃えられ、出世頭は残りの者のパトロンとなる。その恩恵を受ける者は恩義を背負うのであって、それは一生を通しての義理を生み出す。権力のヒエラルヒーにおいては、保護、庇護、権威、ひいきなどが与えられれば、それは恩義となって、しばしば予想可能な方法で、人と人の関係をしばるものとなる。それはお互い知る者同士の世界、その個人の世界をまるごとかためるセメントのような働きをする。」
 私は1999年、国軍の庇護(パトロネージ)のシステムがどういうものかこの目で見る機会があった。戦略予備軍司令官のジャマリ中将が幕僚学校を訪問したときのことだ。175人の生徒を前に人間の誠実さ(インテグリティ)について講義をしている間、彼のアシスタントの一人が元特殊部隊隊員で現在幕僚校付き将校となっている者たちに配る金一封を仕分けしていた。こうしたことは、兵士の安月給を補填する手段として国軍司令官たちが一般に公然とやっていることだ。(ちなみに少将クラスで月給は100米ドルに満たない。)私のクラスのある特殊部隊の経理将校は同級の外国からの留学生に、かつてプラボウォ中将のお供をして銀行に行き10万ドル相当の金を引き出したことがあると語った。その金は、プラボウォ中将の異動にともない部下に配るものだったという。こうした行動が権力を誇示し、忠誠心を育むことになるのだ。
 現在起きている出来事も、パトロネージとそれがもたらす忠誠の文化を理解することで解釈できよう。昨日、アンディ・ガリブ検事総長が辞任した。彼は一方でインドネシア軍中将でもある。ガリブはかつての彼のボス、スハルト将軍の富についての調査をほとんど進めることができなかった。彼がかつての上官への忠誠だけではない。もし彼がスハルトの罪を暴けば、彼の罪もまた暴かれていただろう。結局、ひとりの中将として、彼もまた上司から(おそらくはスハルトからも)金銭を受け取っていただろうし、それを部下たちに配っていただろう。そうしないとばかばかしいほどに低い給料ではやっていけないのだ。したがって、もしガリブが銀行職員から金銭を受け取っていたとしても、それが違法であることは明々白々なのだが、国軍の「封建的文化」においては了解される価値なのである。またこれは、なぜ幕僚校副校長が政治と改革についての私的な議論の場で次のように言ったのかも説明する。「われわれはみな腐敗しているんだ、メガワティもアミン・ライスも。」
 もし読者がインドネシア軍のパトロネージと忠誠の文化、そしてそれが将校たちをして極端な行動に走らせる動機になりうることについてまだ腑に落ちないというのであれば、わが国の例を見てみてはどうだろうか(アメリカ人が読者だと仮定しているのであるが)。マフィアがゴッド・ファーザーを守るためにどうするか。そうすればインドネシア軍の文化についても理解しやするなるのではないだろうか。

おわりに

 実は、私は今回の任務の報告にあたって、国軍指導部が「新パラダイム」(Paradigma Baru)と称する改革を実施しているという事実をあえて無視してきた。それは国軍をABRIからTNIと言い換えたことに象徴されている。文化の変容というものは難しくまた緩慢なものであるため、私のインドネシア軍における忠誠と誠実についての分析は今後数年は有効であろうと思う。最後に、ここに述べた分析は1998-1999年にインドネシア陸軍幕僚校に留学生として学んだ私の経験に基づく個人のものであり、いかなる意味においても合衆国政府の正式な見解を述べたものではないことをお断りしておく。

1999年6月、バンドゥンにて

原注

1.私は中間報告でいわゆる「社会政治評価(Sospol Estimate)」について記述した。それは管区付き将校たちが治安・安定を維持するためにとるべき適切な一連の行動を決定するために行うものだ。私は、活動家誘拐が誰かの社会政治評価から結論された「最適行動(optimal course of action)」(プラボウォの?)ではないかと考える。
2.Singh, Bilveer, Dwifunsi ABRI; The Dual Function of the Indonesian Armed Forces, p. 32.
3.Ngandani, p. 31.
4.簡潔を期すために、国軍の自己認識に対するナスティオン将軍の影響を無視している。スカルノに1945年憲法とパンチャシラへの復帰を迫り、共産主義の浸透に対抗するために軍の領域管理システムを実施させ、国軍を「特別利益集団」と認めさせて国会に議席をえる法的権利をもたらし、オランダ系企業の国有化後軍務外の職能ポストに将校を配させたのは、ナスティオンだった。簡単にいうと、彼こそが二重機能の基礎をつくったわけだ。Singhの第2章、主にpp. 45-47を参照。
5.Singh, p. 157.
6.Subagyo, p. 64.
7.Ibid., p. 64.
8.「闘争」という概念は、アメリカ人にとって「76年精神」と言うのと同じくらい積極的、感動的なものだ。それで「闘争民主党」といった名前もつけられた。
9.Singh, p. 44.
10. Ibid., pp. 42-43.
11. Maynard, Harold, 'The Role of the Indonesian Armed Forces', in Southeast Asia in the Modern World, edited by Edward A. Olsen and Stephen Jurika, Jr., Boulder: Westview Press, 1986, p. 199.
12. Mulder, Inside Southeast Asia: Religion, Everyday Life, Cultural Change, Amsterdam, The Pepin Press, 1996, p. 239.
13. Eeep Saefulloh, Kompas, 26 Mei 1999. 文民・軍関係についての議論のパネリストとして、エープは1995年にはアグス・ウィラハディクスマ少将が「封建的文化を育むリーダーシップ」を終わらせる必要性を語っていたと述べている。
14. 13人からなるタート・トリジャヌアル准将との議論で。筆者も参加した。


[訳者注]

 インテグリティはインドネシア語でもインテグリタス(Integritas)といって、統一性、誠実の2つの意味をもつ。「誠実」とこの場合言うのは、それが内面的な一貫性・統一性として人間の能力を遺憾なく発揮できる状態だということだ。最初に登場するインドネシア人将校の例(架空の例かも知れないが)は、英語の意味を単に誤解しただけともとれるのであまり適切な例ではないかも知れない。このインドネシア人将校は、英語のインテグリティ(誠実)をインドネシア語のクサトゥアン(kesatuan)「統一性・一体性」と解釈したのだろう。ちなみに国家の統一を言うとき、インドネシア語ではインテグリタスという表現は用いない。


(訳・松野明久)


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